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このページは翡翠輝子が日々感じた占術的な事象を気ままに書き綴るコーナーです。

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レニングラード・カウボーイズの「トータル・バラライカ・ショー」のDVDが欲しいのですが、アキ・カウリスマキ監督の作品のDVDはボックス販売しかありません。
熱心なファンはいるけれど、それほど広範に知られているわけではないという微妙な立場のためか、DVDボックスは廃番。アマゾンのマーケットプレースを覗くと、13万円という値が付いていました。

13万円あれば、ヘルシンキ往復航空券が買えそうです。いくらなんでもそこまでは出せません。

幸いにして、自宅から徒歩2分のレンタルショップにトータル・バラライカ・ショーのVHSが置いてあり、私以外に借りる人はめったにいないようです。旧作ですから1週間100円。VHSを断捨離しなくてよかった…。
レンタルショップは収納スペース、レンタル料を保管手数料と考えて、観たくなったらそのつど借りています。

「ハッピー・トゥギャザー」もいいのですが、「スイート・ホーム・アラバマ」も聴かせます。
レイナード・スキナードの1974年のヒット曲。プロデューサーはアル・クーパー。ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」のイントロのオルガンを即興で弾いた才人です。

しかし、この歴史的コンサートに「スイート・ホーム・アラバマ」は、PC(ポリティカル・コレストネス/政治的正しさ)という視点からはどうなんでしょうか?

この曲は、南部の人種差別を批判する人権派のニール・ヤングの「サザン・マン」に対して「カナダの人間にそんなこと言われたくないね」と返した曲です。
歌詞の中にも「覚えてろよ、ニール・ヤング。南部じゃお前なんかお呼びじゃない」、「バーミンガムでは、みんな知事を愛している(公民権運動を弾圧した悪名高いウォーレス知事のこと)といった刺激的なフレーズが出てきます。

実際のところは、レイナード・スキナードとニール・ヤングは音楽業界で交流があったし、「知事を愛している」と歌った後に、自らブーイングを入れてみたり、それほど深刻な対立ではなかったという説もあります。そもそも彼らはアラバマではなくフロリダ出身です。

1977年10月にツアー中の飛行機が墜落し、レイナード・スキナードの主要メンバーが死亡。ニール・ヤングはかなり寝覚めが悪かったのではないでしょうか。

こうした違和感を昇華してくれるのが、レッドアーミー・アンサンブルのバックコーラスです。日本人におなじみのエイコーラ、エイコーラの「ボルガの舟歌」をレニングラード・カウボーイズのヨレ・マルヤランタが歌う「スイート・ホーム・アラバマ」にかぶせてきます。

アラバマのけだるい暑さのピーナツ農園。凍てつくロシアの大地を流れるボルガ河。
アメリカ南部の黒人差別、ロシアとソビエトがフィンランドに与えた脅威。
そうした歴史のいきさつが雄大な流れに巻き込まれていくかのようです。

四柱推命の古典「窮通宝鑑」では、美しい命式を説くにあたり、周易の「水火既済(すいかきせい)」が使われています。
水と火は正反対の性質だから、うまくバランスを取れているかどうかが看命の基本です。
トータル・バラライカ・ショーの「スイート・ホーム・アラバマ」も火のアラバマと水のボルガが見事に調和した、本当に美しいパフォーマンスです。

※写真はヘルシンキのレストラン、ツェトル。レニングラード・カウボーイズのサッケ・ヤルヴェンパーがデザインしています。






映画「ル・アーブルの靴みがき」を観て以来、アキ・カウリスマキ熱が再燃。
「浮雲」「過去のない男」のような人情ドラマもいいのですが、レニングラード・カウボーイズも最高です。

30センチ近い巨大なリーゼントにサングラス。妖精のような先のとがったブーツ。彼らのいでたちから、最初は映画のためのコミックバンドかと思っていました。

まず「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」で彼らの魅力に目覚めました。
続編の「レニングラード・カウボーイズ モーゼに会う」は旧約聖書の知識が乏しいため、完全には楽しめなかったのですが、「トータル・バラライカ・ショー」で完全にノックアウトされました。

トータル・バラライカ・ショーは、1993年にヘルシンキで開催された歴史的コンサートのドキュメンタリーフィルムです。

レニングラード・カウボーイズと共演するのは、旧ソ連アレクサンドロ赤軍アンサンブル総勢170名。会場のヘルシンキ元老院前の野外ステージに詰めかけた観衆は約7万人。オープニングは、フィンランドの国民的作曲家シベリウスの「フィンランディア」。
ロシアの圧政に苦しむフィンランドの独立を願う抵抗歌です。当時のロシア政府はこの曲の演奏禁止令を出しました。

まさか、ロシアの軍隊がヘルシンキでこの曲を演奏する日が来ようとは。聴衆のフィンランド国民は万感胸に迫るものがあったでしょう。
コンサートの2年前に旧ソ連が崩壊。東西の冷戦が終わりを告げ、東側の脅威から完全に開放されたのです。

何度も観たくなるのは、「ハッピー・トゥギャザー」。1967年のタートルズのヒット曲です。
レニングラード・カウボーイズのボーカルと、レッドアーミー・アンサンブルのバリトン歌手が肩を組んで歌っているシーンは感動的です。
巨大リーゼントにサングラスの細身のおにいさん(ヨレ・マルヤランタ)と、ロシアの軍人然とした小太りのおじさん。主義主張、立場がどんなに違っても、人間同士なんだから歩み寄ることができるんじゃないか。寝る前にこのシーンを目にすると、とても平和な気持ちで眠りに就くことができます。

ボブ・ディラン「天国への扉」、ZZトップ「ギミ・オール・ユア・ラヴィン」など、ちょっと古めの名曲がこのコンサートにとても合います。ロックの合間に挟まれるのは、ロシア民謡の「ボルガの舟歌」や「ポーリュシュカ・ポーレ」。コサックダンスや宮廷舞踊もあります。

ソビエト連邦の解体により、存続の危機を意識したレッドアーミー・アンサンブルが、 なりふりかまわず西側文化圏に歩み寄ったという意地悪な見方もできます。 でも、西側のロックをいかにも楽しそうに演奏するレッドアーミー・アンサンブルの楽団員を目にすると、この人たちは純粋に音楽を愛しているんだなとほほえましくなります。

ドキュメンタリー映画「トータル・バラライカ・ショー」は、もちろんアキ・カウリスマキ監督の作品。
レニングラード・カウボーイズは、カウリスマキ監督と出会う前は、スリーピー・スリーパーズというバンド名で活動していました。映画が話題になったので、バンド名をレニングラード・カウボーイズに改名したそうです。

カウリスマキ監督が播いた種が、トータル・バラライカ・ショーという歴史的イベントにつながったわけです。

さらに根元をたどれば、文学青年だった若き日のカウリスマキ監督が、小津安二郎監督の「東京物語」と出会ったことで、映画の世界に進みました。小津安二郎がいなければ、トータル・バラライカ・ショーもなかったかもしれません。

私がアキ・カウリスマキ監督を知ったきっかけは、週刊朝日に連載されていた「船橋洋一の世界ブリーフィング」というコラムです。
船橋氏は映画評論家ではなく、政治経済が専門です。「浮雲」は、不況で職を失う夫婦を描いた映画ですが、製作当時の1990年代初頭、フィンランド経済は大きな打撃を受けて失業率が20%を超えました。そんな苦しい時代を、いかに尊厳を保って生きていくかが淡々と描かれた映画だと紹介されていました。

駆け出しのフリーランスのライターとして不安定な立場で働き始めたばかりの私は、ぜひ「浮雲」を観るべきだと直感したのです。その直感が、レニングラード・カウボーイズと私を結び付けてくれました。

人生を楽しくするコツは、こうしたつながりに敏感になること。
どんな本を読み、どの映画を観るか。昔は活字か友人からの情報しかヒントが得られなかったのですが、今はネット上の書評や映画評も活用できます。
新しい世界を広げたいと思いつつ、ここしばらくはトータル・バラライカ・ショーに毎晩、酔っています。

※写真はヘルシンキ大聖堂。この前の元老院広場でトータル・バラライカ・ショーが開催されました。






ブログでパブロ・ピカソの名言、I'd like to live like a poor man with lots of money.
(大金を持った貧乏人のように暮らしたい)を紹介しましたが、お金持ちだからといって、湯水のようにお金を使っているわけではありません。無駄金を使わず、質素に暮らしているお金持ちも多いのです。

2年前に某金運本を書くために、参考にした書籍のひとつが「となりの億万長者」(早川書房)です。
お金持ち本というと、自己啓発系が多いのですが「となりの億万長者」はアメリカのマーケティング学者がリサーチに基づいて書いたものです。
リサーチ対象は、純資産100万ドル以上を持つ1万人。そのうち、信託財産や相続資産から何らかの所得を得る人は19%ですから、8割以上は、一代で富を築いた人です。

この本には驚くべきエピソードが満載です。
たとえば、富豪を取材するにあたり、マンハッタンのイーストサイドにあるしゃれたペントハウスを一日借りました。超高級ケータリング業者にパテやキャビアに用意してもらい、年代物のワインも取り揃えました。
お金持ちの好みに精通しているところを見せようと「1970年のボルドーはいかがでしょう?」と勧めると、返ってきた答えは…。
「私はスコッチかビールしか飲まんよ。ビールは2種類。バドワイザーかタダで飲めるヤツだけだ」

さらにもうひとつ。
親しい仕事仲間からロールスロイスをプレゼントされたお金持ち。好みの色で内装を特注したので、納入まで5ヶ月かかると聞かされました。
せっかくの好意なのに、勇気を出して「要らない」と切り出しました。

プレゼントを断った理由を、彼はこう説明します。
「ロールスロイスでは、魚釣りに行って、釣った魚を後ろの席に放り込むわけにはいかないからね。今の車ならどうってことないけれどね」
いきつけの汚いレストランに乗りつけるわけにもいかないし、第一、通勤に使えない。
所有する工場のオフィスにロールスロイスで乗りつけたりしたら、工員たちから反感を買うだけです。かといって車を二台持つのは不経済。
「私にとって車はあまり重要じゃないんだ。ロールスロイスに乗るよりも、もっと、楽しいこと、おもしろいことが世の中にあるんだ」

お金が足りないから、高価なものが買えないと不満を抱いている人にお勧めの一冊です。一読すると、考えが変わるはずです。






風水の直居由美里先生とは、ライターとして15年近く前から原稿を書かせてもらっています。 由美里先生がどんどん有名になっていくプロセスをリアルタイムで見てきたわけですが、金運を上げるためのさまざまな方法を教えてもらいました。

その中のひとつが、富裕感を持って暮らすということ。
背伸びして贅沢品を買うことかと思ったら、そうではありませんでした。

由美里先生も若い時代は、お給料も安く、一人暮らしをしていたので、ぎりぎりの生活でした。「お金がない、貧乏だから欲しいものも買えなくてみじめだ」と嘆くのではなく、ある想像をすることで富裕感を持って暮らせるようになったのです。

その想像とは、「自分は大金持ちの娘で、銀行にたくさんの預金があり、その利子のみで暮らしている」というもの。
「預金の元本を減らしたくないから、利子だけで暮らすというルールを決めている。そうイメージすると、節約生活も苦にならなくなり、ゲームみたいに楽しめた」
そう考えて暮らすようになると、周囲からも「社会勉強のために働いているお嬢様なんだろう」と見られるようになったそうです。

現在の日本では銀行預金の利率が低くて、リアルに想像できないかもしれません。
ネットバンクなど金利の高いところを探しても1%いくかどうか。3億円預けても年間300万円の利子ですが、定期預金の利率が5%とか7%という時代もあったのです。今だったら、株の配当などをイメージすればいいでしょう。

これは、引き寄せの法則のすぐれた実践法です。
引き寄せの法則というと、願望を強くイメージする方法のようですが、「欲しい」という思考は逆効果です。なぜなら「欲しい」と願いすぎると「現在は足りない」という思考に結び付いて、欠乏状態がずっと続くことになるからです。

だから、何かを望むなら、すでにそれがあるものとして、喜びや感謝とともにイメージすべきです。

こういうことは頭で理解していても、現実には本当にむずかしいものです。
少ない給料を「銀行預金の利子」とイメージする方法を思いついたことが、由美里先生の現在の成功を作った要因の一つでしょう。

パブロ・ピカソの名言。
I'd like to live like a poor man with lots of money.
「大金を持った貧乏人のように暮らしたい」





中華街のお店に座っていると、時折「風水の相談をしたい」というお客さんがいらっしゃいます。

占い学校の風水講座で学びましたが、実際に羅盤を持って風水出張鑑定というレベルに達する前にリタイアしてしまいました。
風水の依頼があると「八宅風水ならなんとかなるけれど、玄空飛星派を要望されたらどうしよう」と一瞬、あせります。

しかし、たいていの場合は、風水というより家相だったり、引っ越し時期や方位の相談のことが多いのです。
中国の伝統風水を研究している占い師にとっては、腹立たしい事態かもしれませんが、日本では、風水、家相、九星気学の境界はあいまいです。

ドクター・コパ、直居由美里先生など風水として有名な人に建築業界出身者が多いのも日本風水界の特徴です。
日本現代建築の第一人者、清家清氏も「家相の科学」という入門書を書いています。

鬼門と裏鬼門の話など、建築家の視点からわかりやすく解説されています。
家相では鬼門・東北と裏鬼門・南西は、水気や不浄を嫌うので、浴室などの水回りを作るのを凶とします。

清家氏は、中国の伝説から鬼門について解き明かします。
中国の北東数万里に度朔山(どさくざん)という山鹿あり、大きな桃の木が生え、四十里四方に枝を張っています。その枝に鬼が集まり、人間を襲います。そこで、北東を鬼門としてこの方角を避けるわけです。
この伝説の背景にあるのは、気象と歴史です。
中国にはシベリア、オホーツク海方面から厳しい北東の風が吹きます。そして、漢民族の敵である匈奴は北東部の満州からしばしば漢の領土に侵攻しました。

建築的な視点からも、北東の水回りを避ける理由があります。
冬は北から風が吹くので、火の粉が飛んで危険。昔は住宅の気密性が低かったので、浴室がすぐ冷えます。さらに、北東は日当たりが不十分なので、いつもじめじめして不衛生になり家屋も湿気で傷むというわけです。
一方、南西に浴室を作ると、夏は南から風が吹くので、やはり失火の原因になります。
夏の南風は江戸大火災の原因となり、風上に浴室を作ることはタブーだったのです。そして、日当たりがよくて風通しもいい南西にわざわざ浴室を作るのはもったいないという理由もあります。

ガスや電気でお湯を沸かし、乾燥機も完備した現代の住まいでは、それほどこだわらなくてもいいのではないでしょうか。鬼門に水回りがあるからといって、ストレートにその家の運気が下がることはないと思います。

清家氏は2005年にお亡くなりになっていますが、人格的にも、かなり器の大きな人物だったようです。
有名なのは、テレビ番組「タモリ倶楽部」。清家氏はかなりの鉄道ファンで、自宅に車掌車の実物そのままを設置していました。
タモリは、単なる一般の鉄ちゃんだろうと思い込み、とんでもない会話が交わされました。

「いい家だね」
「私が設計したんです。建築家なんで」
「へえ、じゃあ今度、頼もうかな」
にこにこしながら、会話を続けた清家氏はかなりの大人物です。
ロケ弁当が手違いでスタッフより先に届いてしまい、受け取った清家氏は、その代金も快く立て替えてくれたそうです。





無人島や山奥の小屋で自給自足の生活を送っているわけでない限り、運は人間関係からもたらされます。
風水の黒門先生が授業でよく口にしていました。
「あらゆる開運法を試しても、引きこもりで誰にも会わないのなら、上がるのは健康運だけ。恋愛運、金運は変化がない」

だからこそ、オープンな姿勢で人との出会いを大事にしたいものですが、私たちはお花畑に暮らしているわけではありません。
親しそうに近づいてきた人がネットワークビジネスをやっていて洗剤やサプリメントを売りつけられたり、新興宗教の勧誘、はたまた借金のお願いということだって十分ありえます。

先日も、ノマドの女王として持ち上げられていた女性が、過去にネットワークビジネスに関与していたことが判明し、ネット上で騒ぎになりました。

特定のオフィスを持たず、さまざまな場所で仕事をする人をノマドワーカーと呼ぶそうです。
組織に属さないノマドにとっては、人脈をできるだけ広げたいものでしょうが、脇が甘いとよからぬ人に利用されてしまいます。

羽振りがよさそうだと思われたら、お金を貸してくれという人も近寄ってくるでしょう。

資金繰りに困った経営者が、鳩山家のゴッドマザー・鳩山安子さんに借金を頼んだ話を聞いたことがあります。
ブリヂストン創業者の長女であり、石橋家、鳩山家からそれぞれ100億円を超える額を相続し、保有しているブリヂストン株の年間配当だけでも3億円を超える大富豪です。
鳩山安子さんは「このお金をあげるから、今後一切、連絡してこないでほしい」と、まとまった金額を渡したそうです(正確な金額は不明。50万円か100万円ほどらしい)。
借金を頼むような運の悪い人にはお金を渡してさっさと縁を切るほうが得策だというのが、大金持ちの思考パターンなのでしょう。

借金を頼まれることはめったにありませんが、鳩山安子さんを見習って、10分の1の金額を目安に贈呈することにしています。
「5万円貸してくれ」なら5000円、10万円なら1万円です。下手にお金を貸してしまうと、甘く見られてさらなる借金を頼まれる可能性も高いし、返済完了まで「ちゃんと返してくれるだろうか」と悶々と過ごすのは、どうしても避けたいのです。

借金に限らず、人間関係でいやな思いをしたら「こんな人と関わってしまうなんて私の運も落ちたものだ」と反省します。そして、吉方取りなりお掃除風水なり、開運法を実践することにしています。

※写真は1986年にオープンした香港上海銀行。ビルのあらゆる部分に風水の吉相を取り入れています。





「ル・アーブルの靴磨き」ほどドラマチックではなくても、小さな奇跡なら誰の人生にもあるはずです。誰かと出会うことも、奇跡です。

今月、新しい仕事が動き出しました。
最初の連絡をいただいたのは3月です。
初対面の打ち合わせで担当者のAさんに、「どこで翡翠輝子のことをお知りになったのですか?」と聞くと、ある雑誌の名前を告げられました。しかし、私はその雑誌に原稿を書いたこともなければ、取材を受けたこともありません。

その後、「当初の予定からずれる」という連絡をいただき、このまま消滅するかもしれないと思いました。始まりがとても不思議なきっかけだったから、リアルに考えられなかったのです。

すると同じ会社の新しい担当者・Bさんから連絡をいただき、今度は一気に話がまとまりました。
先週、Bさんが中華街のお店まで鑑定風景を撮影するために来てくださいました。同じ会社のCさんも同行。
撮影後の雑談でわかったのですが、最初に連絡してくれたAさんに雑誌を貸したのが、Cさんだったそうです。
どういうからくりなのかわかりませんが、出会うべくして出会うために、私の知らないところで雑誌が動き、Cさんが入手し、Aさんに渡し、Bさんと私が仕事をすることになった。天が描いたシナリオがあり、それぞれが役割を演じたということでしょうか。

ボブ・ディランは曲作りだけでなく、出会いを引き寄せることにも天才的な能力を持っています。
たとえば、アル・クーパー。代表曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」は印象的なオルガンのイントロで始まります。この演奏をしているのがアル・クーパーです。
彼はこのとき初めてオルガンを弾いたのです。もともとギタリストで、ディランのレコーディング・セッションに参加したものの、自分より上手なギタリストがいて、しかたなくオルガンを弾いていました。

プロデューサーは「クーパーは本職のオルガン弾きではない」と苦言したのですが、ディランはそのままクーパーのオルガン演奏を採用。ロック史上最も偉大とされる名曲がこうして誕生したのです。

そして、バイオリン奏者のスカーレット・リヴェラに至っては、嘘のような本当の話が伝えられています。
イースト・ビレッジの通りを歩いていたリヴェラにディランが声をかけ、そのままバンドメンバーにしたのです。ディランは、製作中の曲のために、バイオリニストが必要だと考えていたのでしょう。バイオリンケースを抱えて歩いているリヴェラを目にして、「天が巡り合わせたバイオリニストだ」と直感し、行動に移したのでしょう。

運がいいか悪いかは、誰と出会うかによって決まります。
四柱推命では木火土金水の五行を基本に見ていきますが、巡り来る大運や流年の五行よりも、どんな五行を持つ人と出会うかが大きな作用を及ぼします。

だから、運を上げたいのなら、人間関係の風通しをよくして、出会いに敏感になることです。
※写真はボブ・ディランが無名時代にライブをやっていたグリニッジヴィレッジのCAFE WHA?です。





映画「ル・アーブルの靴磨き」を観ました。

一番好きな映画監督は、フィンランドのアキ・カウリスマキ監督。
パリやローマを舞台にしたお洒落なヨーロッパではなく、どことなく野暮ったくてなつかしさを感じさせる街並み。寡黙で温かい登場人物。1996年の映画「浮雲」を観て以来、不思議な魅力に夢中になりました。

カウリスマキ監督は小津安二郎の「東京物語」を観て、それまで志していた文学を捨て、映画の道を選んだそうですが、大げさな演技はなく、淡々とした台詞のやりとりは小津作品に通じるものがあります。

「ル・アーブルの靴磨き」は、大人のおとぎ話です。
冷静に考えたら「そんなこと、あるわけないだろ」と突っ込みたくなるストーリーなのですが、映画が終わった後も、何度も思い返したくなる味わいがあります。
カウリスマキ監督の作品は、「美男美女が出てこない映画」とも評されますが、人目を引く大スターが出演していなくても、なんとも不思議で心温まる世界が描けます。

映画の中で印象に残った言葉。
「稼ぎのいい仕事はいろいろあるが、羊飼いと靴磨きが一番人々に近い。われわれが一番山上の垂訓に従って生きている」
羊飼いはイエス・キリストにたとえられることが多いからわかりますが、靴磨きはなぜ?
稼ぎが少ないから、山上の垂訓の「幸いなるかな、貧しき者」にあてはまるからでしょうか?

私は最後の晩餐の前に、イエスが弟子の足を洗うシーンを思い浮かべました。
足を洗うのと靴を磨くのは似たような姿勢になります。人の足を洗うという行為は最も身分の低い者がやる仕事の一つですが、あえてキリストが弟子の足を洗うことで、心からの愛情を示したとされます。キリスト教系の洗足学園の校名の由来にもなっています。
貧しい靴磨きであっても、密航者であるアフリカの少年を救うために奔走する主人公マルセルの姿に、崇高な愛を感じました。

映画のキャッチフレーズは「心をみがけば、奇跡はおこる」。
平凡な人生にも、奇跡は日々、おこっています。

※写真はヘルシンキにある、カウリスマキ監督が経営するバー「カフェ・モスクワ」です。





友人の風水師・優春翠先生の監修で、八宅風水11ページの記事を執筆しました。コスミック出版「ららはぴ」7月発売号です。

彼女は売れっ子占い師で、常に鑑定予約がぎっしり入り、風水鑑定もかなりの数をこなしています。
取材の本筋からは少し離れましたが、優春翠先生がある弁護士から聞いた話を披露してくれました。
債務不履行、自己破産、倒産などを専門に扱う弁護士によると、そうした事態に陥ってしまう人の家には共通項がある。それは、ものにあふれているということ。高額なもの、安いものに限らず、ブランド品からチープな土産物まで、とにかく家の中がごちゃごちゃしているそうです。

「金運を上げたければ、ものを捨てろ」というのが優春翠先生の得た教訓。
八宅風水だの玄空飛星で風水調整を行う前に、まず部屋を片付けなくては話にならないと強調していました。

そして、風水鑑定を重ねるうちに、玄関を開けてぱっと見ただけで、その家の金運の状態がどうなのか、ぴたりとわかるようになったそうです。
決して安くない鑑定料を用意して自宅に風水師を呼ぶぐらいですから、掃除は行き届いています。
でも、金運が悪い家は、まず玄関にごちゃごちゃものが置いてあるというのです。具体的には、たたきに出ている靴の数。季節はずれのブーツなどが出しっぱなしの家はまずお金に困っています。明日食べるものもないという貧しさではなく、税金の督促に悩むとか、子供の私立医学部の高額な学費が払えないといった類の金運の悩みです。

収納スペースがぱんぱんに詰まっているのも「気」の巡りが悪くなり、大きなマイナスです。
「いつか必要になるかも」と溜め込んでしまうのは、貧乏人への道への第一歩。
トイレットペーパー、サラダ油、乾電池、洗剤…特売のたびに「安いから買っておこう」とまとめ買い。どのくらいのサイクルで使い切るかの計算もしないし、安くない住居費の何分の1かを、それらのために収納のために占有されている。いざ使おうとなったら、食品などは賞味期限切れになっていることも。

そんな「気」の乱れた状態で暮らしているから、ジリ貧状態に陥り、ついには破産に至るのです。

八宅風水で自分の本命卦を調べ、八方位ごとに風水調整する前に、断捨離を!
自宅に風水師を呼ぶのはそれからです。





旅に出ると、心が舞い上がり、あれこれ買いたくなります。

たとえばフィンランドには、マリメッコ、イッタラ、アラビアなどの美しいデザインのものがたくさん売っています。日本人向けにフィンランド雑貨ツアーなんてものもあるぐらいです。

円高だし、現地で買うと思い出にもなるし…と財布の紐がゆるみそうになりますが、お土産はなるべく最小限にしたほうがいいと思います。
旅人スナフキンが、お土産物屋でクレジットカードを使っているなんて姿は想像できません。

メーテルリンクの「青い鳥」で、チルチルとミチルはひたすら青い鳥を探します。
「思い出の国」でおじいさんにもらった青い鳥は、黒くなってしまいました。夜の御殿では、たくさんの青い鳥がいて、二人は夢中になってつかまえましたが、すべて死んでしまいました。

旅先のお土産物も、それと同じで、現地ではとても素敵で貴重なものに見えても、日本の狭い部屋では、なんだか違って見えてがっかりします。

フィンランドの北欧デザインの品々も、透明感のある空気の中だからこそ輝くわけで、マリメッコの鮮やかな花柄のバッグを持って東京の地下鉄に乗ると、場違いのように感じました。

旅先では、ショッピングよりも、ひたすら現地の空気を味わうこと。買い物で散財しないで済めば、次の旅行資金も早く貯まります。
お土産を買うお金があるなら、現地のカフェやパブの珈琲代やビール代に回す。思いがけない出会いがあったり、ちょっとしたおしゃべりを楽しんだり。
どうせ買うなら、現地でおいしいと感じた調味料など食品、あるいは消耗品のノートやカード類。
これに気づくのに何十年もかかってしまい、これまで随分、無駄なお金を使ってしまいました。





2年前にフィンランドを旅して、トーベ・ヤンソンが暮らした島まで足を伸ばしました。30年近くの夏を過ごし、ムーミン・シリーズなどの作品が生まれたクルーヴハル島です。

この島は離れ小島で、たどり着くには少し根性が必要です。
まず、ヘルシンキから長距離バスに乗り、ポルボーという街に。あらかじめ連絡しておいた漁師のマルティン・ティルマンさんのお宅までタクシーで向かいました。

クルーヴハル島保存協会から許可を受けたティルマンさんが島までボートに乗せて連れていってくれるのです(料金は200ユーロ)。
漁師といってもティルマンさんは、なかなかの事業家のようで、自宅横に小さなホテルを建設中。漁獲したサーモンを加工する作業場もありました。

トーベ・ヤンソン著「島暮らしの記録」(筑摩書房)には、「なにもかもが単純になり、ただしあわせだと感じるに任せる」という記述があります。
彼女が女友達、猫、時には母親と暮らしたコテージは、質素で居心地がよさそうです。
天気がいい日はそう思えますが、嵐の日には怖くなかったのでしょうか?

クルーヴハル島で思い出したのは、ムーミン一家よりも、フィリフヨンカのことでした。
「ムーミン谷の仲間」に収録されている「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」です。

祖母が昔住んでいたという海辺の家に引っ越してきたフィリフィヨンカ。
小さな鏡、貝殻、赤いビロードの枠に入れた写真、かぎ編みのレースの上に座っている瀬戸物の猫、絹糸や銀糸で美しい言葉を縫い取りしたもの、ボートの形をした小さなミ ルク入れ、真珠をはめた柄のついたビロードのかご…といった、ごちゃごちゃとした品物をどっさり持っています。

フィリフィヨンカは、世界のおわりにおびえています。
ガフサ夫人をお茶に呼んだ日、ついに、家を揺らすほど激しい嵐の夜を迎えます。
屋根のかわらが飛び、煙突が吹き飛ばされました。日の出には竜巻が来て、彼女の家具やお茶セット、おばあさまの形見などすべて天国へ飛ばしてしまったのです。

フィリフィヨンカがずっとおびえていた、この世のおわりが来たかのようなのに、意外にも彼女はうっとりしてこうつぶやきます。
「もうわたし、二度とびくびくしなくてもいいんだわ。いまこそ、自由になったのよ。これからは、どんなことだってできるんだわ」
離れ小島に暮らしたトーベ・ヤンソンも嵐が過ぎ去った後は、そんなふうに思ったのでしょうか?

ものがあふれる現代の日本では、よほど気をつけないと、ものに支配されて生きることになります。
トーベ・ヤンソンの島を思い出すたび、物質から解放されて、精神の自由を取り戻したいと強く願います。





沖縄で働いていた、そうちゃんが、会社を辞めてカンボジアを旅することになりました。実家のある東京に戻ってきたので、お母さんも交えて会うことになりました。 そうちゃんとお母さんは、昨年6月のアラン・コーエンのマウイ島リトリートでご一緒しました。

旅から帰っても、そうちゃんは東京に戻らず沖縄で暮らす予定。
そして、部屋を空けたままにするのはもったいないから、旅行中だけ格安で誰かに貸すそうです。

「家具とか食器とか、家の中のものはどうするの?」と聞くと、「私はとてもシンプルな暮らしをしているから、そのままにしている。なくなったら困 るものはパソコンぐらいで、それは旅行に持っていくから」とのこと。

なんて素敵なんだろうと感嘆しました。
スーツケース一つでふらりと出かけ、気に入ったところで暮らすというのは、私にとって理想の生活です。現実には、ものでがんじがらめにされて、身動きが取れません。
しかし、そうちゃんのお母さんの評価は、私と正反対でした。
「そんな、フーテンの寅さんじゃあるまいし」と顔をしかめます。

お母さん、それは寅さんじゃなくて旅人スナフキンです。

「ムーミン谷の彗星」で、ガーネットの谷に行ったスナフキンとスニフ。
ガーネットの美しさにうっとりし、一つでもたくさん持って返ろうとしたスニフ。だけど、オオトカゲににらまれ、せっかく拾ったガーネットを落としてしまいます。
がっかりしているスニフに、スナフキンはこう言います。 「自分で、きれいだと思うものは、なんでもぼくのものさ。その気になれば、世界じゅうでもな」
「ものは、自分のものにしたくなったとたんに、あらゆるめんどうが、 ふりかかってくるものさ。運んだり番をしたり…。ぼくは、なんであろうと、 見るだけにしている 。立ち去る時には、全部、この頭にしまっているんだ。 そのほうが、かばんをうんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからねぇ…」

そうちゃんは、カンボジアでのたくさんの思い出を頭の中にしまって、旅から帰ってくるはず。そして、私が頼めば、最も美しい思い出を頭の中から取り出して語ってくれる でしょう。

次は、「ムーミン谷の仲間たち」に収録されている「スニフとセドリックのこと」。
かわいがっていたぬいぐるみの犬セドリックを手放したショックで嘆き続けるスニフに、スナフキンは、「ぼくのママのおばさんに起こった話」を語ります。
そのおばさんは、美しいものを愛して、一生をかけて集めてきました。コレクションをよりわけ、磨きたて、いよいよ美しくすることにエネルギーを注いでいました。 ところがある日、骨付きカツレツを食べておなかに骨がひっかかり、医者に「もう2、3週間の命」と匙を投げられます。
自分の死期を知り、おばさんは若い頃の夢を思い出します。アマゾン川を探検したかったし、深い海に潜ってみたかった。孤児のために大きな家を建てたり、噴火している山 にも登りたかった。友達を集めて大パーティを開きたかった…
けれども、美しいものを集めることだけに夢中になり、何もしてこなかった。

きれいな家具に囲まれて、家具の上も、床の上も、天井も手箱の中も、箪笥の引き出しも、持ちものでいっぱい。
おばさんは、ちっとも自分のなぐさめにならない品物に囲まれて息が詰まりそうに感じました。
その途端、一つの考えが浮かんだのです。

おばさんが思いついたのは、持っているものをすべて人にあげてしまうこと。
おばさんは一つまた一つと小包を送り、部屋はだんだん広々としてきます。持ちものが少なくなるにつれて、おばさんの気持ちが明るくなり、最後には、からっぽの部屋を歩 き回って、自分を風船みたいに感じました。いつでもすぐ飛んでいける幸福な風船みたいに。

家が広くなったので、おばさんは大パーティを開きます。
幽霊の話だの、いろんなおもしろい話をして、あんまりはげしく笑ったので、おなかからカツレツの骨が飛び出して、おばさんはすっかり治ってしまいました。
おばさんは孤児院を建て、深海を潜るには年を取りすぎているので、火を吹く山を見物しました。そしてアマゾンへ出かけ、それっきり消息はわからないそうです。

スナフキンのトレードマークでもあるハーモニカは、このおばさんが送ってくれたものだそうです。
ハーモニカと一緒に、スナフキンは「幸福な風船スピリット」というべき ものも受け取ったのだと思います。


タロット占いをするとき、お客さんにこんな説明をします。

「出るカードはすべて正しい。私が占い師としてここにいるのは、カードの意味を通訳するため。もし、はずれていると感じたら、それはカードが間違っているのではなく、通訳がヘタだからです」

先日の朝日新聞日曜版GLOBEに、同時通訳者・長井鞠子さんのインタビューが掲載されていました。

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外交やビジネスの通訳では、一つの単語が交渉の行方を左右しかねない。そんなとき長井は、手のひらにじっとりと汗をかくほど緊張する。だが、びくびくしていたら、いい通訳はできない。
「自分の判断を信じて、えいやっと訳す。一つ仕事が終わると、どっと疲れるのよ」
<中略>
いつも話し手の言葉に忠実に訳していればいい、というわけでもない。
その場の空気を読んで表現を工夫したり、話し手の意向を汲んで意訳したり、長井の通訳には「幅」のようなものがある。
「だからこそ、どんな状況にも対応できる」と同僚らは言う。
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友人に予約2ヶ月待ちという人気占い師がいるのですが、彼女からのアドバイスの一つに、「鑑定では、あいまいな表現を使わない」というものがあります。

占いを外すのを恐れて、「あなたは病気になるかもしれない」「彼と別れる可能性もあるでしょう」と言いたくなります。
でも、鑑定客にとっては「病気」「別れ」という単語を聞いた途端、「占い師から病気になると言われた」「別れると言われた」とインプットされるのです。
だったら最初から「このままでは病気になる」「別れる」と言ったほうがいい。
びくびくしてごまかすより、えいやっと断言するのです。

簡単なコミュニケーションなら機械でも事足ります。でも、通訳という職業は決してなくならないでしょう。
毎朝テレビでは12星座別の運勢が流れ、ネットには無料占いがあふれています。
それでも、占い師との対面鑑定を望む人がいるのは、鑑定結果を伝える占い師の意訳が求められているからです。

たとえば、周易。
得た卦と爻の意味を伝えるにしても、単に漢文を現代語に訳しているだけでは、おみくじと同じです。
また、伏卦、錯卦、交易生卦、越爻生卦などの手法を使って解釈しても、マニュアルのように順番に伝えていくだけでは、鑑定ではなくて易の講座になってしまいます。
お客さんの置かれた状況、占的を踏まえた上で。えいやっとポイントを定めて占い、表現を工夫するために四苦八苦しています。

言葉は生き物ですし、正しく訳すためには時事ニュースにも常に触れておく必要があります。通訳という職業は、一生が勉強の連続でしょう。占い師も同じです。


将来、英語で占い鑑定ができるようになるのが目標の一つです。 好きなところに旅して、観光のかたわら鑑定をして、滞在費の足しにできたらどんなにいいでしょう。

そのためには英会話の勉強が必須です。
英会話学校に通うには気が進まなくて、ネットのオンライン英会話も検討したのですが、アイルランドのパブ巡りで英会話が鍛えられた私は、カリキュラムに沿って会話を勉強する気になれません。

そこで見つけたのが、カウチサーフィンです。
http://www.couchsurfing.org/

ネット上の国際交流サイトで、宿泊などを提供するホストと旅人を結び付けてくれます。
東京の住宅事情では、宿泊を受け入れるのはむずかしいので、私は「Coffee or a drink」(泊められないけれど、おしゃべりしたり観光案内は可能)というステータスにしています。

海外を旅して、現地の人にいろいろとお世話になったので、ささやかな恩返しができればいいし、今後、旅するときにも役に立ちそうです。
たとえば昨年、シンガポールの風水スポットを回ったのですが、通常の観光地巡りではないので、ちょっと苦労しました。現地の人とお茶を飲む機会があれば、有意義な情報が得られたことでしょう。

先日、日本を旅するイギリス人紳士からコンタクトがあり、新宿でお会いすることになりました。
事前にメールのやりとりをして、お互いの希望をすり合わせます。
私は観光案内をイメージし、浅草まで足を伸ばすか、近辺なら新宿御苑あるいは明治神宮…と考えていました。

しかし、イギリス人紳士は「日本の文化やライフスタイルを知りたい。いつもの日曜の過ごし方に興味がある」という希望。日本訪問は初めてだけど、IT技術者として日系 企業に10年ほど勤めていたので、単なる観光地巡りにはあまり興味がないのでしょう。
いつもの日曜日って、まさか缶ビール片手に阪神タイガースのデイゲーム観戦におつきあいさせるわけにもいきません。
イギリス人紳士は「天候にも左右されるだろうから、会ってから決めましょう」とのこと。

こういうときは、天からメッセージが降ってくるものです。

知り合いの一人が4月から杉並区の中学校勤務となり、剣道部の顧問になりました。タロットバー・アーサで飲んでいるときにこの話題を出したら、日曜日に剣道大会があるというのです。
場所は東高円寺の新渡戸文化学園。「武士道」の著者である新渡戸稲造の名前を冠した学校ですから、日本の武芸にも興味があるというイギリス人紳士をご案内するにはぴっ たりではないでしょうか。

当日はとてもいい天気でした。
新宿のホテルのロビーでお会いして、丸の内線で東高円寺に向かいました。
新渡戸文化学園は駅からそう遠くないのですが、青梅街道を曲がる場所を間違えると迷ってしまいそうです。
竹刀を持った女子中学生3人組が歩いてきました。きっと剣道大会に参加していた子でしょう。
新渡戸文化学園の場所を聞くと「私たち、そこから帰る途中なんです。連れていってあげます」と返事して、今来た道を引き返して案内してくれます。
イギリス人紳士は「さすが日本。ロンドンじゃとても考えられない」と感心しきりです。

体育館で友人の剣道部顧問と合流して、試合観戦。
試合はとてもスピーディで迫力があります。そして、剣道着を身につけた剣士たちのりりしいこと。剣道を選ぶ中学生ですから、まじめで礼儀正しい子ばかりなのでしょう。
イギリス人紳士以上に私も試合を楽しみ、観戦後はビールで乾杯。

彼は東京の他に京都、広島、松山を回り、昨夜が東京での最後の夜。
タロットバー・アーサでフェアウェル・パーティを開きました。
奇しくも、アーサのマユー先生のお誕生日パーティと同時開催となり、多くのご常連で店は大盛況。初対面のイギリス人紳士にも温かく接してくれて、彼はとても喜んでいま した。

「日本に言ったら、寺や神社をたくさん訪れるようにとアドバイスされていた。
でも、場所じゃなくて人と出会うことこそ大切なんだ。ここ(タロットバー・アーサ)こそが、人々の神社(people’s shrine)、私にとって特別な場所だ」

日本に居ながらにして、異文化体験ができるカウチサーフィン。英会話レッスン以外にも、得られるものがたくさんあります。
アーサ王伝説のあるイギリス人にとって、アーサというタロットバー、これこそ、単なる偶然と片付けられない神の啓示なのかもしれませんね。


アラン・コーエンなどの自己啓発本を読んでいると、究極の教えは、自分のバイブレーション(波動)を上げろということ。

人を変えることはできません。
心が離れかけている恋人を無理やり引きとめようとしても無駄です。できることは、ただひとつ、自分の状態を整えることだけです。

同じバイブレーションのものは自然に引き寄せられます。「自分は大した人間じゃないけれど、すばらしい恋人に愛されたい」という願いには無理があるとアランは言います。 自分は恋人に与えるものが何もないのに、恋人からは愛を与えてもらいたいなんて虫が良すぎる願いだからです。
じゃあ、バイブレーションを高めるためには具体的に何をすればいいのでしょうか。
目標を立て、意欲的に働き、誰に対しても優しくする。嫌なことがあっても、広い心で受け止め、くよくよしない。
書くのは簡単ですが、現実の生活は理想通りにはいきません。

そんなとき、私は片付けを始めます。部屋全体は無理なので、引き出しや冷蔵庫の中、クローゼットの棚一つなど細分化して、とにかく限定したスペースを整理します。
乱雑な部屋は、エントロピーが増大した状態。
自然界では、エントロピーは常に増えていきます。いったん整理された部屋も、生活しているうちに乱れてきて、意識的に片付けなければ、自然にきれいになることはありま せん。
だから、片付けなくてはいけない場所は常にあります。
なぜこれがバイブレーションの話と関係するかというと、精神レベルの高い人は決して汚部屋に暮らしていないだろうから。ゴミ溜めのような部屋に暮らしているうちに、気 持ちも歪み、ますますだらしなくなっていきます。

掃除関係のネット掲示板でよく見かける書き込み。
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死のうと思って、身辺整理を計画した。
1.生活をだんだん縮小して
2.最後に業者を呼んで大物を処分して
3.部屋も引き払って
4.ひっそり逝く

片付け終わるまでは健康でいなければならないので、健康に気を遣ってしまった。
どうせなら多少は綺麗な姿で死にたいので、身だしなみにもかなり気を遣ってしまった。
死ぬことが前提だったから、すごく穏やかな気持ちで、いつも笑ってた。
欲も全然なかったし、人間関係もためらいなく整理できた。
そしたらモリモリ運が良くなってしまって、現在に至る…
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創作かもしれませんが、妙な説得力があります。
死のうと思った人が立ち直ったぐらいだから、少々の落ち込みなら十分効果がありそうです。
禁じ手ですが、アルコールでも飲まないとやっていけないときは、酔った勢いでゴミ袋を取り出し、不要品をどんどん放り込んでいきます。思い切りよく捨てられるし、「面 倒くさい」という気持ちがなくなって、手当たり次第に拭き掃除に取りかかったり、くしゃくしゃに突っ込んでいる服にアイロンをかけたりします。
翌朝はひどい頭痛で目覚めることになるので、バイブレーションが上がっているとはとても言えないのですが、酔いつぶれて何もせずに寝るよりはましだと思っています。


四柱推命では、日干(生まれた日に巡ってくる甲乙丙丁…の十干)をもって「我」とします。
占い原稿を書くときは、それぞれの日干を自然界の象に置き換えて、甲(きのえ)だったら、「天に向けて伸びる樹木=向上心が強い努力家」といったパターンがあります。
実際の鑑定では、もう一歩踏み込んで、生まれた季節、生まれた時間まで見て風景画のように読んでいきます。

十干にはそれぞれ個性があります。
共に四柱推命を学んだ占い師の友人とよく話すのですが、幸福で充実した人生とは、持って生まれた十干をベストな形で世の中に出している人ではないでしょうか。

ノーベル賞受賞者も犯罪者も、あらゆる人に誕生日があり、すべての人は命式を持っています。
持って生まれた命をどういう形で世間に出しているか。そこが大きな分かれ目です。
友人と私はオリンピックのメダルになぞらえて、「この人は金の甲(きのえ)。すばらしく生い茂った大木として世の中の役に立っている」「そこそこがんばっている銀の甲」みたいな話をします。
金銀銅があれば、予選落ちする泥とか錆とか、折れた甲だってあります。

一番わかりやすいのが、自然界で大地や畑を示す己(つちのと)です。
金の己は、高価な作物がたわわに実った畑、あるいは銀座の一等地だとしたら、泥の己は産業廃棄物が不法投棄された荒地。
大地という性質は一緒でも、大きな差が出るのです。

これは西洋占星術でも同じで、金の双子座はコミュニケーションスキルがあり、常に情報収集して世間に新しい風をもたらす人。泥の双子座は飽きっぽくて軽薄なチャラ男といった具合です。

日干のレベルを上げることで、金や銀を目指せます。
そのためには自分を知ること。甲(きのえ)の人が辛(かのと)や癸(みずのと)のように生きようとしても、甲としてのレベルは上がりません。

占い鑑定を受けなくても、本能的に自分の性質を知っている人は、それを最良の形で社会に示すことができ、成功者となっています。


東京・御茶ノ水の湯島聖堂。江戸幕府が1979(寛政9)年に昌平坂学問所を開設した地です。現在、斯文会(しぶんかい)では、さまざまな文化講座が開催されています。

中村璋八先生の「五行大義」の講座を受けていたのですが、先生がご高齢のため講座が修了し、その後、足が遠のいていました。

この冬、会津を旅した際に会津藩校日新館を訪ねる機会があり、四書五行の素読に励む会津藩士の子弟の姿が展示されていました。
日新館の説明をしてくれた方から「昌平坂学問所」の名前も出て、そろそろ学問を再開せよという天の声のように聞こえました。

四書五経の筆頭は論語で、斯文会でも論語素読コースは人気があり、キャンセル待ちの講座もあります。
私は易者ですから、大東文化大学の林克教授の「易経入門」に申し込みました。

本当は先月、4月に開講するはずだったのですが、嵐により休講。ようやく5月からスタートとなりました。
といっても、継続しているコースなので、六十四卦の途中からのスタートとなります。
月1回のペースですから、とても1年では終わらないのです。

「新しく入った方もいらっしゃるようだから」と林先生は「音釈(おんしゃく)」について講義してくださいました。
たとえば乾兌離震巽坎艮坤の八卦の乾。「乾」と「健」の発音が同じであることから、乾の徳は「健やか」となります。
日本人にとっては、単なる語呂合わせのように感じられますが、中国古典の読解には、文字の発音と意味の関係がとても重要だと林先生は力説されていました。

現代中国の簡略字は、日本人にとってなじみがないものです。
私などは、共産主義がせっかくの漢字文化を台無しにしているように感じていたのですが、簡略字は同じ発音の文字を代替して作ったものだそうです。そして、「発音が似ていれば同じ字と見なす」という発想は、共産主義とは関係なく、古代から脈々と受け継がれたものだったのです。

易の三義は、簡易、変化、不変。
シンプルでありながら、常に変化を続け、その根底には変わらぬ真理がある。
だからこそ、平成の日本に生きる易者が、お客さんの求めに応じてIT企業の資金繰りからダブル不倫、阪神タイガースのペナントレースの行方まで占えるのです。

たいていの知識は、本やネットを通して得られる便利な世の中です。
でも、先生のお顔を拝見しながら、直接、教えていただくことで得られるものも多いのです。
毎月1回、孔子像の前を通って易経講読の教室に通うのは、貴重な体験です。


連休中、時間があったのでDVDで映画「薔薇の名前」を観ました。

中世ヨーロッパの修道院を忠実に再現するために、手間隙かけて制作された映画です。
本編もさることながらDVD特典映像(ジャン・ジャック・アノー監督の解説)が、とても興味深いものでした。

主役のウィリアム修道士を演じるのはショーン・コネリーですが、アノー監督によると、別の役者にほぼ内定していたそうです。
ショーン・コネリーといえば、007シリーズ。一種の推理小説とはいえ、アカデミックな神学論争も盛り込まれたストーリーにジェームズ・ボンドが登場するのはまずいだろうと監督は考えていました。原作者のウンベルト・エコー側も、主役をショーン・コネリーが演じると聞いて絶句したそうです。

しかし、ショーン・コネリーがウィリアム修道士の台詞を読むのを聞いた監督は「ここにウィリアムがいる!」と直感的に悟ったそうです。

異端と呼ばれることをひたすら恐れる保守的な北イタリアの修道院に、イギリスから新しい風をもたらすウィリアム修道士。幅広い知識と公正な判断力を備え、修道院の閉鎖的な雰囲気を打ち破ります。
原作を読んでいて、あまりの難解さに投げ出しそうになったこともありましたが、自由で大胆なウィリアム修道士の活躍が知りたくて最後まで読み通しました。
そんな英雄的な存在を体現できる役者は、ショーン・コネリー以外に考えられません。

アノー監督が即座にショーン・コネリーを主役に決めたという話は、「風とともに去りぬ」のエピソードも彷彿とさせます。
スカーレット・オハラはあまりにも個性的な役柄ですから、映画化にあたり女優がなかなか決まらないままアトランタの炎上シーンの撮影が始まりました。見学に訪れたヴィヴィアン・リーを見た監督が「スカーレットがここにいる!」と即決したとも言われています。

アメリカ映画では、リメイク不可能なはまり役というのがあり、たとえば「ティファニーで朝食を」のオードリー・ヘプバーン、「カサブランカ」のハンフリー・ボガード」、「ダーティハリー」のクリント・イーストウッドなどが挙げられています。

役者は演技力を上げるために、努力を重ねますが、はまり役に出会えるかどうかは、運としかいいようがありません。
しかし、自分がどんな役に向いているのかを的確に知っておけば、どのオーディションを受けるべきかがわかり、努力が報われる確率は上がるはずです。

そして、これは役者だけでなく、すべての人にもあてはまることだと思います。
がんばっても結果がでないのは、能力がないからではなく、がんばる方向性が違うからかもしれません。

自分は何に向いているかを知るために、占いも助けになります。特に誕生日を元に占う四柱推命、西洋占星術。九星気学では、生まれ年の本命星だけでは大雑把ですが、傾斜宮や月盤鑑定を用いると、かなりの部分まで向き不向きがわかります。

たとえば四柱推命で私自身を見ると、専業主婦になっておとなしく家のことだけをして満足するタイプでは決してありません。かといって組織の中で働くにはバランスが悪すぎます。結果的に自由業が向いているわけですが、このことをもっと若くから知っておけば、余計な回り道をしなくて済んだはずです。


イースト・プレス「開運帖」は新装刊号に引き続き、6月16日発売予定号の表紙監修も担当します。次号は「2012年後半12星座完全運勢」なので、西洋的なテイストも加える予定です。
表紙については、私が単独で考えるのではなく、編集長と話し合いながら、アイデアを出していきます。最終的にはエディトリアル・デザイナーが仕上げてくれます。
雑誌の表紙にアイデアを出したり、原稿を書いたり、ライター業がメインの仕事なので当たり前のようにこなしていますが、時折「よくぞ、ここまでやってこられたものだ」と思います。

同窓会などで「文章を書く仕事をしている」と言うと「昔から作文、上手だったものね」と返されます。
たしかに、作文は苦手ではありませんでした。でも、飛びぬけてというレベルではありません。

このあたり、斎藤美奈子著「文章読本さん江」(筑摩書房)にぴったりの説明があります。
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文章は努力しだいで上達するのか、それとも「才能」に左右されるのか。(中略)ほかの分野に置き換えれば答えはすぐ出る。練習すればだれでも野球は上手になるが、だれもがイチローにはなれない。歌はだれにでも歌えるし、練習すれば上達するが、だれもが美空ひばりにはなれない。文章だって同じに決まっているではないか。義務教育を修了していれば、だれでも文章は書けるのだ。
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そして、「一クラスに数人は、作文だけは妙に上手だという人がいたでしょう」と続きます。そのくらいの率でいるのだから、しょせん小才にすぎません。

私レベルの書き手はゴロゴロいますが、文筆業で生計を立てているのは、そのうちほんの少しだと思います。

私には「出会い運」がありました。
占いを勉強するように励ましてくれたり、仕事をどんどん回してくれた編集者がいてくれたからこそ、ライターとしてここまでやって来られたのです。

仕事運、恋愛運は出会いによって左右されます。運をコントロールするためには、いい出会いを重ねること。
「いい結婚をするために、合コンにたくさん出る」と言う人もいますが、出会いの場にたくさん顔を出したからといって結果が出るわけではありません。
そこで自分が選ばれるために、工夫を凝らすこと。自分を磨くというと、外見にお金をかけることを連想しますが、要は自分の武器は何かを意識することです。

私が編集者から仕事をもらうためには、「何でも書けます」というライターではなく、占いというテーマを選びました。そして、英語を学んでいることも翻訳仕事につながり、精神世界系の外国人取材の仕事も舞い込んできました。出版不況が続き、ライターを巡る事情は厳しいのですが、やみくもに「仕事をください」と頭を下げて回っても、結果は期待できません。

私にはこれができる、あるいは、これは私にしかできない。
そういうポイントを意識して、得意分野に力を注いでいれば、いつか道は開きます。

恋愛でも同じです。異性にとってあなたが差し出せる最大のチャームポイントは何か。
それを知ることが、出会いを引き寄せるのです。


イースト・プレスの「恋運暦」がリニューアルされて新装刊となった「開運帖」。
「持っているだけで運がよくなる雑誌にしたい」との編集長の要望を受け、表紙の監修を担当しています。

リニューアル1号は表紙を九星気学の盤に見立てて、開運をもたらす色やデザインを使っています。
この手法は風水の黒門先生の開運法にヒントを得たものです。

風水というと、住まい全体や土地の開運法のイメージがありますが、限定されたスペースを一つの宇宙に見立てて、調和を図ることもできるのです。黒門先生は業種別に名刺を開運デザインする手法も紹介しています。

たとえば、日本庭園の枯山水。枯山水とは水のない庭のことですが、石や砂だけで見事な小宇宙を作り出します。
四柱推命でも、10年ごとの大運も同じような考え方です。生まれた月を元に、1ヶ月を実人生に相当すると考え、生涯にわたる五行の流れを出していきます。

私たち人間は宇宙の全体像をつかむには、あまりにも小さな存在だけど、限られたものに宇宙を見ることができるのです。

イギリスの詩人ウイリアム・ブレイクの「無垢の予兆」。
To see the World in a grain of sand
And a heaven in a wild flower
Hold infinity in the palm of your hand
And eternity in an hour

一粒の砂に世界を
一輪の野の花に天界を見る
てのひらに無限をおさめ
一刻に永遠をつかむ

周易で筮竹を使って占うとき、50本の中からまず1本を天に向けて立てるのは、太極を象り、易神を宿らせるためです。
太極とは、万物の根源であり、ここから陰陽が生じるとされています。

「易占の道具は何を使おうと、鑑定結果には関係ない」と教わったこともあります。
易の達人なら、サイコロをぱらりと振るだけで名占となるでしょう。
天道春樹先生は道具さえも使わず、その場にいた人に数字を3つ言わせて易を立てたりもします。

そこまでの境地に達していない私は、天に対する畏敬の念を現す意味もあり、筮竹を立てて机の上に太極を作ります。そこが、私の宇宙の中心となるのです。


四柱推命を最初に教わったのは鎌崎拓洋先生です。
四柱推命は的中率が高く、占いの帝王とも呼ばれていますが、命式(生まれ持った五行の配置)と行運(巡り来る五行の流れ)ですべてが決まるわけではありません。
ある日、鎌崎先生はこんなことをおっしゃいました。

「命式と行運の通りにすべてが起こるというわけではなく、何も考えずに衝動のままに生きていたらこうなるということ。
無自覚のままに生きているとこういう傾向があると意識化することによって、パターンを変えることができる。これが開運につながる。

自分のパターンを客観視すれば、曲がり角に来たときにまちがった道を選ばなくてすむ。
同じ命式でも、日干の次元が上がれば違う人生になる。生まれた日時によってすべてが決まっているわけではない。
命式やホロスコープは目ざめるためのツールである」

「同じ生年月日でも運命が違うのはなぜか」という問いに対する一つの答えです。

そして鎌崎先生はグルジェフの「人間はみな眠っている」という言葉を引用しました。

四柱推命でいきなりグルジェフが登場するのが鎌崎先生らしいところですが、この講座で劣等生だった私は具体的な占術ノウハウよりも、こうした部分を鮮明に覚えています。

グルジェフは、コーカサス南部生まれの神秘思想家。
「人間は、外部のさまざまな出来事に操られる機械じかけの人形にすぎない」というがグルジェフの基本的な考えです。

「機械でなくなるためには、第一に機械そのものを知ること。本物の機械は自らを知らないし、また知ることもできない。つまり機械が自分自身を知れば、もはや機械でなくなる。少なくとも以前のような機械ではなくなり、その行動に責任が伴いはじめる」(浅井優志訳「奇蹟を求めて」平河出版者より)

グルジェフは厳しい労働と訓練によって機械の状態を脱することができると説きますが、自分がどんな機械であるかの手がかりは占いでも得られます。

四柱推命の命式は、機械の取り扱い説明書のようなもの。
たとえば、高性能なオーブン電子レンジを買っただけでは、おいしい料理はできません。説明書を理解し、食材を買い集めて切り刻んで味付けをする必要があります。
勘のいい人なら、説明書がなくても、うまくオーブン電子レンジを使いこなすでしょうが、やはり説明書があったほうが有利です。

自分はどんなミスを犯しやすいのか。うまくいかない人ばかり好きになるのはなぜか。
どんなことに動揺し、どんな状況で怠け心が出て自暴自棄になるのか。
占いで自分を知れば、深い眠りから目ざめることができます。そして、無意識のうちに繰り返していたパターンを変えて、運気の流れを好転させることも不可能ではないのです。


リヴォン・ヘルムが亡くなって、追悼の気持ちでザ・バンドのDVD「ラスト・ワルツ」を観ています。

先日、老人介護施設を訪れたら、美空ひばりのDVDを一人で食い入るように見つめているおばあさんがいましたが、私もボケてきたら「ラスト・ワルツ」ばかり繰り返しかける老女となることでしょう。

ザ・バンドの5人のメンバーのうち、生きているのは2人だけになってしまいました。
死者を思うとき、いつもメーテルリンクの「青い鳥」の一節が浮かびます。

ライターの仕事で、霊能者と呼ばれる人を何人か取材したことがあり、死後の世界について語ってもらったのですが、私にとっての死後のイメージは、幼い頃に読んだ「青い鳥」の第二幕・第三場「思い出の国」のままです。

チルチルとミチルが、亡くなったおじいさんとおばあさんに再会するシーン。
****************************
おばあさん わたしたちはいつでも、ここにいて、生きてる人たちがちょっとでも会いにきてくれるのを待ってるんだよ。でも、みんなほんのたまにしかきてくれないからね。お前たちが最後にきたのは、あれはいつだったかね? ああ、あれば万聖節のときだったね。あのときはお寺の鐘が鳴って……。
チルチル  万聖節のとき? ぼくたちあの日は出かけなかったよ。だって、ひどい風邪で寝ていたんだもの。
おばあさん でも、お前たちあの日わたしたちのことを思い出したろう?
チルチル  ええ。
おばあさん そらごらん。わたしたちのことを思い出してくれるだけでいいのだよ。そうすれば、いつでもわたしたちは目がさめて、お前たちに会うことができるのだよ。
<中略>
チルチル  おじいさんたちいつでも眠ってるの?
おじいさん そうだよ。随分よく眠るよ。そして生きてる人たちが思い出してくれて、目がさめるのを待ってるんだよ。生涯をおえて眠るということはよいことだよ。だが、ときどき目がさめるのもなかなか楽しみなものだがね。
****************************
(「青い鳥」メーテルリンク 堀口大學・訳 新潮文庫)

鑑定の場で、時折、亡くなった方を占うことがあります。
近しい人の死から立ち直れないという相談。あるいは、ご主人と死別したお母さんと娘さんが一緒に鑑定を受けるときなど。
誕生日をお聞きして、四柱推命の命式を立て、故人がどんな方だったかを想像します。
占い師である私が語る一方で、相談者の方が思い出話をなさいます。

開運アドバイスという占いではないけれど、これはこれで一つの意味があるのだと思います。
死者との間にかつては確かな関係性があったことを思い浮かべると、死者は長い眠りからさめ、残された者は、これからの人生を生きていくための糧を得るのです。


ザ・バンドのドラマー兼ボーカルのリヴォン・ヘルムが4月19日に亡くなりました。

1996年に喉頭ガンと診断され、歌えなくなってしまいましたが、ドラムやマンドリン、ハーモニカを演奏しつつ、喉も奇跡的に回復し、2007年にはアルバム「ダート・ファー マー」をリリース。グラミー賞のベスト・トラディショナル・フォーク賞を受賞しています。

昨年、BS−TBSの番組でウッドストックのスタジオでのライブ活動を見て、老いにも病気にも負けずに音楽を楽しんでいると感心していたのですが、ガンは進行し末期状態となり、ニューヨークの病院で最期を迎えたそうです。

それでも、享年71歳で、家族や友人に見守られて息を引き取るのは、ミュージシャンとしてはとても安らかな最期ではないでしょうか。

「好きなミュージシャンは?」と聞かれて「ザ・バンド」と答えると、「だから、なんていうバンド?」と聞き返されたことがあります。

BANDという一般名詞に「THE」という定冠詞を付けられたのは、ザ・バンドのみ。フォークの神様ボブ・ディランがロックに転向し、従来のファンから「裏切り者」とののしられてもバックバンドを務めました。
人気絶頂期のディランがバイク事故で負傷し、隠遁していたウッドストックで一緒にセッションを行い、地元の人に「ディランの、あのバンド(ザ・バンド)」と呼ばれたことから、そう名乗ることにしたとキーボードのリチャード・マニュエルが映画「ラスト・ワルツ」で語っていました。

ザ・バンドのメンバー5人のうち4人はカナダ人で、唯一のアメリカ人がレヴォン・ヘルムです。
アーカンソー州の綿農家に生まれた南部人。ザ・バンドの解散コンサートの映画「ラスト・ワルツ」(マーティン・スコセッシ監督)は繰り返し見ていますが、「ザ・ナイト・ゼイ・ドローブ・オールド・デイキシー・タウン」は見るたびに心が揺さぶられます。
南北戦争で敗北した南部の地(ディキシー・タウン)に勝者である北軍が進軍した夜を描いた曲です。

敗者の悲哀を知る彼だからこそ、情感たっぷりにこの曲を歌い上げたのだと思います。
リヴォン・ヘルムは、アメリカの敗戦国である日本にも深い同情を寄せてくれたようです。
来日時、新幹線で博多に移動中、スタッフに「広島が近づいたら教えてくれ」と頼みました。
広島付近でリヴォンは新幹線のデッキに静かに立ち、黙祷。

「私の国は昔、ここにひどいことをした」と。

ありがとう、リヴォン。

メーテルリンクの「青い鳥」には、死者は眠っているだけで、生きている人が思いだしてくれるたびに目を覚ますとあります。 私が思い出すたび、リヴォンは、私の心の中で生きています。



イースト・プレスから「開運帖(かいうんちょう)」が創刊されました。

創刊14年を迎えた占い専門雑誌「恋運暦」。恋愛に限定せず、占いの世界を広げようと 「Koiunreki」となり、この4月から「開運帖」として新装刊リニューアルし ました。
昨年は「MISTY」が休刊となり、占い業界に激震が走りましたが、「開運帖」は新しい読者層も開拓して愛読される雑誌になってもらいたいものです。

私は「天中殺で一発逆転」14ページを担当しています。
天中殺は、別名「空亡」「大殺界」。漢字のイメージから、この期間は新しいことを始めてはいけないと恐れている人が多いのですが、社会生活を送っている以上、天中殺だから何もしないでいるわけにはいきません。

天中殺がこれほど恐れられるようになったのは、細木数子の六星占術(大殺界)の影響が大きいでしょう。
細木数子に占いの資料を貸して、そのままになってしまったという占い師を取材したことがあります。 「今の私は細木とは無関係」と割り切った上で、「天中殺を世に広めたのは、細木に独特のセンスがあっ
たから」とおっしゃっていたのが印象的でした。

六星占術では、天中殺のタイプを水星や金星など6つの運命星に言い換えています。これは十二支の五行を知れば、簡単に覚えられます。
木火土金水の五行と十二支の対応は以下の通り。
木行→寅、卯
火行→巳、午
土行→丑、辰、未、戌
金行→申、酉
水行→亥、子

まず、寅卯天中殺は木星人、申酉天中殺は金星人とストレートに結びつきます。
午は「正午」の「午」であり、最も火行が強い十二支ですから、午未天中殺は、火星人。一方、午の対極にある子は最も水行が強いので子丑天中殺は水星人となります。
そして残った戌亥天中殺が土星人、辰巳天中殺が天王星人となります。戌亥が北西で季節は秋の終わりから冬ですから、どことなく暗い土星のイメージがあります。一方、辰巳は南東で初夏ですから明るいイメージの天王星にしたのでしょう。
なお、天中殺は2年ですが、大殺界は前年の1年を加えて3年間を注意期とします。

それぞれの星にプラス・マイナスがあるのは、陽の十二支(子、寅、辰、午、申、戌)年生まれをプラス、陰の十二支(丑、卯、巳、未、酉、亥)年生まれをマイナスとしたからです。
そして、自分の大殺界の年に生まれた人(子丑天中殺で子年生まれなど)は、霊合星人となります。六星占術では大殺界は新しいことを始めてはいけない年なのに、よりによってその年に人生をスタートさせた人ですから、特別扱いになるのです。

天中殺は普段とは異質の時間が流れる時期です。
どんなに運のいい人でも、コンスタントに幸運に恵まれるわけではなく、運気のアップダウンがあります。占いを使って変化のタイミングをあらかじめ知っておけば、運気の波に上手に乗ることができます。


アラン・コーエンなどスピリチュアルな教えに触れても、頭の中にしまいこんでおくだけで実践しなければ、何も起きません。
アランの講演会では、QAコーナーがあり、「ポジティブな面に意識を向けようとしても、ネガティブな面がどうしても気になってしまう」という質問が出ました。
アランは練習が必要だと答えました。ピアノやギターの演奏と同じで、何回も繰り返して身につけるスキルだというのです。

そこで思い出したのが、植島啓司「偶然のチカラ」(集英社新書)に出ていた開運法です。
元ネタは、シェリー・アーゴフ「ラヴ・ビッチ 愛される自分に変わる100の恋愛キーワード」という恋愛指南本です。

たとえば、つきあっている彼が急に冷たくなり「しばらく距離を置きたい」と言ってきたとき。
彼は別れたがっているのか。ここで追いすがっても、彼はますます放れようとするだろう。だからといって何もしないでいると、確実に分かれることになりそう。
そんなときは、不運が続きます。仕事ではミス。体調不良。通販で頼んだ品物が届かない。家族から厄介な相談事を持ち込まれる。

シェリー・アーゴフは、「彼に振り向いてもうらおうとするのをやめ、自分で自分に目を向けなさい」と説きます。
自分の周囲に起こったトラブルのどれでもいいからひとつ解決するたびに、状況は少しずつ変わってきます。
てきぱきと仕事を片付ける。通販会社に連絡する。かかりつけの医者に相談する。家族の面倒を見る。

そうやって自分の興味を彼以外のものにそらせ、身のまわりの簡単に片付けるものから手をつけていきます。そうしていると、自然と彼のことから興味がそれます。そうすると、彼のほうもあなたに対する余裕が生まれるそうです。

そんなにうまいこといくでしょうか?
でも、この方法のいいところは失うものは何もないということ。むしろ得るものがありそうです。
たとえ恋人が戻ってこなくても、あなたの生活は立ち直っているのです。
身の回りのトラブルを一つずつ片付けて気持ちを安定させ、きちんと整った部屋で暮らしていくうちに、人間的な魅力が自然に発揮されます。
もしかしたら、今の恋人よりもっと相性のいい人とめぐり合うことだってあるでしょう。


渋谷でアラン・コーエンの講演会があり、コスミック出版「ららはぴ」編集長と出席しました。
昨年、アランのマウイ島リトリートの記事を「ららはぴ」に書いたところ、好評だったらしく、講演会も取材することになったのです。

アランの教えは、一貫して「バイブレーション(波動)を上げて、豊かな人生を送る」というものですが、頭ではわかっていても、現実生活ではなかなかむずかしいことです。

人が期待通り動いてくれることはめったにないし、自分に対しても満足できない毎日。
収入の不安はあるし、花粉症の不快な症状も続きます。そんな精神状態では、バイブレーションが低くなり、同じような低いバイブレーションのできごとを引き寄せ、ますます落ち込むという悪循環に陥りがちです。

イエス・キリストは、たとえ話の天才と言われますが、アランも抽象的な概念ではなく、日常生活からヒントを得て、巧みに教訓を引き出していきます。

たとえば、こんな話。
アランは自然豊かなマウイ島に暮らしているので、野生のネズミもいます。食料を求めてネズミが家の中に侵入してくるのを防ぐために、アラン夫妻は猫を買い始めました。
ある日、アランは朝の日課の瞑想を終え、幸福感にみちあふれてリビングルームに行きました。すばらしい朝です。ところが、リビングでアランを待っていたのはネズミの死体でした。
床に転がっているネズミの死体をシャベルに載せて庭に運びながら、アランはせっかくの朝の気分が台なしになったと嘆きました。

しかし、アランの奥さんはまったく違う反応をしました。
猫がちゃんと仕事をしたことを喜び、猫を称えたのです。

ここからアランは、パースペクティブ(物の見方)によって、同じできごとでも心に与える影響はまったく違ってくると悟ったのです。

死んだネズミ、成功した猫、どちらに意識を向けるか、私たちはあらゆる瞬間に選択しています。
引き寄せの法則では、フォーカスするものがますます増幅してきますから、死んだネズミのことばかりに意識を向けていたら、ますますネズミが寄ってくるのです。
パラレル・ワールド(平行現実)はSF小説ではなく、私たちの意識の中に存在しています。多くの次元からどの現実を選ぶかは自分しだいです。猫を探せば、必ず見つけることができるとアランは説きます。

私は猫を飼っていませんが、近所の酒屋にはサイモン、八百屋にはレタスと豆という看板猫がいます。
彼らの姿を見るたびに、アランの教えを思い出し、自分はちゃんと猫を見ているだろうかとチェックすることにします。

アランの講演会の終了間際、ちょっとしたアクシデントがありました。
渋谷区一帯が停電になり、会場が暗くなってしまったのです。マイクも使えません。
アランは「内側の光に集中すれば、暗闇は気になりません」と語りました。
マイクを通さずに聞くアランの声は、深い愛と知恵にあふれていました。

※講演会のリポートはコスミック出版「ららはぴ」6月発売号に掲載予定です。


一般の人にとって、干支は年を示すものですが、月や日、時間も十二支のサイクルで回っています。

今年は60年に一度の壬辰の年。
そして4月4日から5月4日まで壬辰の月となります。
辰の日が巡ってくるのは4月13日と4月22日。この二日は、年月日の地支に辰がずらりと並びます。
時柱も考慮すると、辰の時間は午前7時から9時までの2時間。このタイミングで生まれてくる赤ちゃんはかなり個性的な命式となります。

同じ十二支が並ぶと、かなりバランスが崩れるのに加えて、辰と辰が並ぶと自分で自分を刑する「自刑」の関係。
辰が重なるこの4月は、命式に辰を持つ人はもちろん、派手な動きは避けて自重したほうがいい日です。

開運法としては、水の流れをスムーズにすること。
今年の干支は壬辰(みずのえたつ)。奔流を力強く昇るウォータードラゴンの年です。

五行の関係で見ると、土(辰)が水(壬)を剋しているのですが、辰は水をたっぷりと含んだ土なので、刻し切れずに壬と一緒に流れてしまいがちです。
堤防が決壊して濁流があふれるイメージですが、どうせ流れてしまうものなら、スムーズな流れを作りたいものです。

4月13日と22日前後は、キッチンや浴室、洗面所の排水口を掃除して、スムーズに水を流しましょう。ベランダの排水口にも春風でゴミが吹き寄せられています。すっきり取り除いて水はけをよくしてください。
家の内外に淀んだ水を作らないことで、辰の自刑の災いが軽減されます。

さらに体のデトックスも行うと理想的です。食物繊維を取り、適度な運動で余分な体重を落としましょう。特に命式に五行の土の要素が強い人は、堤防が決壊してもスピーディに動けるように体を軽くすることを心がけてください。

※NEWSポストセブンに、オフィス風水の記事が掲載されました。
http://www.news-postseven.com/archives/20120404_99735.html


見逃していた2009年の映画「アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち」をレンタルショップで発見。胸に迫るものがあり、繰り返し観てしまいました。

登場するのは、1970年代に結成したメタルバンド「アンヴィル」のボーカル&リードギターのリップスとドラマーのロブ。

80年代にはそれなりに活躍して、ボン・ジョヴィ、スコーピオンズ、ホワイトスネイクらとロックイベントで来日しました。映画はそんな彼らの輝かしいシーンから始まりますが、この中で、なぜかアンヴィルだけが商業的成功を手にすることができませんでした。

月日が流れ、50代になったリップスは地元であるカナダのトロントで給食の宅配ドライバー、ロブは建設作業員として働きながらバンド活動を続けています。

彼らはロックスターとしての成功をあきらめていません。
リップスはこう宣言します。

    誰もが年を取る。それが現実だ。
    腹は出て顔の肉は垂れ、髪は抜け時間はなくなる。
    だから今やる。
    今から20年後、30年後、40年後には人生は終わるんだ。やるしかない!

カナダというとザ・バンドが思い出されます。
リーダーのロビー・ロバートソンが「ツアーなんて続けていたら若死にする」と映画「ラストワルツ」を最後に解散しましたが、メンバーのリチャード・マニュエルは自ら命を絶ち、リック・ダンコは長年のドラッグ濫用で肥満し、ある朝、冷たくなって発見されました。

破滅的な生き方に陥るロックミュージシャンが多い中、アンヴィルは、健全です。
両方とも妻子がいて家庭を営んでいますし、仕事もちゃんとこなしているようです。
こういう生き方ができる人こそ強いのだと思います。

リップスとロブはともにユダヤ系カナダ人ですが、育った環境は微妙に異なります。

リップスの兄は学者、姉はビジネスウーマン、弟は会計士で、彼は完全な異端児です。
母親は「息子が学校を中退してミュージシャンになったことを受け入れるのは苦労した」と語ります。
30年以上前のリップスのバル・ミツワー(ユダヤ教の成人式)のシーンが挿入されますが、かなり恵まれた家庭であることがうかがえます。

一方、ロブは「音楽に興味をもつのを父親が喜んでくれた」と語ります。
そしてロブの父親の出自が明らかになるのですが、なんと、アウシュビッツを生き抜いたハンガリー出身のユダヤ人だというのです。
強制収容所でぎりぎりの極限状態を体験した父親は、息子がたとえ成功しなくても、やりたいことをやって生きるだけで満足だったのでしょう。

リップスの家族も彼を排除しているわけでなく、温かく見守っています。バンドの13枚目のアルバムの制作費用を貸してくれたのは、リップスの姉です。

新しいアルバムの曲の一つは占いがテーマでした。
    タロットカードに、茶の葉
    水晶玉
    手相、ろうそくの明かり
    占いで語られる未来
    未来への恐怖
    期待に対する興奮


なぜ自分たちは売れなかったのか。 マネージャーやレコード会社選びに失敗したからか、タイミングが悪かったからか、カナダ人だからか。
20年間考え続けてきて、それはもう、占い(運)の問題だと悟ったのかもしれません。

そんな彼らに転機をもたらしたのが、サーシャ・ガバシ監督です。
ガバシ監督は10代の頃にアンヴィルに熱中し、彼らのツアーにスタッフとして参加しました。

結局、彼らに運をもたらしたのは、人間関係(ガバシ監督との交流)です。
若きガバシ監督がツアーでこき使われ、嫌な思いをしていたら、スピールバーグ作品の脚本家として映画界で成功した後、四半世紀後にアンヴィルの二人に連絡を取ろうとはしなかったでしょう。

映画の最終シーンで、リップスはこう語ります。
    いい曲を書くだけではダメだ。
    大事なのは考え方だ。
    何に満足して、何に妥協するか。
    人生を楽しんでいるか
    それこそが重要なんだ。
    人生で最も大切なのは、人との関わりだ。
    知り合いや訪れた場所、
    体験したことに意味がある。

音楽ドキュメンタリーでありながら、人生や運、占いについて考えさせられる映画でした。


伊泉龍一先生のタロット講座を一年間受けて、折りに触れて「タロット大全」をひもときます。

600ページ近い大作なので、一気に読了とはいきませんが、その時々の興味の対象に応じて読み込んでいます。
トート・タロットを生み出したアレスター・クロウリーについても詳しく記述され、20世紀後半のカウンターカルチャー界で熱狂的な支持を受けたとあります。


興味深いのは、ミュージシャンにクロウリーの人気が高いこと。 レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジは熱狂的なクロウリー信者で4枚目のアルバムの裏ジャケットにはタロットカードの隠者が描かれています。
また、オジー・オズボーンには「ミスター・クロウリー」という曲もあるそうです。

そして、ビートルズも「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットにクロウリーを登場させています。
ちょうど「ビートルズとボブ・ディラン」(中山康樹著、光文社新書)を読んでいるところだったので、サージェント・ペパーズのジャケットにボブ・ディランも登場していることも知りました。
ジャケットに登場する人物は、ジョン、ポール、ジョージとジャケットのデザイナーのピーター・ブレイクらが候補を挙げ、絞り込まれたそうです。リンゴは他のメンバーに一任しました。ディランは「追憶のハイウェイ61」の顔の部分が使われています。

私はパメラ・コールマン・スミスの絵に惹かれてもっぱらウェイト・スミスパックを使っています。
お世話になっているタロットバー・アーサのマユー先生はトート・タロット使いですので、いつかタイミングが巡ってくれば、トート・タロットを学ぶかもしれません。

伊泉先生の「タロット大全」には、パメラ・コールマン・スミスと交流のあった人物として、アイルランドの詩人イェイツやイギリスの小説家キャサリン・マンスフィールドなどが挙げられています。イェイツが編纂したアイルランドの民話集やマンスフィールドの短編小説は私の愛読書です。

易やタロットの世界に踏み込むと、世界のあらゆるものがつながっていくような感覚を味わえます。


先日、横浜中華街のお店に、大学の同窓生が鑑定に来てくださいました。

私は大学で心理学を専攻したのですが、同じ学部に心理学のゼミが3つあり、統計学や実験演習は3つのゼミ生が合同で受講します。
私は田中国夫先生のゼミでしたが、お店に来てくださったのは、佐々木薫先生のゼミの方。大学時代の思い出が一気によみがえりました。

アップルの創業者スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業生に贈った祝辞では、「バラバラの点が将来、つながっていく」というフレーズが印象的でした。
ジョブズの場合は、カリグラフィー(装飾文字)を学んだことが、アップル・コンピュータの美しい書体へとつながりました。

大学時代のゼミでは、4つの班に別れて、それぞれ課題が与えられました。
最初に与えられたテーマがユング心理学でした。
もし別の班だったら、集団力学かコミュニケーション論あるいは比較文化だったかもしれません。
その時、ユングが東洋思想に傾倒し、易を深く研究したことを知りました。
ユングはスイス人ですが、欧米中心主義に疑いを持ち、普遍的無意識やシンクロニシティの概念を唱えました。

大学を卒業して長い時間がたち、占い師となって易を学んでいます。
大学3年の春休みに出会ったユングの本と現在がこうしてつながりました。
「未来に先回りして点と点をつなげてみることはできない。君たちにできるのは、過去を振り返ってつなげること」
そんなジョブズの言葉を噛みしめています。

そして、占いの勉強には終わりがなく、今も学び続けているわけですが、今の学びが、また将来につながっていくのでしょう。


小池龍之介「平常心のレッスン」(朝日新書)では、食べることが瞑想修行につながると説いています。

タニタ食堂では、食事時間の目安を20分としていますが、小池氏が主催する「食べるレッスン」では、数口で食べてしまうようなケーキを、一口ずつ徹底的に咀嚼して、20分 から30分かけて食べるそうです。
そうすると、これまで感じたことがなかったような満足感が得られるそうです。途中で満腹になって、ケーキを食べきるのがむずかしくなる人もいるとか。

忙しい現代人は、一日三食そんなにゆっくり食べることは無理でしょうから、一日に一度、あるいは週末だけでも、時間をかけて食べることを実践してみてはどうでしょうか 。

  一年前に伊豆の断食施設「やすらぎの里」に一週間滞在したことも、食べることの重要性に気づく大きなきっかけとなりました。
一週間の滞在といっても、ずっと断食をするわけでなく、後半の3日間で徐々に回復食となり、最終日には普通食が出ます。

「やすらぎの里」はなかなか手軽に行くわけにはいかないので、日常生活では、小池龍之介氏の著作を読んだり、道元の「典座教訓(てんざきょうくん)・」、「赴粥飯法( ふしゅくはんぽう)」をひもときます。

典座とは、禅の道場で食を司る僧侶のこと。
典座教訓には、「一本の野菜を手に取り、一丈六尺の仏の身として用い、十分に活用し、また一丈六尺の仏身を一本の野菜にこめて、これを大切に用いることができるのは、 これこそ本当の神通力というものである」といった心構えが書かれています。

一方、赴粥飯法は、食事をいただく修行僧の心得です。
たとえば、食べる前に「目前に置かれた食事ができあがってくるまでの手数のいかに多いかを考え、それぞれの材料がここまできた経路を考えます。

講談社学術文庫に収められている典座教訓、赴粥飯法の訳者の一人、中村璋八先生には、湯島聖堂で五行大義の講座を受けました。

残念ながら中村先生がご高齢で体調がすぐれず、講座は終了してしまいましたが、陰陽五行だけでなく、この本の存在を教えていただいたことも大きな収穫です。
師だけでなく、本との出会いも人生を大きく変えるものです。


「靴の脱ぎ方でその人の意識のレベルがわかる」という話は、アランの「深呼吸の時間」(宝島社)にも掲載されています。
靴の話に続いて紹介されるのが、鈴木大拙のエピソード。

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「一杯のお茶を正しく振る舞うことができれば、何事も正しくできる」。
つまり、調和や美は、日常のあらゆることを熟慮のうえに行うことからも、生み出すことができるのです。

西洋に禅を広めた鈴木老師を知る人から、こんな言葉を聞きました。
「老師がなさること、すべてが瞑想そのものだった」と。
彼は言っていました。
「老師がりんごを食べているところを見たことがあるんです。ゴミひとつ出さずに、まるで彫刻を彫るかのように、きれいに芯まで食べていました。それ自体がまるで芸術作品のようだったんですよ」
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アランは「日々の小さな行いによって、天国に近づくこともできれば、遠ざかってしまうこともあります」と説きます。
多忙な生活の中では、すべての行いを律することはむずかしいのですが、食事のときには気をつけたいものです。

「体脂肪計タニタの社員食堂」がベストセラーとなり、一般向けにタニタの食堂が丸の内にオープンしました。
本に載っているのと同じメニューが出されると同時に、テーブルにはタニタ製のタイマーが置いてあるそうです。
タニタが提唱するのは1食20分間。
ためしに自宅で、一人で食べるときにタイマーを20分にセットしてみたのですが、かなりゆっくりしたペースで食べないといけません。
誰も見ていないからといって、雑な食べ方をしていては20分もかかりません。

鈴木大拙の境地にはほど遠いのですが、タイマーを使いながら、食事を天国へ近づく手段へとしていきたいものです。


開運のための掃除では、トイレ掃除が真っ先に取り上げられることが多いのですが、風水で最も重視される場所は玄関です。

戦乱時代の中国では、敷地内への入り口は一箇所に限定していました。いつ外敵が襲ってくるかわからないからです。
そして、入り口をどの方位に向けるかで一家の命運が左右されると考えられていたのです。有力な一族はお抱えの風水師がいて、入り口を決めていました。外敵対策だけでなく、金運を始めあらゆる運がそこから入ってくるのです。

現代の日本では、敵が襲ってくるわけではありませんが、運気は玄関を通って室内に入ってくるという点では同じです。

いくらパソコンを使いこなしても、家の中に閉じこもっているだけでは、仕事運も恋愛運も上昇しないでしょう。

そこで玄関に鏡や観葉植物などの開運グッズを置くことが提唱されるわけですが、いくら風水に凝っても、靴が散らかっているようでは台なしです。
外を歩き、土やホコリが付着した靴が脱ぎ捨てられている玄関は、それだけで気が乱れます。

西洋人は室内でも靴を脱ぎませんが、東洋系の住民が多いハワイでは、玄関で靴を脱ぐ習慣が取り入れられているそうです。

マウイ島在住のアラン・コーエンからこんな話を聞きました。
ハワイで太極拳を教えているマスターは、「靴の脱ぎ方でその人の意識のレベルがわかる」と弟子に教えています。
そして、太極拳の練習場の入り口では、大勢の弟子の靴がきっちりとそろえられ、整然とした列を作っているそうです。
礼を重んじる武術の練習場なら当たり前のことのように思いますが、西洋人の目にはとても新鮮に映るのでしょう。

朝、出かける時に脱ぎ散らかされた靴の中から、その日の靴を選んでいるようでは、スタートの時点から、意欲が後退します。
きちんとそろえられた靴を履いて、新しい一日に踏み出したいものです。


最近、マンガ雑誌『モーニング』(講談社)編集長の島田英二郎氏のツイートが大きな反響を巻き起こしました。

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およそ「あきらめなければ夢は必ずかなう」ほど悪質な言説はないと思う。こういうコトバが幅をきかすと夢を途中であきらめる若者は「夢がかなわなかったのは私が途中で あきらめたからだ」という自責の念をしょいこまなければならなくなる。

執念は大事だが、夢がかなうか否かはやはり才能の問題。すごい才能がいるわけじゃなくて、ほんのちょっと才能があればあとは確かに「あきらめないこと」とかそのあたり が大事になってくるんだろうけど、その「ほんのちょっとの才能」の有無は決定的な差です。

夢をかなえるのに大切なのは「自分がどんなことに向いてるか」、少なくとも「どんなことには向いてない(才能がない)か」を悟るカンです。どんなに好きでも向いてない ことは向いてない。

いい大人が「あきらめなければ夢は必ずかなう」なんて言わないでほしい。そんなことあるわけねえだろ。じゃあ、オリンピック出れなかった奴らはみんな途中であきらめた からかよ!? あきらめたそいつの根性のせいかよ!? 子供は真に受けるんだからヘンなこと言うのやめなさい。

周りにどう言われようと自分の才能を信じることも大事。そう思える人はあきらめずにがんばってください。でもそう思い続けるのが困難になったとき、別の道をさがすのは ちっとも悪くない。というか、さがしなさい。自分の人生なんだから。
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島田編集長は、おそらくマンガ家を目指しながら挫折した多くの人を目にしたのでしょう。
早い時期であきらめて、別の道を選べば成功したかもしれないのに、ある程度年齢を重ねてしまうと、職に就くのも大変です。

もちろん、田中慎弥氏のように、一度も働いたことなく小説を書き続け、39歳で芥川賞を受賞する人もいます。
でも、作家や漫画家、あるいは役者、歌手、プロスポーツ選手などの夢をある時点であきらめた人のほうが圧倒的多数でしょう。

職業選択だけでなく、恋愛も続けるか、あきらめるか迷うことが多い問題です。
「彼とは最近、うまくいっていない。でも、ここで別れたらもう結婚できないかもしれない」という恐れ。
あるいは「別れた彼と復活できるかもしれない」と未練を持ち続けている人など。

このまま続けるべきか、あきらめるべきか。
迷ったときは、占いを参考にするのも一つの方法です。 占い師が100%正しいわけではありませんが、自分だけで考えていれば堂々巡りになってしまいます。そこに占いという別の視点を持ち込むことで、結論を出すきっかけが得 られるかもしれません。 たとえば四柱推命なら10年ごとの大運や12年のうち2年間巡ってくる空亡など運気の切り替わりは生き方を変えるタイミングです。 恋愛なら、相性を見てどのような関係を分析することもできます。 占い師の発言で、「やっぱりそうか」と納得したり、反対に「そんなわけない」と反発することもあるでしょう。そうした心の動きを観察することは、正解を見つけるきっか けになります。


3月上旬も過ぎ、新年に立てた誓いや目標をすでにギブアップという方もいるでしょう。

たとえば「ダイエット」という目標。
よほど意志の強い人でない限り、ご馳走を目の前にすると、「今日だけはいいか」と食べてしまいます。

シーナ・アイエンガー教授の「選択の科学」では、誘惑の対象から気をそらす方法を意識的に用いるようにアドバイスされています。

たとえば、クッキーをカウンターに置きっぱなしにせず、棚にしまうなど。もっと効果的なのは、そもそもクッキーを買わないこと。間食したくなっても、家の中にお菓子が なければ、お茶だけで済ませることは容易になります。

私はアルコールが好きなので、飲みすぎた翌朝、二日酔いの頭痛を抱えて後悔しながら目覚めることがよくあります。

何がいけないのか冷静に考えると、ビールの箱買い。お酒は重いのでネットスーパーで配達してもらうのですが、箱で買うとどんどん缶を開けてしまします。沖縄ですっかり ハマってしまった泡盛も、ネットで注文すると「6000円以上は送料無料」などとあるので、ついまとめ買いしてしまいます。

お酒は重くても、自分の手で買ってくること。そして、まとめ買いはやめる。
以前、ファイナンシャルプランナーに「お金が貯まる人の生活習慣」というテーマで取材したときも、「多少割高になっても、ビールはその日に飲む分だけ買う」と聞かされ ました。
反対に、好ましい習慣は、続けやすいように環境を整えること。

私は週1回の中華街での鑑定日以外、週6日はスポーツクラブに通っています。
音楽に合わせて体を動かすズンバやラテンのクラスは楽しいのですが、時々は怠け心も出ます。
運動をさぼらないように私が編み出した方法は、スポーツクラブから帰宅して、ウエアを洗濯機に入れたら、翌日のウエア一式をバッグの中にセットする習慣です。こうして おくと、翌日は躊躇する暇もなく、さっとバッグを手にとって家を出ることができます 。

この習慣のおかげで、私の体重は高校時代とほぼ変わっていません。あまり自慢できる体重ではないのですが、親戚一堂を見渡すと、肥満遺伝子を持っているらしい私にとっ ては、奇跡的なことです。

就寝前と起床直後に体重計に乗り、体重と体脂肪をカレンダーに書き込むことも、習慣にしています。多少の増減はありますが、加齢とともにずるずると太ってしまう事態を 何とか制御できているわけです。

「お酒をあまり飲まないようにしよう」「太らないようにしよう」というかけ声だけでなく、具体的な習慣に落とし込むこと。
そうすれば意志の弱い人でも、何とか目標に近づくことができます。


占い師の呼称は「先生」ですから、占いの勉強もろくすっぽしたことがなく、口からでまかせをしゃべっているだけの占い師であっても、鑑定の場に立てば「○○先生」と呼ばれます。

「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」という川柳もありますが、占い業界の慣習でもあるし、仲間内でも「先生、先生」と呼び合っています。

それでもやはり、「先生」と呼ばれることの違和感を忘れてはだめだと思います。

雑誌のお仕事でよくお世話になる小野十傳先生がこんなことを書いています。

占い師とはそれほど自慢できる職業じゃないことを頭に納めておかなくてはいけない。
そして、師匠の言葉が紹介されています。

「占い師は下から三番目の仕事」。
最低な職業は泥棒。人のものを盗んでお金を得るから。
次は乞食。座って人からお金を恵まれるから。
占い師はデタラメをしゃべってお金をもらうから、三番目に最悪な職業。

デタラメというのは言い過ぎで、ちゃんと占術理論を勉強していると反論したくなりますが、医師や弁護士のように試験に合格して資格を得ているわけではありません。
私の本業は原稿を書くことですが、出版不況が続くと将来はどうなるかわかりません。
もしかしたら占い鑑定が本業になるのかもしれないと思いつつ、できるだけライターの仕事も続けていきたと考えています。

編集者と打ち合わせして取材に行き、インタビューする。ページ数に応じた長さに調整しながら原稿を書く。書いた量、あるいは本が売れた分に応じて原稿料をいただく。
同じお金でも、ライターとして得た収入と、占い鑑定の収入は私にとって別のものに感じられます。
そして、鑑定収入がメインになってしまうと、勘違いしてしまうのではないかという懸念があります。

小野十傳先生はそのあたりの気持ちをこう書いています。

「満員電車に揺られ、上司や得意先にぺこぺこと頭を下げ、十円でも安いランチを食べ、付き合いでお酒を飲み、終電で帰宅する。そして生きていくのがやっとというほどの給料の中からローンで車や家を購入する。これが真面目な生き方なのです。これが本当の立派で偉い人間なのです。
たとえ占い師になっても、このことを忘れないでおいてください」


連日、メディアを騒がせている中島知子の洗脳騒動。
占い業界関係者としては、営業妨害をされているようなものですから、収束してもらわないと困ります。

2010年にアラン・コーエンの日本向け初の語りおろし本「魂の声に気づいたら、もう人生に迷わない」(徳間書店)の日本語原稿の執筆を担当しました。
その中で、占い師や霊能者とのつきあい方を説く「占い師や霊能者に力を明け渡してはいけない」というページがあります。
*********************
占い自体には良し悪しはなく、要は使い方です。
占いで前向きになれるのなら、それはとても良い活用法です。
「水星が逆行しているからコミュニケーションがうまくいかない」「彼は獅子座だから私と相性が悪い」といったように、占いで自分を制限するのは、良い使い方ではありません。
誤解しないでください、占いは基本的にはとてもいいものです。内なる叡智に触れ、あなたが本来持っている強さを引き出すこともあるでしょう。
ただし、占いなしには生きていけないというのは、自分で考える力を放棄していることなのです。占い師に相談しなくても、直感から多くのメッセージを受け取ることができるのです。

理想的な占いとは、自分の真実に目覚めるきっかけを与える占い師です。占い師の助言を聞いて力が湧いてきたり、良い提案だと納得できるのなら、それは良い占いです。
占い師に「こうしなさい」とアドバイスされても、直感的にやりたくないと感じたなら、従う必要はないのです。
良い占い師なら、あなたが本来持っている強さを引き出し、自分で答えを見つけるように導いてくれるはずです。だから、占い師に依存させて言いなりにしようとはしません。
占い師と波長が合うかどうかもチェックしてください。そもそも裏に足とあなたが合わないのなら、そのアドバイスにしたがって良い結果が出るはずがありません。
**********************

占い師として信頼を寄せてもらうのはとてもうれしいことですが、お客さんを依存させてはいけません。
もう一つの職業、ライターとしてアランの本を担当できたことは、とても幸運なことでした。


四柱推命では、生年月日から立てた命式を陰陽五行に基づき、風景画として見る手法があります。

たとえば私は、冬の山です。火と水に囲まれているので、火山とも取れるし、水を海に見立てれば火山島になります。

アラン・コーエンのセミナーでマウイ島へ行ってみようと思い立ったのも、友人の占い師から「マウイ島は、あなたの命式みたい」と言われたのがきっかけです。
日本国内では、山の温泉となります。

私の住んでいる杉並区では、裏磐梯(北塩原村)と保養地協定を結んでいて、区民向けツアーが開催されます。
昨年10月、そうしたツアーを利用して裏磐梯に行き、山と温泉、農作業体験を楽しみました。

この2月、裏磐梯では雪まつりが開催され、杉並区からのツアーも実施されると聞いていたのですが、雪に覆われた厳寒の地に一人に行くのは、あまりにも寂しすぎる…。
かまくらで雪見酒を飲み過ぎて、そのまま忘れ去られ、翌朝冷たくなって発見されるようなことになっては大変です。

そんなことを考えて躊躇していたら、ツアーが実施される1週間前の木曜日の夜、タロットバー・アーサに、前回の旅で知り合った人が来てくれました。ともに農作業に勤しみ、酒を飲んだ仲間です。
そして、「来週、裏磐梯の雪まつりに行く」と言うので、その場で私も参加を決めました。

というのも、タロットバー・アーサのマユー先生と九星気学の話題になり「今年は北が吉方位だから、北海道に行こうか。もっと近くなら会津あたり」と話していたからです。

そうした会話の後に、訪ねてくる人が旅の同行者となるのなら、これは行かないわけにはいかないでしょう。偶然を利用する卜術(ぼくじゅつ)を使う占い師なら、流れに乗るべきです。

脳裏に浮かんだのは、ユング心理学では有名な「スカラベ」のエピソードです。
ある患者が、金色のスカラベの夢を見て、その話をユングに語っているときに、部屋の窓に虫がぶつかります。その虫はスカラベに最も近い黄金虫だったので、合理主義者だった患者の態度が変わり、一気に心理治療が進みました。

雪まつりの夜は、エコナイトファンタジーが開催されます。凍結したれんげ沼の湖面に3000本のキャンドルが灯されます。
昨年秋の農業体験でお世話になった北塩原村役場の方にも再会できました。杉並区からは学生ボランティアも雪まつりの準備に協力しています。

湖面に輝く無数の灯りは、息を呑むような美しさです。
六十干支でたとえれば、炎は丁(ひのと)で湖は亥(い)ですから、丁亥。そして磐梯山は火山ですから戊午(つちのえ・うま)。この六十干支を命式の中に持つ私にとって、冬の裏磐梯は、まさに自分の居場所です。

翌日は会津へ。
2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台となる会津藩校日新館を訪れました。
会津藩士の子弟が四書(大学・論語・孟子・中庸)・五経(易・書・詩・礼・春秋)を学んだ藩校です。
易経を学ぶ者として、訪れてみたかったところです。
足利学校では易を兵法に活用していましたが、日新館では易経はあくまでも四書五経の一つであり、占いとして学ぶことはなかったそうです。

会津は昭和の易聖・加藤大岳を生んだ地でもあります。
裏磐梯と会津。シンクロニシティに気づき、行動力があれば、行くべき場所にたどり着くことができます。


確定申告の季節です。一年間の所得や経費を計算しながら「果して来年も食べていけるのか」と考えます。

自由業という不安定な立場ゆえに、お金の流れはとても気になります。
雑誌記事の原稿料は、振り込まれる前に金額の目安がつきますが、印税契約の単行本は 博打のようなもの。初版のみで終わるか重版になるかで、収入は大きく異なります。
また、占い師として鑑定料をお客様から直接いただくようになり、お金の流れをさらに強く意識するようになりました。

アメリカの精神世界のリーダー的な存在であるラムダス(本名リチャード・アルバート 。ハーバード大学の心理学教授職を投げ打ち、インドで修行)は、著書「BE HERE NO W」(平河出版社)でお金を「緑のエネルギー」と定義しています。

覚醒するために、ドロップアウトしてヒッピーになる必要はなく、どんな職業に就いていてもいいとラムダスは説きます。意識さえ高まっていれば、バスの運転手、医師、職 工、保険外交員、音楽家、料理長、教師など社会が要求するあらゆる役割を果たしながら光を広げることができます。何らかのサービスを受けたら、その対価として緑のエネルギーであるお金をやりとりするのです。

同じ金額を支払うのでも、感謝の気持ちを添えるのと、「払いたくない」「もっと安くならないか」と不満を抱きながら払うのでは、エネルギーの流れが異なります。
自分のもとにお金が流れやすくなるように、気持ちよくお金を支払うことを心がけています。

人相の師匠である天道春樹先生の原稿を書いていて先生の著書「開運虎の巻」(鳥影社)をぱらぱらとめくっていたら、次のような文章が目に入りました。 (この本はライターを使わず天道先生自らがお書きになっています)
ラムダスの観念的なメッセージが、天道流だとこうなります。

***********************
物を買うときに、値切り倒したり、策を用いて安く手に入れて、悦に入っている者も多いが、とんでもないことじゃ。このような連中も、貧相の種蒔きをしているのと同じじ ゃ。物の価値は、人間同士の駆け引きで決めるものではない。天が決めるのじゃよ、天が。一切が、天のものじゃ。
人間は天の物を預かって暮らしているから、天が決めた値段より安く手に入れた場合には、その差額がちゃんとマイナスの貯金となるのじゃよ。
それが溜まって、何れ思わぬ出費となることは必定じゃ。運の良いときの出費はそうでもないが、運の悪い、貧乏のときの、思わぬ出費はきついぞ。
この辺りのことが分からんようでは、しばらくは貧乏な暮らしが続くと覚悟しておくことじゃな。宇宙も、バランスで保たれているが、運命の法則も、簿記のバランスシート と同じで、きっちりと辻褄が合うようにできているのじゃよ。
*************************

デフレが続き、昔と比べてかなり安い価格で手に入るものがたくさんあります。
でも、占い師は、鑑定という目に見えない価値に対してお金をいただいているのですから、安いものばかり探すのは自重したいものです。


朝日新聞の土曜日別刷り「be」版に人材コンサルタントの田中和彦氏の「はたらく気持ち」というコラムがあります。
さまざまな職業で働く人の本音が紹介されていて、読み応えがあります。

先週の土曜日は、タクシー運転手さんの話でした。
朝から一万円札を出す客が続いて、お釣りがなくなったところに、若い女性客がワンメーター先のビルまで乗せたら、また一万円札。
「早くして」と一方的に急かすばかりの女性客。クレジットカードや電子マネーで払えることを説明しても「早く! 遅刻する!」の一点張り。 「じゃあコンビニで両替してきますから」と申し出ると「ありえない!」。
運転手さんもついにキレて「もういいよ」となったところ、若い女性は平然とタクシーを降りながら「それでもプロなわけ?」と捨て台詞を言い放ったそうです。

なんとも心が寒くなる話です。
運転手さんも気の毒ですが、この若い女性も相当、運を落としています。出勤途中だったようですが、朝からこんなことを引き起こして、穏やかな気分で仕事ができるとは思 えません。ミスを連発したり、職場だけでなくプライベートな人間関係もぎくしゃくするのではないでしょう。

お金を支払う時、エネルギーもやりとりします。
金運が好調な人は、レストランなら「ありがとう、おいしかった」という気持ちを込めてお金を払っています。

数千円の食事代なら一万円札やクレジットカードでの支払いもありでしょうが、千円未満なら、私は千円札で支払うようにしています。

これまで雑誌の開運記事でも書いたことがありますが、財布はお札を折らなくてすむ長財布がいいとか、黄色がいいという前に、お札の種類をバランスよく揃えておくことが 大切です。

私の財布には、一万円札2枚、五千円札1枚、千円札10枚の合計3万円が入っています。
帰宅すると使った分だけ補充します。
自宅にはストック用の財布もあり、銀行が混んでいない時間帯に両替機を利用して札種を揃えています。最近はコンビニなど電子マネーで支払えるところが多くなってきたの で、補充する金額は少なくなってきています。

サービスのいいお店なら、数百円の支払いで一万円札を出しても、愛想よくお釣りをくれるでしょう。
でも、お店の人は「困ったな。この人も一万円で支払いか。お釣り用の千円札が少なくなってきた。これから忙しくなる時間帯だけど、銀行に行って両替しなくてはいけない かも。銀行が混んでいたら時間がかかる…」と心の中で舌打ちしているかもしれません。
そんな状況で受け取るお釣りには、最初からネガティブな「気」が付着しています。

金運を上げたいのなら、気持ちよくお金をやりとりすること。そのために財布の中身を常に整えておきたいものです。

勝負が少しでも有利に展開するために役立つ助言ができる占い師を目指すのみです。


単に占いの勉強をしているだけでなく、実際に鑑定していると、教科書だけでは答えが出ないことがたくさん出てきます。

お客様から「同じ日に生まれても、運命が違うのはなぜ?」と質問されることがあります。

四柱推命では、まず男性と女性によって、10年ごとの大運の巡りが違います。
そして、生まれた時刻がわかっていれば、2時間ごとに時柱(じちゅう)が違います。
現在、日本では年間に約100万人の赤ちゃんが生まれています。
少子化が進行する前はもっと多く、1971年から1974年までの第二次ベビーブームの時代は出生数が200万人を超えていました。 間を取って、年に150万人の赤ちゃんが生まれるとして、365日で割ると一日約4000人。
男性と女性で半分に割ると2000人。さらにこれを12で割ると約160人。多忙な産婦人科の負担を減らすために、出産時間を調整しているなら、多少の偏りは生じるかもしれま せんが、約160人は年柱、月柱、日柱、時柱の四柱と後天運がまったく同じになります。

この160人が同じような人生を送っているわけはなく、それぞれ個性のある生き方をしているはずです。

生年月日で占う者にとっては、この謎を解くのが大きな課題ですが、一つのヒントを与えてくれるのが、次の言葉です。

Success in life comes not from holding a good hand, but in playing a poor hand well.
人生における成功は、よい持ち札を持っていることではなく、悪い持ち札でうまく勝負することである。
(Denis Waitley The Joy of Working”)

これは人生をポーカーにたとえた名言です。
いかさまでもしない限り、どんなカードが配られるかは時の運ですし、誕生日も選べません。
でも、配られたカードでゲームに臨むしかないのですから、うまく勝負する方法を工夫するしかありません。

勝負が少しでも有利に展開するために役立つ助言ができる占い師を目指すのみです。


大学生の時、アメリカ東海岸の家庭にホームステイしたことがあります。
そのお宅には小学生の男の子、マイケル君がいたのですが、母親に何かをねだって拒絶されると、よくこう言っていました。
Mom! It’s not fair! (ママ! これはフェアじゃないよ!)

日本の子供だったら、単に「おもちゃ買って、買って」と欲望を口にするだけだろうに、アメリカではこんな小さな子供でも、公平かどうか主張するんだとびっくりしました。
マイケル君は、フェアじゃないと言い放つと、「この前はお姉ちゃんに買ってあげたから、今日は僕の順番」など彼なりの根拠を述べます。

他民族社会のアメリカでは、馴れ合いで済ませるのではなく、徹底的に討論して結論を出すべきだと考えられています。異なる文化背景を持つ人々が共存するためには、フェ アかどうかという基準を設ける必要があるのでしょう。

しかし、占いをやっていると、人生は決してフェアじゃないことを痛感させられます。

四柱推命では、生年月日を木火土金水の五行に置き換えていくのですが、美しい風景画のようにバランスが取れている命式もあれば、とんでもなく偏っている命式もいます。
いつ生まれるかは自分で選べませんから、人生のスタートからまったく公平でないわけです。
生年月日だけではありません。容姿や知力、体力など持って生まれたものも、人によって大きく違います。

だけど、生まれつきによって、その後の人生がすべて決められるかというと、必ずしもそう言い切れません。
四柱推命の場合は、五行は相互に化学反応を起こして変化していきますから、どんな五行を持った人とつきあうかで、かなり運気に差が出てきます。
10年ごとに切り替わる大 運や1年後との流年の五行よりも、配偶者や共同経営者の命式のほうが運気に影響を及ぼすような気がします。子供だったら両親の命式に大きく影響されます。

同じ日の同じ時刻に生まれて、命式が同じという人でも、まったく違う人生を歩んでいるのはこのためです。

ホイットニー・ヒューストンの母親は歌手でしたから、娘の歌の才能を伸ばそうとしました。名付け親になってくれたのはアレサ・フランクリン。親戚にはディオンヌ・ワー ウィックを始め歌手がたくさんいたことで、ショービジネス界への敷居も低かったでしょう。

でも、ボビー・ブラウンと結婚し、DVにおびえ薬物とアルコールに溺れる日々に。後に離婚しましたが、結婚生活で受けたダメージは決して回復しませんでした。
ネット上には、「ボビーとさえ結婚していなければ…」というホイットニーのファンの怨嗟の声が渦巻いています。

運のいい人は占い師に指南されるまでもなく、開運につながる道を選んでいるものです。
でも、スランプに陥っていたり、迷いを感じているなら、占い師のアドバイスに耳を傾けてみてはどうでしょうか。

人生のスタートは決してフェアではありませんが、そこからの展開は個人の選択によって大きく違ってくるのです。


阪神タイガースの宜野座キャンプでは、投手と野手を入れ替えた守備練習が行われました。ピッチャー鳥谷が投げて、キャッチャー藤川が受けるといった具合。
発案者は和田豊監督。 守備の立場を入れ替えることで、お互いの立場が理解でき、協力しやすくなるという意図です。

野球では、チームワークも重要です。
野手のエラーが相次いで失点してしまった投手が「1イニングで4つも5つもアウトを取らなくてはいけないのでは、やっていられない」と悪態をついていたことがあります が、野手だって好きでエラーしているのではありません。
反対に、コントロールが定まらず、四球で走者を出してしまう投手に対して、守っている野手も「いい加減にしろ」とイライラして、思わぬエラーが誘発されたり、次回に打 席が回ってきても凡退しがちです。

シーズンが始まると、試合の結果だけでなく、チーム内の人間関係まで報道されるのは、そこに社会の縮図があるからです。

同じポジションだけを守っていると、どうしても視野が狭くなってしまいます。
頭の中では「人には親切にするべきだ」とわかっていても、いつも人から仕えられる立場にあると、つい横柄な態度をとってしまいがちです。

英語に、put oneself in someone’s shoesという表現があります。
「誰かの靴を履いてみる」、つまり、人の立場になって考えるという意味になります。

タイガースの選手たちは、人のポジションを守ってみることで、今後、チームメイトが失策を犯しても、想像力を働かせて寛大な気持ちでやりすごせるようになるかもしれま せん。

私が占いを学び始めたのは、開運原稿を書くためです。読者を想定して書いてはいたものの、やはり対面鑑定のダイレクトな反応とは違います。

週2日の対面鑑定を始めたことで、私の中で大きな気づきがありました。
直接、人と向き合うサービス業のむずかしさ。
ネガティブな表現は活字なら読み飛ばすこともできるけれど、個人鑑定では、相手の受け止め方を配慮しなくてはなりません。

たまに別の占い師さんの鑑定を受けるのも勉強になります。
表現がとても巧みで、すとんと心に届くメッセージを口にしてくれる占い師もいれば、言葉を使って人を傷付ける占い師もいます。

他人の靴を履くと、複数の視点が持てるようになります。
同じようなパターンの毎日が続いたら、意識して他人の靴を履いてみましょう。


四柱推命、九星気学では、年が改まるのは、2月4日の立春です。
と言っても、2月3日と4日で、デジタルにすべてが切り替わるわけではなく、元日あたりからじわじわと新しい年の影響が出ています。
特に2012年の干支である壬辰(みずのえたつ)は、五行の水のパワーが強いため、昨年末12月の庚子(かのえね)月あたりから、運気の流れが大きく変わってきているはずで す。

2月4日を一年のスタートとすると、感覚的に最も近いのがプロ野球のキャンプイン。
2月1日、12球団が揃って秋季キャンプを開始しました。

ケーブルテレビでスカイAの猛虎キャンプリポートを見ていたら、今年から新しくリポーターとして濱中治氏が登場しました。ユニフォーム姿も華がありましたが、スーツも なかなか似合っています。
かつては選手としてスポットライトを浴びていた場所で、マイク片手に取材する側に回った濱中氏の心中はいかばかりかと思いますが、第二の人生も充実したものになるよう 祈ります。

濱中氏は1996年、阪神タイガースにドラフト3位で入団。和製大砲として将来を嘱望されていましたが、右肩の負傷に泣かされ、スタメンから代打へ。そのうち一軍と二軍を 往復するようになり、オリックスへトレード。不振に苦しみ、ついに戦力外通告。ヤクルトに1年間在籍しましたが、2010年に引退を発表しました。

プロスポーツ選手には占いを信じている人が多いと聞きますが、人並みはずれた身体能力に恵まれ、どんなに努力しても、最後は運によって左右されることを痛感する職業だ からでしょう。
濱中氏の場合は、怪我という不運に泣かされましたが、入団した球団で、自分のポジョションがベテラン選手にずっと占められていて、出場機会が与えられず芽が出なかった という選手もたくさんいるはずです。
反対に、たまたま先輩選手が故障した試合に出て大活躍して、そのままレギュラーに定着というラッキーな選手もいます。監督やコーチ との相性も、その後の活躍を大きく左右するでしょう。
そもそもドラフト指名で入団する場合は、くじによって運命が決まるのですから、験担(げんかつ)ぎに凝ったり、占いに頼りたくなるのも当然でしょう。

一般的な職業人なら60代ぐらいが引退の目安ですが、早ければ20代、大半は30代で引退するプロスポーツの世界。今年も、運気の縮図を見るかのようなドラマが展開されるで しょう。


中華街のお店でお世話になっている王さんが台湾に里帰りして、お願いしていたイーチン・カードを買ってきてくれました。
台北には進源書局という占い専門店があり、数多くの書籍や占い道具を販売しています。

4年前、台北を訪れた時に進源書局を教えてくれたのは、世新大学日本語学科の馬君と虞さん。日本人観光客のボランティアガイドです。台湾は東洋占術の本場なので、占い 関連のお店に行きたいとあらかじめ伝えておいたら、調べてくれたのです。

進源書局では、イーチン・カードが数種類あり、王さんは選ぶのに迷ったといいますが、そこを「えいや!」と直感で買ってきてこそ、偶然性を利用して占う卜術(ぼくじゅ つ)の道具です。
たまたま王さんに目に留まったカードがはるばる海を渡って私の手元に届いたことに意味があります。

ヴィスコンティ・スフォルツァ版のタロットも同じような経緯で私の愛蔵品となりました。
休暇旅行でパリに行く担当編集者に、「もしタロットカードを見つけたら、直感で選んだものを買ってきてほしい」とお願いしたのです。
タロットを買ったのは、モンマルトルにある鰻の寝床のような小さな店だったそうです。

王さんが選んでくれたイーチン・カードは、八卦の象意が描かれ、卦辞も載っています。

たとえば、風沢中孚のカード。
湖の上を風が吹き抜ける光景です。「大川を渉るに利あり」ですから、小船に乗った人物が湖を進んでいます。また、誠意があれば、豚魚(身分の低い者の、貧しいお供え) でも、神は福を与えるとありますから、岸に描かれた二人の人物は、お供え物の準備をしているのでしょうか。
二爻の爻辞に鶴が出てくるので、このカードでも上空を鶴が飛んでいます。

易を立てる時はもっぱら筮竹を使っていますが、このカードを使いこなせばまたおもしろい占いができそうです。


先週の日曜日、吉祥寺のカイロンで伊泉龍一先生のウェイト版講座がありました。

「タロットでは、ウェイト版が入門者用と思われているけれど、決してそんなことはない」という話から講座はスタートしました。
そして「この講座を受けて、ウェイト版は複雑だからもういいやという人と、もっと学びたいという人に二分される」とも。

便宜的にウェイト版と呼ばれますが、正確にはウェイト・スミス版と呼ぶべきだと伊泉先生は強調します。
アーサー・E・ウェイトは絵のディレクションをしただけで、実際に描いたのはパメラ・コールマン・スミスだから。

パメラ・コールマン・スミスは、1878年生まれ。父親はアメリカ人の商人で、イギリス、アメリカ、ジャマイカを行ったり来たりしていました。
劇団に入団してイギリス各地を巡業した後、ニューヨークのブルックリンで美術を学びました。そしてイギリスに戻り、イラストレーターとして働き始めます。100年ほど前の女性としては、かなり自由な生き方です。
ウェイト・スミス版のどことなく軽快で親しみやすいイメージは、彼女のこうした生き方が反映されたものかもしれません。

伊泉先生の講座は、ウェイト・スミス版誕生の背景を説明するために、ゲーム用カードだった初めて占いに用いたフランスのエテイヤまでさかのぼり、クール・ド・ジュブラン、エリファス・レヴィ、そしてウェイトが所属していた「黄金の夜明け団」へと展開されていきました。

タロットを占いに使うというエテイヤの発想、ヘブライ文字の22文字を大アルカナ22枚に対応させたレヴィ。そして、神秘主義の思想を持ち込んだウェイト。
これらの天啓とも呼ぶべきものが重なって、タロットは次々と進化を遂げてきました。

東洋占術を主に学んでいる私ですが、タロットには心引かれるものがありました。
勘がよくてそこそこボキャブラリーが豊富な人なら、入門書を読んでカードの意味を覚えれば、すぐに占えるようになりますが、本格的に学び始めると実に奥が深い不思議な占術です。

伊泉先生のタロットの1年間のコースで学んだのは、マルセイユ版だったのですが、鑑定の場ではウェイト版を使っています。ウェイト版の絵に魅了されたからです。

2009年、ウェイト・スミスパック誕生100周年を記念して、復刻版が制作されました。当時の色彩を再現したタロットカードに加え、パメラの他の作品もセットになっています。そして、伊泉先生の講座で取り上げられたオカルトと神秘主義の知識がないと読み解けないウェイトの解説書THE PICTORIAL KEY TO THE TAROTも。

これほど普及しているウェイト版なのに、パメラ・コールマン・スミスは経済的に困窮した状態で亡くなりました。
「印税契約にしていれば」と伊泉先生はおっしゃっていましたが、これからウェイト版を使うたびにパメラを思い、敬意を表したいと思います。世界中で数多くのタロティストたちに愛用されていることを知れば、彼岸のかなたにいるパメラも、喜ぶのではないでしょうか。


トランスパーソナル心理学のC+F研究所のワークショップに通っていた時期がありました。
当時の私は、心理学やセラピーとは無縁の広告制作会社でコピーライターとして働いていたのですが、どこか心引かれるものがあって、吉祥寺に通っていました。

C+F研究所の創設者である吉福伸逸氏のセミナーにも何度か出席しました。
占い師となった今も、吉福氏の著作「トランスパーソナル・セラピー入門」を読み返しています。
カウンセラーやセラピストからは「占いと一緒にしてほしくない」とお叱りを受けそうですが、方法論は違っていても、到達すべき目標はかなり似ているのではないでしょうか。

セラピーの場では、母との関係性の問題が浮上してくることが多いという前置き後、吉福氏は理想のセラピストをこう描いています。
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本当に理想的なセラピストは女性であるに越したことはありません。それもできるだけ豊満な胸をした女性が好ましい。なぜなら、母と母のよき乳房との関係がセラピーに深くかかわってくるからです。そして、できるだけ人生体験を積んでおいてほしい。まず、結婚体験は不可欠で、できうれば離婚も経ていて、それも一度ならず二度三度していて、自分の子どもや近親者の死、そして本人に精神病の体験などもある50歳以上の女性ですね。

 とにかく、人生で起こりうるあらゆる艱難辛苦をしっかり体験し、それにくじけず、いま、ここに、しっかり足をつけているようなセラピストが理想です。しかし、それは本当に理想論で、実際に退行現象を起こしてよき母を求めている人からすれば、相手はべつに男性でもいいわけです。男性でも母親の役割は十分果たせますからね。アニマ・アニムスではないですが、われわれは基本的には両性具有的ですから、絶対に女性でなくてはいけないということはありません。
*********************
吉福伸逸「トランスパーソナル・セラピー入門」平河出版社268〜269ページ

占い師は人様の人生を一時的に預かる仕事です。

「いま、ここに、しっかりと足をつけているか」を常に自問していきたいと思います。


「占い師になるには、どうしたらいいのでしょう?」という質問をよく受けます。
東京近辺にお住まいなら、占術理論を効率的に学べる学校がたくさんあるので、私が学んだ学校をお教えします。

でも、理論だけを身につければ、それで占い師になれるかというと、疑問も感じます。
幼少時から霊感が鋭く、社会経験が皆無でも、ひたすら神の言葉を伝えるという特別な使命を持って生まれた人もいるでしょうが、恋もしたことがなく、組織で働いたことも ない占い師のアドバイスは相当偏ったものになる危険があると思います。

私が直接知っている占い師の中で、予約2ヶ月待ちという人気者がいます。
彼女は占い学校で私の同級生だったのですが、知り合った頃は外資系のペットフード会社で営業ウーマンをしていました。
自ら運転して郊外のホームセンターを回り、店長と交渉しながら自社の製品をいかに多く陳列してもらうかに知恵を絞っていました。
そのうち鑑定予約が殺到するようになり、会社を辞めて専業占い師となったのですが、彼女の鑑定には営業ウーマン時代に磨いた状況判断力や対人スキルがしっかり活かされ ていると思うのです。

お気楽なフリーライター商売を続けてきた私ですが、それなりに頭も使ってきました。
資格も何もない商売ですから、名乗りさえすれば誰でもライターになります。その中でいかに自分のポジショニングを確立して編集者から依頼を受けるか。「何でもやります 」というライターは、最初は仕事が舞い込んできても、得意分野を作らないと最終的には行き詰まります。
特に出版業界全体が冷え込んでいる現在では、ライターとして食べていくのは、昔よりかなり困難になっているように感じます。

ヘマをして編集者に叱責したことは数知れず。自信を持って書き上げた原稿を取材対象者に全面的に赤入れされて憤慨したこともあります。アポを取るのがむずかしい取材先 をなんとか攻略したり、締切が重なったときは時間の使い方を工夫して綱渡りをこなしてきました。
そして、制限内の文字数で伝えたいことをきっちりまとめるというライターとしてのスキルは、決められた時間内で鑑定結果を伝える占い師にも通じるものがあります。

占い学校の授業料を稼ぐためにパートタイムで働くという方には、「マニュアル通りに働くチェーン店ではなく、自分の才覚で切り盛りする個人商店みたいなところで働きな さい」とアドバイスします。
時給が多少安くても、そこで学ぶことは多いからです。むずかしいお客さんのクレーム対応は、たしかに精神エネルギーを消耗しますが、その経験が占い師となったときに必 ず活きてきます。


阿佐ヶ谷のタロットバー・アーサで天道春樹先生の鑑定イベントを主催しました。
気心の知れた占い師が6名集まり、天道先生に順に占ってもらうという公開リーディングです。
鑑定でありながら、人相と易の講座でもあり、密度の濃い時間となりました。

イベントは5時スタートなので、天道先生とは4時50分にJR阿佐ヶ谷駅の改札で待ち合わせることにしました。

イベントの2日前にイーストプレスの天道先生取材がありました。そのときに気付いたのですが、取材場所であるホテルのラウンジに、天道先生はライターである私や編集者よりいつも先に到着しています
待ち合わせ場所が駅の改札ですから、先生をお待たせするわけにはいきません。そこで、4時40分に向かいました。先生はまだいらっしゃいません。ほっとして、改札に目を凝らして先生をお待ちしていたのですが、なんと先生が現れたのは背後から! 初めての駅だったので、20分以上前に着いて駅前を散策していたようです。

優れた占い師は、鑑定内容だけでなく、生き方自体が人生の指針を示すものなのでしょう。
占い師は、未来を占ってアドバイスを与える役割なのに、遅刻したりドタキャンしているようでは、論外です。「何時にどこに行く」という単純な未来さえもあやふやだということですから。

携帯電話の普及により、待ち合わせには少々遅れても平気という風潮もあります。
信頼関係のある人ならそれもいいでしょうが、約束はきちんと守りたいもの。ぎりぎりで間に合うようなゆとりのない生活をしていると、運気は徐々に低迷します。

天道先生のイベントの翌日、首都圏は朝から雪でした。電車は遅れがちで、混み合っています。「次の電車をお待ちください」というアナウンスがあり、きちんと整列して次の電車を待つ人を横目に無理やり電車に体をねじこもうという人がいました。
それぞれ事情はあるのでしょうが、電車がますます遅れる原因となり、乗客からのネガティブな「気」を一身に受けることになります。

小刻みに予定を詰め込んで、時間を活用しているような気になっていても、約束に遅れるようでは、信用を失います。
スケジュールにはゆとりをもって、不可抗力の事態で遅刻することになっても、「あの人ならしかたがない」と思ってもらえるように、日頃から気をつけたいと思います。


今回の沖縄滞在は、そうちゃんと再会できれば、あとはロワジールホテルの温泉でのんびりする予定でした。
でもやっぱり沖縄らしいところにも行ってみたい。そう思って行きのJAL機内でもらった小冊子を見ていたら、スケジュールに合わせてガイドをしてくれるツアーガイドショップ「エミューツアー」というのが目に入りました。
観光バスでスケジュール通りに動くスタイルではなく、一人から参加できる手作りの旅のようです。

那覇空港に到着して、早速エミューツアーに電話していたのですが、留守電。大規模な会社ではなくアットホームなところのような気がして興味がわき、メッセージを残しました。
その日の夕方には折り返し連絡をいただき、テレビ番組撮影ロケのコーディネイトをしていたため電話に出られなかったとのこと。これはますますおもしろそうです。
翌日午後の沖縄南部パワースポット巡りをお願いしました。

当日お会いした、エミューツアーの伊藝(いげい)さん。いかにも大らかで陽気なウチナンチューです。
少年野球のコーチもなさっていて、プロ野球の沖縄キャンプは10球団すべて見に行くとのこと。特にどこの球団のファンというわけではなく、とにかく野球が好きなんだそうです。阪神タイガースが負け続けると観戦が苦痛になる私にとっては、そんな見方もあるんだと新鮮な驚きでした。

そんな話をしながら、琉球王朝最高の聖地、斎場御嶽(せーふぁうたき)へ。
「緑の館・セーファ」という立派な建物は、前回訪れた時にはありませんでした。聞けば、パワースポットブームで来訪者が一気に増えたとのこと。嶽内へ入る参道も整備されていました。

拝所の三庫理(さんぐーい)からは、琉球の創生神であるアマミキヨの上陸地である久高島を望むことができます。
三庫理に隣接する場では二つの巨大な鍾乳石から雫が滴り落ち、壺へ溜められています。壺に溜まった水量で国の行く末を占ったり、儀式にも使われます。
こうした神聖な場所を訪れるたびに、天との通路が開け、易やタロットの的中率が上がるのではないかと期待しています。
ご神体が山である奈良の大神神社に登ったときも、天から直接メッセージがいただけるような気がしましたが、斎場御嶽も天と地をつなぐ場所です。

斎場御嶽のほかには、ヤハラヅカサ、浜川御嶽、垣花桶水、糸数グスクを巡りました。
アマミキヨが本島に降り立った最初の地であるヤハララヅカサは、ちょうど干潮時だったので石碑を見ることができました。沖縄生まれの伊藝さんから琉球創生神話を聞きながら海岸に立つのは貴重な体験でした。

旅に出るのは、日常生活から離れ、人生に新鮮な風を入れること。この体験は、原稿執筆や占術にも活かされていくはずです。


沖縄に遊びに行きました。
寒がりの私にとっては、冬の沖縄はとても快適ですし、オフシーズンであまり混んでいないのでゆったり過ごせます。

宿は那覇のロワジールホテルに決めています。
沖縄には珍しく温泉があり、露天温泉はぬるめのお湯。沖縄の空を見上げながら、長湯が楽しめます。

ロワジールホテルへは、那覇空港からゆいレールで旭橋まで行き、サンシャイン通りを歩きます。
まず目につくのは「バー・バード」に「居酒屋・通りがけ」。
しばらく歩くと、右手にちょっと入ったところに「スーパー・いろいろ」。さらに歩くと左手に沖縄そばの「かめかめそば」。
こうした脱力系のネーミングで心が一気にゆるみます。

アラン・コーエンのマウイ島リトリートで知り合った、そうちゃんと再会できました。
世界的なベストセラー作家であるアラン・コーエン初の日本人向け語り下ろし本の原稿を依頼されたのが一昨年のこと。幸運にも版を重ね、重版分の印税が入ってきました。
このお金は貯め込まずに何か意味のあることに使おうと、昨年6月にマウイ島に行きました。

どうせなら仕事にしたいと、開運雑誌「ららはぴ」編集長にリトリートの記事を載せてもらえないか打診してみました。
編集長は快諾してくれましたが、問題は写真。編集部から依頼される企画ならカメラマン同行ですが、持ち込みならライターが原稿も写真も納品しなくてはなりません。
デジカメを新調してマウイ島に乗り込んだものの、やはり写真はいまひとつ。どうしたものかと思っていたところ、本格的なデジカメを構えてバシバシ撮影しているそうちゃんがいたのです。
プロのカメラマンではないけれど、趣味は写真で、腕前は相当なもの。

これはちょうどいいと、「ららはぴ」への写真提供をお願いし、そうちゃんの写真は編集部から高い評価を受け、5ページの大特集となったのです。

そうちゃんとは、マウイから帰国後の横浜中華街アラン同窓会でも再会し楽しい時間を過ごしました。
その後、そうちゃんは沖縄転勤となりました。
できたら会いたいと連絡してみました。職場は宜野湾市なので無理かなと思ったのですが、勤務後わざわざ那覇まで出てきてくれました。

サンシャイン通りのバー・バードで再会の祝杯。
マウイ島、横浜中華街、那覇。縁のある人とは地球のどこでも会うことができます。
そして同じ東京に住んでいても縁のない人とは、いつまでたっても会えないのでしょう。

占いによって無理やり縁を作ることはできませんが、巡りあわせによって生じた縁を豊かに育てていくためのヒントは得られます。


好きな小説家は、平安寿子(たいら・あすこ)とアン・タイラーです。

初めて読んだ平安寿子の小説は「あなたがパラダイス」。
週刊朝日の連載をリアルタイムで読んで、なんておもしろいんだろうと感動しました。更年期と義理の両親の介護で消耗しきった女性が、夢中になるものを持つことで生きる意欲を取り戻すエピソードが満載です。

平安寿子というペンネームは、アメリカの小説家アン・タイラーにあやかったものだと知り、こんなおもしろい小説を書く人が好きな小説だからすばらしいに違いないと確信しアン・タイラーも次々と読み、大いに楽しんでいます。
アン・タイラーの小説で描かれるのは、「この人と結婚して本当によかったのか」という迷いや、意のままに育たなかった息子や娘への失望など。そのまま占いのテーマになる話ばかりです。

ボブ・ディランという芸名はウェールズ生まれの詩人、ディラン・トーマスから取ったという説がありますが、自分が夢中になったものにあやかるのは、とてもいい命名法だと思います。

私の占い師名・翡翠輝子は、水晶玉子先生にあやかったものです。
水晶で玉子なら、翡翠ときたら輝子だろうというノリです。

占い雑誌のライターとして水晶玉子先生を取材したのがきっかけで、その占術にすっかり感服しました。水晶玉子先生の四柱推命の特集の原稿を書くことになり、基礎からしっかり学ぶ必要があると痛感しました。
プライベートでも仲良くしていただき、一緒に出雲や戸隠神社の吉方取りをしたこともあります。私が最初に通った占い学校の存在を教えてくれたのも水晶玉子先生です。

水晶玉子先生は大らかな人ですから、私の占い師名をおもしろがり、「そのうち水晶玉子より翡翠輝子が有名になるかもよ」なんておっしゃってくれました。
占い師のくせに画数は考慮していません。画数で吉凶を占う姓名判断は日本独自のもので、世界的にはマイナーな占術ですし、画数にこだわって不自然な名を名乗るよりも、その名が生まれたプロセスのほうが意味を持つと考えています。


対面鑑定で「言葉の力」をいかに使うかを考える日々ですが、こうして文章を書くことも、鑑定へとつながっています。

というのも、「ブログを見て」と鑑定予約をしてくださるお客様が出現するようになったからです。

ブログをスタートした当初、想定した読者は編集者でした。
ライターとして占い師の先生を取材して原稿を書くところから一歩進んで、女性セブンやイースト・プレスの恋運暦で「翡翠輝子」という占い師名で記事を掲載するようになり、他誌からもオファーされやすいようにホームページを作成しました。

目論見通り、新雑誌から取材や執筆などの依頼をいただきましたが、対面鑑定の予約も舞い込むようになったのです。

横浜中華街大通りに面した華陽園では、大半が「振り」のお客様です。おいしい中華料理を食べて、時間もあるから占いでもしようかと、ふらりとお店に入り、たまたま私が担当することになります。

人相の師匠の天道春樹先生は、大家となった今でも街占を続けられています。
「その日の風向きによって、社長からヤクザ、主婦までどんな客が来るか予測できないからこそ、真剣勝負となり、街占はおもしろい」とおっしゃいますが、私はそこまでの度胸はないので、お客様が目の前に座るたびに緊張します。

一方、阿佐ヶ谷のタロットバー・アーサは、ビルの2階にあり、一見さんはまず入ってこない店です。鑑定は予約制で、あらかじめ生年月日をお聞きして四柱推命の命式を立て、あれこれ予測しながらお客様の到着を待ちます。
初対面のお客様でも「ブログを読んでいます」と声をかけていただけると、私は一気に気持ちが楽になります。その時点で、私がどんな占いを目指しているかをわかってくださっていると思うからです。

活字メディアの衰退で、雑誌のライターは昭和40年代の炭鉱夫と同じような運命をたどるのかと悲観していたのですが、ネットに文字を綴ることで、新たなご縁が生まれます。
時代の変化を恐れるだけでなく、新たな時代がもたらす恩恵に感謝したいと思います。

ボブ・ディラン先生もこう歌っています。

And admit that the waters
Around you have grown
And accept it that soon
You'll be drenched to the bone.
If your time to you
Is worth savin'
Then you better start swimmin'
Or you'll sink like a stone
For the times they are a-changin'.

まわりの水位が高くなっていることを認めよう。
そしてすぐに、骨までびしょぬれになることを受け入れよう。
もしあなたの人生が価値のあるものなら、泳ぎだしたほうがいい。
そうしないと、石のように沈んでしまう。
時代は変わっているのだから。

この曲が作られたのは60年代というのが驚きですが、いつの時代も絶え間なく変化が続いていたわけで、今だけが大変というわけではないのでしょう。


お正月はボブ・ディランとザ・バンドのDVDばかり見ていました。


1997年にテレビ東京で放映された「ボブ・ディラン・ライブ・コンサート・スペシャル 激しい雨」の映像を昨年、手に入れました。 この時期のディラン先生のライブはどこか神がかっていて、ライブCDの「激しい雨」に何度も聴き入っていたのですが、映像も見飽きることがありません。

私は高校時代にディラン先生に出会い、その言葉の力に圧倒され、本気で英語を勉強しようと決意しました。
大学に入るための受験勉強ではなく、思いを伝えるための言語として英語を学ぼうとしたことは、その後の私の人生を大きく変えました。だから、敬意を込めて「ディラン先生」と読んでいます。原稿を書くという職業に就き、占い師となったのも、ディラン先生のおかげです。

「激しい雨」の映像にはディラン先生のこんなお言葉が挿入されています。
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詩人であるためには、必ずしも詩を書かなくていいのです。
ガソリンスタンドで働いていて、詩人だという人もいるんです。
私は、自分では詩人とはいいません。
軽業師と呼んでください。
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「激しい雨」「愚かな風」など圧倒的な詩の力があふれる曲を生み出す一方で、こんなジョークを言ってのけるのです。

ガソリンスタンドで働く詩人がいるのなら、占い師で詩人がいてもいいはずです。
それが私の目指しているものです。

私の場合、対面鑑定より原稿執筆という形で占いに関わってきた年数が長いので、どんな言葉を使うかがテーマでした。雑誌によって読者層は変わってきますし、読者が知りたいのは、占術理論ではなく、「私の運勢」です。
占いライターは、知識の深さより、文章作成能力のほうが要求される仕事だと思います。いくら英語ができても、日本語が達者でなければ通訳や翻訳ができないのと同じです。

そして対面鑑定でも、言葉の力は必要です。
鑑定は占い学校の授業ではないのですから、専門用語を羅列して、いかにも高度な占い理論を駆使しているように見せかける占い師はどうかと思います。
占的(占いで知りたいこと)、性別、年齢、家族構成、職業などに応じて、言葉を選んでいく必要があります。
そして、原稿書きとの大きな違いは、推敲ができないことです。即興詩人として、心に届く言葉を紡いでいくのは、容易なことではありませんが、とても大きなやりがいがあります。


東洋占術では立春を一年のスタートとして年の干支が改まるので、正確には2月4日から壬辰の年となります。でも、新年を迎え、徐々に新しい「気」が満ちています。
壬辰は木火土金水の五行では水行が強い年ですが、12月が庚子の月だったこともあり、水行の勢いは昨年の年末からかなり強くなっているからです。

天干・地支の組合せは60パターンあり、天干に壬があるのは、壬子、壬寅、壬辰、壬午、壬申、壬戌の6つです。
壬子は、天干・地支ともに水で比和。壬寅は天干が地支を生じ、壬申は地支が天干を生じる穏やかな関係です。

天干と地支が相剋となるのは壬辰、壬午、壬戌。壬午は水と火の激しい剋ですが、大海原の水平線から太陽が昇る景観とも見ることができます。壬辰と壬戌は水と土の剋。戌の土はしっかりしているので、壬戌は山中の湖のおだやかなイメージがあります。一方、壬辰の土はたっぷりと水を含んだもろい土で、波によって崩れそうな危うさを含んでいます。

2012年がどんな年になるか占うのに参考となるのは、前回の壬辰年、1952(昭和27)年です。
1952年、サンフランシスコ講和条約により第二次世界大戦が完全に終結。日本ではGHQが廃止されました。
GHQによる占領が解除された3日後、5月1日のメーデーでは、デモ隊が皇居前広場に乱入し、警官隊と衝突。「血のメーデー事件」です。災害では十勝沖地震が起きています。

さらに60年をさかのぼり、1892(明治25)年の壬辰年には、第2回総選挙を巡り各地で争乱が起き、全国で死者25人、負傷者388人が出る事態となりました。
どうやら2012年も政治がらみで不穏な一年になりそうですが、軸足をしっかりと保ちつつ、運気の流れを上手に利用していきたいものです。

若い人なら次の壬辰年(2074年)を迎えることができるかもしれませんが、大多数の人にとっては、生涯最後の壬辰の年となります。
「今年は運が悪い」という事象だけを当てても、あまり意味がありません。壬辰の性質を知り、どうやって開運していくかを考えましょう。