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このページは翡翠輝子が日々感じた占術的な事象を気ままに書き綴るコーナーです。

2010年の日記はこちら→

東洋占術では立春を一年のスタートとして年の干支が改まるので、正確には2月4日から壬辰の年となります。でも、新年を迎え、徐々に新しい「気」が満ちています。
壬辰は木火土金水の五行では水行が強い年ですが、12月が庚子の月だったこともあり、水行の勢いは昨年の年末からかなり強くなっているからです。

天干・地支の組合せは60パターンあり、天干に壬があるのは、壬子、壬寅、壬辰、壬午、壬申、壬戌の6つです。
壬子は、天干・地支ともに水で比和。壬寅は天干が地支を生じ、壬申は地支が天干を生じる穏やかな関係です。

天干と地支が相剋となるのは壬辰、壬午、壬戌。壬午は水と火の激しい剋ですが、大海原の水平線から太陽が昇る景観とも見ることができます。壬辰と壬戌は水と土の剋。戌の土はしっかりしているので、壬戌は山中の湖のおだやかなイメージがあります。一方、壬辰の土はたっぷりと水を含んだもろい土で、波によって崩れそうな危うさを含んでいます。

2012年がどんな年になるか占うのに参考となるのは、前回の壬辰年、1952(昭和27)年です。
1952年、サンフランシスコ講和条約により第二次世界大戦が完全に終結。日本ではGHQが廃止されました。
GHQによる占領が解除された3日後、5月1日のメーデーでは、デモ隊が皇居前広場に乱入し、警官隊と衝突。「血のメーデー事件」です。災害では十勝沖地震が起きています。

さらに60年をさかのぼり、1892(明治25)年の壬辰年には、第2回総選挙を巡り各地で争乱が起き、全国で死者25人、負傷者388人が出る事態となりました。
どうやら2012年も政治がらみで不穏な一年になりそうですが、軸足をしっかりと保ちつつ、運気の流れを上手に利用していきたいものです。

若い人なら次の壬辰年(2074年)を迎えることができるかもしれませんが、大多数の人にとっては、生涯最後の壬辰の年となります。
「今年は運が悪い」という事象だけを当てても、あまり意味がありません。壬辰の性質を知り、どうやって開運していくかを考えましょう。


新年を前に、「来年こそは」と決意を新たにしている人も多いことでしょう。
ダイエット、お酒を控える、貯金するなど、目標を立てるものの、新年を迎えて数日もすれば、お正月太りした体に気づき、二日酔いになるほど飲み、バーゲンセールの熱気にあおられ不要なものまで買い込むというパターン。
一時の欲望に負けることなく、充実した人生を送るためのヒントが、NHK・Eテレ「選択の科学(コロンビア白熱教室)」で紹介されていました。

教材となったのは、「マシュマロ実験」です。
被験者は4歳の子供。大好物のマシュマロを一つもらい、こう言われます。
「このマシュマロは君のものだけど、まだ食べちゃだめだよ。もし私が戻ってくるまで待てたら、ご褒美にもう一つあげる。待ちきれなくて、どうして食べたくなったら、食べていいけれど、一つしか食べられないよ」

子供は、マシュマロ一つより二つのほうがいいので、待とうとします。しかし我慢は続かず、食べてしまった子供もたくさんいました。

これは1960年代に心理学者のウォーター・ミッシェルが実施した著名な実験です。
「選択の科学」のシーナ・アイエンガー教授によると、実験は続行中で、誘惑に負けてマシュマロを食べてしまった子供と、待ち続けて二つもらった子供の追跡リサーチは今も行われています。我慢できた子供は成績もよく、高い所得を得て、離婚率も低いそうです。

大人も4歳の子供もそんなに変わりません。
人生で出会う「マシュマロ」を我慢できず、一時的な満足を得るものの、翌日には苦い後悔を味わうのです。

解決策の一つとして、アイエンガー教授が紹介したのは、誘惑の対象から意識的に気をそらす方法です。
クッキーをテーブルの上に出しっぱなしにしたままでダイエットするのはむずかしいけれど、お菓子類を一切買わないようにすると、わざわざ買いに行ってまで食べようとはしない可能性が高いのです。

マシュマロ実験でも、皿の上にふたをかぶせてマシュマロが見えないようにしたり、おもちゃを与えると、我慢できる子供がぐっと増えたそうです。

お酒を控えたかったら、ビールのケース買いは、やめましょう。出費を減らしたかったら、クレジットカードを持ち歩くのは、やめましょう。


お掃除風水の第一人者、林秀靜先生に、来るべき壬辰(みずのえ・たつ)年について取材しました。

来年は辰年ということは誰でもご存知でしょうが、辰の上に壬(みずのえ)が乗るのは60年に一度。甲乙丙丁(こうおつへいてい)…の十干が10個、子丑寅卯…の十二支が12個で、10と12の最小公倍数である60で干支は一回りするのです。

誰でも生まれて60年たてば、生まれた年と同じ干支が巡ってきます。暦が一回りして元に戻ったので、「還暦」というわけです。
さて、壬辰の年ですが、壬は五行の水行、辰は土行で一見すると土剋水で両者の力が拮抗しています。
しかし、辰は水をたっぷり含んだ土ですから、水の勢いはかなり強くなります。
四柱推命で水を喜ぶ命式の人なら、大躍進の年となりますが、水を忌む命式なら大変です。

雑誌向きにキャッチーな見出しが欲しいので、「60年に一度のウォーター・ドラゴンの年」と名付けました。
ほとばしる水流に乗ってドラゴンがぐんぐん進むイメージです。
このドラゴンは勢いが強く、制御するのはかなりむずかしそうです。


「風水の本場である中国には、お掃除風水なるものは存在しない。あんなものは子供だまし」という批判をよく耳にします。
女性誌に開運原稿を書く立場としては、それを言われてはとても困ってしまいます。龍脈を捜すとか、陰宅風水でお墓を整えるなんて記事になりませんから。

たしかに風水の古典には掃除の効用なんて書いていないでしょう。
でも、風水が成立した古代中国と現在の日本の暮らしを比べてみてください。
衣服は季節ごとに替えがあればいいほうで、食器も一人2、3個ぐらいでしょうか。新聞や雑誌もないし、DMが送られてくることもありません。物が少ないので、室内が散らかることはないでしょう。
そんな環境で玄関の方位や間取りを風水的に整えれば、ストレートに効果が出るはずです。
しかし、現在の日本では、風水調整の前にまず片付け、掃除という住まいが大半ではないでしょうか。

  今年も残すところ10日を切りました。
ゴミ収集日をチェックし、なるべく身軽な暮らしを目指して、どんどん捨てていきます。
指針となるのは、イギリスの工芸家、ウイリアム・モリスの名言です。

Have nothing in your house that you do not know to be useful, or believe to be beautiful.
役に立たないもの、美しいと思わないものを、家に置いてはならない。


傑出した人物の自伝には、凡庸な開運本とは比べ物にならないほどの知恵が詰まっています。
アガサ・クリスティー自伝には、興味深いエピソードが満載ですが、私が最も気に入っているのは、彼女の二番目の夫が結婚を決意した話です。

クリスティーの最初の結婚はみじめな結果に終わりました。夫が若い女性と浮気し、離婚を望んだのです。失踪事件を起こすまで、落ち込んだクリスティーですが、徐々に立ち直り、中東旅行に出かけます。
このときに出会ったのが、14歳年下の考古学者、マックス・マローワンです。
砂漠の中に孤立した街、ウカイディルに出かけ、青々と輝く湖を楽しんだ二人ですが、帰路、車が砂の中に沈んで動かなくなります。

マックスと運転手は鉄板やシャベルで車を引っ張り出そうとしますが、何時間たっても解決しません。
とても暑い日だったので、クリスティーは車の陰に横になると、眠ってしまいました。

マックスは、このとき、結婚を決意したそうです。
「全然騒ぎたてない! 文句もいわないし、ぼくのせいだとか、こんなとこに止まってどうするんだとかもいわない。まるでこれから先へ行っても行かなくても一向にかまわないみたいな様子だった。そのとき、ぼくはあなたをすばらしい人だと思うようになった」
(アガサ・クリスティー自伝 ハヤカワ文庫より)

何が起こっても動じずに、相手を責めない寛大な姿勢。
料理を習ったり、メイクやファッションに凝るよりも、男性に結婚を決意させる効果があります。

こう書きつつも、私にはこうした寛大さが欠けています。 広告・編集業界で長く働き、段取り・仕切りがヘタだとよく叱られていました。そのトラウマからか、人も批判的に見る傾向があります。 現在は一人でコツコツ原稿を書く仕事が多いので、何が起こってもそのプロセスを楽しむ心のゆとりを持ちたいものです。


アガサ・クリスティーは、年に1回、クリスマスシーズンに新作を発表していました。
そこで出版社が作ったのが、「クリスマスにはクリスティーを」というキャッチフレーズ。というわけで、クリスマスが近づくとクリスティーを再び読みたくなります。
名探偵ポアロやミス・マープルが登場するミステリーも夢中になって読みましたが、私が最も感銘を受けたのは、アガサ・クリスティーの自伝です。

若い頃のクリスティーの志望は小説家ではなくピアニストでした。あれほどの文才の持ち主なのに、意外な気がします。
彼女は留学までしてピアノを勉強しています。
そして、イギリスに帰国する直前、「私はプロのピアニストになれるか?」と教授に尋ねました。
クリスティーによると、教授は親切だけど嘘は言わない人だそうです。
答えはノー。「あなたは聴衆の前で演奏する気質を持っていない」と告げられるのです。

がっかりしたクリスティーですが、やはり彼女は非凡な人です。
教授に「本当のことをいってくださってありがとう」と感謝し、こう決意します。
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そのことでわたしはしばらくみじめだったが、もうくよくよしまいと一生懸命に努力した。望むことが達せられなければ、そのことをはっきり認めて、愛惜と望みにくよくよする代わりに前へ進むことである。そうしたすげない拒絶が早くやってきたことが、私の将来のためになった。 (アガサ・クリスティー自伝 ハヤカワ文庫)
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占い師にとっては、とても考えさせられるエピソードです。
「あなたには才能がある」「彼との相性は最高」など、お客さんが聞きたい言葉だけを並べていれば、喜ばれ、感謝されるでしょう。

あえて苦い言葉を口にすることで、その人にとってもっと向いている道に目を向けてもらう。そんな姿勢の占い師のほうが、長い人生にはプラスになると思います。


今年買ってよかった最大のものが、電気圧力鍋です。

圧力鍋を買おうと思ったのは、11月。裏磐梯から大きな段ボール箱一杯に野菜が送られてきた日です。
5本の大根をどうやって食べきるかを考えるているうちに、圧力鍋がどうしても欲しくなったのです。
数ヶ月前に、地元の秋田居酒屋で食べた肉じゃがが、すばらしくおいしかったので、「 どのくらい煮込みますか?」と聞いたら、「圧力鍋で」と答えられたこともありました。

圧力鍋を買おうと決意したものの、選ぶのはけっこう大変でした。
シーナ・アイエンガー教授が「選択の科学」で説くように、選択肢が多すぎて決められないのです。

フィスラーやティファールなどの外国製の圧力鍋は1万円以上しますが、日本製なら数千円からあります。しかも各社とも、さまざまなタイプを発売しています。ガスやIHにかける鍋の他にパナソニックは電気式の圧力鍋も出しています。
ネットの掲示板を参考にしようにも、「品質は価格に比例する」「価格ほどに差がない」という声があり、ますます選べなくなってしまいました。
資本主義の豊富な商品がどっと乱入し、どれを選べばよいのかわからず「昔のほうがよかった」と嘆く旧社会主義国家の人の気持ちがよくわかりました。

こんなとき、私は易を立てます。
とりあえず、フィスラー、ティファール、パナソニックの3つのメーカーでそれぞれ立筮しました。
フィスラーは沢火革(たくかかく)の三爻。止水(沢)を火にかけるのですから、料理には適しているようですが、三爻を変じて坎になると、水がこぼれます。扱いを間違えて吹きこぼれるか、火傷しそうです。

ティファールは地天泰(ちてんたい)の上爻。地天泰自体はいいのですが、上爻は安泰な状態が崩れていくプロセスです。扱いに失敗しそうです。伏しているのは山天大蓄。 結局、使わなくなって死蔵する恐れもあり。

パナソニックは地山謙(ちさんけん)の三爻。一見、料理とは関係なさそうなのですが、「労謙ス」の爻辞がすっと浮かびました。卦の中で唯一の陽爻として、黙々と働くイメージです。陰の中に一つだけ存在するある陽が三爻です。陽をもって硬いもの、陰をもって柔らかいものと見ると、圧力鍋で素材を煮込んで柔らかくするという用途に最もぴったり来ます。これなら活用できると思いました。

爻辞はとても含蓄に富んでいますが、得られた卦の爻辞だけでは判断しません。だいたい圧力鍋なんてものは易経が成立した時代には存在しなかったのですから、占的のすべてを爻辞がカバーすることはありません。爻辞も参考にしながら、算木を見つめて、占的と得卦の関係を推理していきます。

よく考えたら、圧力がかかったらタイマーで時間を計って火力を調整するなんて、かなりの確率で失敗しそうです。ワイングラス片手にほろよい気分で料理することも多いのですきから。
その点、パナソニックならマイコン制御ですから、炊飯器と同じです。材料を入れて時間をセットしてスイッチを入れれば、後は放置するだけ。

野菜だけでなく、豆を煮たり、玄米を炊いたり、大活躍です。
寒い日は、じっくり煮込んだ一品は重宝します。電気圧力鍋は、日々、労謙してくれています。


冬至まで2週間を切りました。
今年の冬至は、12月22日(木)の14時30分です。
一年のうちで日照時間が最も短く、夜が最も長くなるのが冬至です。
易者にとっては一年で最も重要な日であり、これから一年のなりゆきの易(年筮)を建てます。

冬至は陰が極まる日です。冬至を過ぎても寒さは続きますが、日の長さは着実に長くなり、陽の力が少しずつ強くなっていきます。「一陽来復」と呼ばれる転換のタイミングであり、陰陽八卦で占う易者にとっては特別な意味があるのです。

去年の冬至に得た年筮は「雷火豊(らいかほう)」の上爻(じょうこう)。
「雷火豊」自体は、勢いがあるおめでたい卦なのですが、上爻は凶。
「商売が儲かり、いい気になって大きな家を建てたら、屋根が大きすぎて日が差さず、戸口から覗いてみても人の気配がない」という不吉な爻辞です。

もし五爻なら「章を来たせば、慶誉(けいよ)あり」という文筆業にとって最高の爻なのに、行き過ぎています。これはかなり苦しい年になりそうだと、暗澹としました。

2011年、出版業界全体の不況に加え、3月には東北大震災。占いや開運記事の需要は大きく落ち込み、占い雑誌MISTY休刊という衝撃のニュースもありました。
私にとって救いだったのは、これまでにライターとして関わった単行本で重版になったものが多く、ちょくちょく印税が振り込まれてきたこと。五爻の「慶誉」のおこぼれがもたらされて一息つけました。

上爻を陰から陽に転じると「離以火(りいか)」。
八卦では、占いを示すのは離です。離か二つ重なる「離以火」は、占い場所が二箇所になるという暗示だったのでしょう。横浜中華街・華陽園に加えて、11月からは阿佐ヶ谷のタロットバー・アーサでの鑑定も始まりました。
年筮を立てた時点で「鑑定場所が増える」と予測していれば名占ですが、現実に事が起こってから「これはこういう意味だったんだ」とわかるのが未熟なところです。

ともかく、冬至までに身辺を整理し、今年も心して年筮を立てなくては。
大掃除は年末を目処にするのではなく、冬至までに済ませること。これが当面の目標です。


NHKのETVでコロンビア大学ビジネススクールのシーナ・アイエンガー教授の講義が放映されています。

テーマは「選択」。
教鞭をとるのは、敬虔なシーク教徒の両親の元にインド系アメリカ人二世として生まれ、高校生になる頃には女性です。

シーク教徒は衣食住、職業、結婚はすべて宗教上の掟と両親の意向によって決められます。そこには個人の選択が入る余地はまったくありません。アイエンガー教授の両親の結婚も、家同士によって取り決められ、結婚式が終わって初めてお互いの顔を見たそうです。

そんな家庭に育ちながらアメリカの公教育を受けたアイエンガー教授は、自分のことは自分で決めるのが当たり前であり、すべての人は選択の権利を持つと教えられます。
相反する二つの文化に接したことにより、教授は社会心理学の研究テーマに「選択」を選びます。

さまざまな調査や実験データを駆使して、人間にとって「選択」とは何かを解き明かしてくれる講義は、占い師にとって非常に興味深いものです。
「最近冷たくなった彼と別れて、新しい恋を探すべきか」
「事業の後継者をAさんにすべきか、Bさんにすべきか」
「海外旅行の行き先は、香港かハワイか」
「定年後も東京に留まるか、故郷に帰るか」
占い師は、日々、選択のための助言を求められます。

暦を開き、手相をチェックし、タロットカードや筮竹を捌くことで、人間に与えられた「選択」という力を最も効果的に使う方法を探るのが占い師だと思います。


風水の黒門先生によると、水の流れはお金の流れに通じます。
農耕社会だった中国では、河川を使って作物や生活必需品を交易していました。川の流れをうまく使った人が富を得たのですから、風水では水をとても重要視します。

風水の開運術の一つに、その人にとって財を表す方位に動く水を置くという方法があります。その水は、止まった水ではなく、動く水でなければなりません。
一般家庭なら金魚鉢になるし、風水師が設計するビルなら、人工的な滝や噴水を配置します。シンガポールのビル街では、いたるところで流れている水を目にしました。

シンガポールで観光船に乗りリバークルージングをすれば、水の流れが富につながっていったこの国の歴史を強く実感できます。
かつては素朴な漁村だったシンガポールが一大金融都市として発展を遂げたのは、水の利がよかったからです。
中国から渡ってきた福建商人たちは、川のほとりに住み着きました。そして、プライベートバンキングで資金を調達しながら商品をやりとりし、ビジネスの規模を広げていきました。屋根が高ければ高いほど成功を示すので、少しでも大きな建物を建てようと骨身を惜しまず働きました。

そうした積み重ねにより、見上げるような高層ビルが立ち並ぶ金融街ができあがっていったのです。
そして現在、シンガポール川ほとりのボート・キー、クラーク・キー(キー:quayとは波止場の意)にはしゃれたレストランやバーが並んでいます。
短い滞在だったので、酒場のハシゴをしても、行けなかった店がたくさんあります。いつか再訪して、リバーサイドのテラス席でグラスを傾けたいものです。


赤道直下の常夏の国、シンガポール旅行から帰ってきました。
カオス的なパワーがある香港に対し、シンガポールは国家が一丸となって繁栄しようという強い意志力を感じさせます。

ゴミのポイ捨てには罰金が課せられ、チューインガムは美観を損ねるので持込禁止。
優秀な国民を増やすために、高学歴女性に出産を奨励し、出産奨励策として、税金免除や公営住宅優先入居なども実施されています。日本でこんな案を出したら、学歴差別だと強い批判を浴びることでしょう。

1980年半ばに、地下鉄MRT建設が始まりましたが、「地下の龍脈を傷つける」と風水師から警告が発せられました。
その解決策として編み出されたのが八角形の1ドルコインだと言われています。

風水的に「8」はとても縁起のいい数字ですし、色も金運を意味するゴールド。国民の手から手へと1ドルコインが流通することで、国家の経済的繁栄へつながっていくと考えたのでしょう。

自然に任せて1ドルコインが流通するのを待つのではなく、人工的な仕掛けもあったのではないでしょうか。

たとえば、シンガポールの地下鉄のチケット。
片道切符であっても、日本のスイカのようなカードを購入するために、1ドルのデポジットが必要です。降車後は再び自動券売機にカードを入れ、1ドルを取り戻さなくてはいけません。この面倒なシステムに戸惑いましたが、「とにかく1ドルコインを流通させたい」という国家の強い意志を感じました。
思いつきで2000円札を発行した日本とは、計画性、統制力のレベルがまったく違うのです。

観光立国を目指すシンガポールではショッピングやグルメなどで観光客に少しでも多くお金を落とさせる仕組みを考えています。
最もストレートにお金を落とさせる仕組みとして選ばれたのがカジノです。
大王製紙の井川前会長もシンガポールのカジノに頻繁に通っていたとか。
2010年にオープンしたマリーナ・ベイ・サンズ。55階建てのホテル三棟が空中庭園でつながれるという大胆なデザインで、シンガポールの新たなランドマークになっています。ここにも政府公認のカジノがあります。

日本にもカジノを作って経済を活性化しようという声もあります。
しかし、2000円札の流通にも失敗した日本が、シンガポールほど上手にカジノ運営できるのか疑問です。


イースト・プレス「恋運暦」1月号(1月8日発売)の九星気学の原稿をようやく書き終わりました。

本命星ごとに4ページで、36ページ。これに扉ページがつき、全体で単行本一冊以上のボリュームです。
年末進行でもあり、打ち合わせは早めの10月中旬に設定してもらいました。でも、他の連載仕事や、新規雑誌の取材に加えて、中華街の鑑定、占術講座などもあり、本格的に書き始めたのは11月に入ってからです。

大量の原稿を書かなくてはいけない時に私が必ず唱える言葉。
Nothing is particularly hard if you divide it into small jobs.
(何事も、小さな仕事に分けてしまえば、大してむずかしいことではない)

マクドナルド創業者であるレイ・クロックのお言葉、あるいはフォード自動車創業者のヘンリー・フォードという説があり真偽のほどはわかりませんが、名言であることは間違いありません。

毎朝、その日に書くべき内容をリスト化します。
本命星ごとに1200字の年運と運気のグラフ、結婚や仕事、健康などの個別の運が7個、行くべきパワースポット、生まれ月別の性格、相性で見開き2ページ。次の見開きで1月から12月まで各月の運勢です。
リストができたら、ひたすらパソコンに向かい、一項目書き終えるごとに、スタンプを押します。リスト用のメモとスタンプは、なるべくかわいいものを選んでいます。

何でもないようなことですが、これが大きな励みになって、毎日書き続けられます。
そして、最初の頃はいつまでも終わりそうになかった原稿も、時間が立てば書き上げているわけです。


東洋占術では、年月日時を六十干支に置き換えます。
2012年11月は辛卯年・己亥年といった具合です。

鑑定では、お客様から誕生日をお聞きして、十干(甲乙丙丁…)、十二支(子丑寅卯…)を書いていきます。
ご自分の誕生日が奇妙な漢字の羅列となり、首をかしげるお客様もいらっしゃいます。「昔は、暦はこうした漢字で記されていたのです。たとえば、戊辰の年に起こったから戊辰戦争とか」みたいな説明をします。

干が10個、支が12個あり、組み合わせは10と12の最小公倍数である60パターンあります。
生まれてから60年たつと、生まれ年と同じ六十干支となります。暦が一通り回って還ってきたから「還暦」です。

関西人なら最も身近な六十干支は「甲子」でしょう。甲子園球場が誕生したのは1924(大正13)年の甲子年。十干十二支の最初の組み合わせにあたる年で、縁起がいいと甲子園と命名されました。
阪神タイガースの新監督、和田豊氏のお嬢さんは甲子園でビール売りのバイトをされていたそうですが、私は学生時代に客席でボールガールをしていました。
ファールボールが観客に当たってケガをしていないかチェックする係で、タイガースのワッペンが付いたTシャツと帽子、ボールを入れるバッグが支給され、座席もちゃんと用意されています。

通っていた大学の学生課が甲子園と特別な関係があり、ボールガールのバイトの口が優先的に回されるらしく、座席案内担当の他の大学の子からは、ずいぶんうらやましがられました。
座席案内やビール売りでは、試合はほとんど観戦できませんが、ボールガールは「何があっても試合の流れから目を離さないように」と厳命されるのです。

「甲子」を五行で読み解くと、甲が木行で子が水行。水をたっぷりと吸収して、大木に育つように、甲子園も日本を代表する野球場となりました。

私が東洋占術を学ぶきっかけの一つは、「甲子園」にあります。
六十干支それぞれ、単なる漢字の組み合わせではなく、一服の絵のように見えて、興味は尽きません。


プロ野球日本シリーズが開幕しましたが。中日とソフトバンク以外のファンは早々に来季の構想に取りかかっています。

阪神のタイガースの新監督に就任するのは和田豊監督。
暗黒時代を知るファンにとっては、万感の思いが胸をよぎります。
千葉出身松戸市出身ながら、タテジマ一筋27年。入団した年に優勝は経験したものの、その後、チームは低迷を続けました。
引退後はコーチに就任。誠実な人柄で監督就任を要請されました。

私が心惹かれるのは、野球スタイルだけでなく、和田監督の文才。

たとえば、2008年のシーズンを振り返ってのお言葉。
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トータルで言えば「紙一重」のシーズンだったかもしれませんが、その紙一枚の分厚さを痛感したシーズンでした。そして改めて試合(シーズン)の『流れ』を引き寄せる(読む)大切さ、一球(ワンプレー)の怖さを思い知らされたシーズンでもありました。
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この年、タイガースはシーズン序盤から首位を独走。7月には、優勝マジックを点灯させました。
ところが、シーズンが終わってみれば、猛烈な追い上げを見せた巨人に優勝をさらわれました。13ゲーム差を逆転されての2位転落はセ・リーグワースト記録です。

「紙一重」によって、優勝と2位では天国と地獄です。
和田監督は「紙一重の分厚さを痛感」と表現していますが、芥川龍之介の箴言集「侏儒の言葉」にも、こんな一説があります。

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天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。只この一歩を理解する為には百里の半ばを九十九里とする超数学を知らなければならぬ。
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風水の直居由美里先生も、「99%は努力で決まる。風水の開運効果は残りの1%」とおっしゃいます。
「1%しか効果がないのなら、意味がない」と考えるのは早計です。

まったく勉強していない高校生が東大に合格したいから、占いの力でなんとかしてくれと頼んできても、それは無理です。
必死に受験勉強して、偏差値が当落ラインぎりぎりという高校生なら、開運術を試してみる価値は十分にあります。


大学時代の恩師、田中国夫先生が亡くなり、偲ぶ会が開かれました。
関西なので、都合がつかず欠席しましたが、出席した同窓生が報告と写真をメールで送ってくれました。
東京在住の同期生と開く今年の忘年会は、しんみりした会となることでしょう。

社会心理学の田中ゼミは、学部内でも奇異な目で見られていたと思います。
学生紛争が吹き荒れた時代に、ゼミ生が立ち上がり社会心理学研究館を建てました。
「学生さんといえば建物を壊すものなのに、こりゃまた珍しい」と、協力してくれた大工さんに笑われたというエピソードを聞いたものです。

以来、田中ゼミ生は、ゼミ以外の時間にも研究館に入りびたっていました。やるべきことも山のようにあったのです
。 ゼミで発表する班の順番が回ってくれば、レジュメを作り発表の練習。統計学などの実習は課題も山のように出て、班単位で提出します。研究館で顔を付き合わせているだけでは時間が足りず、班のメンバーの自宅に泊り込んで課題に取り組んだこともしばしばあります。
楽勝と言われた文系学部の中では、変わり者の集まりだったと思います。

卒業してから随分長い時間が経過し、田中先生は退官され、社会心理学研究館も取り壊されました。
でも、ゼミの仲間と再会すると、瞬く間に学生時代に戻ります。年は取ったけれど、本質は変わっていないと私は思うのですが、会社という組織の中で苦労を重ねたり、子育てを頑張った同級生は同じ意見ではないかもしれません。
少なくとも私に関しては、占いの勉強を続け、原稿執筆や鑑定という形でアプトプットする毎日は、学生時代の延長のようなものです。


多士済々を輩出した田中ゼミですが、占い師になったのは私ぐらいではないでしょうか。 不肖の教え子に天国で田中先生は苦笑されているでしょうが、田中ゼミで学んだことは、私の占いにも息づいています。


10月から九星気学の新講座に通い始め、11月からの手相講座も始まりました。

昔からのつきあいの占い雑誌の編集者からは、「いつまで学校に通い続けるのか」とからかわれます。
すでに占い師として鑑定料金をいただいている立場なのですが、学びの道は終わりません。むしろ、お客様からお金をいただくからこそ、学び続けなくてはいけないと思います。

占術理論を学ぶなら、本から学ぶことも可能でしょう。
でも、直接、師の教えを聞き、必要なら質問もできる環境に身を置くのは、とても濃い体験になります。

最初に周易を習った先生は、とても厳しく、講座全体をしっかりとコントロールしていました。
すでに習ったことなどを質問すると、冷たい視線で一言「ノートを見てください」。
アトランダムに生徒を指名するので、いつ当てられるかびくびくしながら出席していました。もちろん復習も欠かせません。ぴりぴりした緊張感のなかで、頭をフル回転させ るので、講座が終わるといつもぐったりしていました。

この先生だったからこそ、「乾兌離震巽坎艮坤」さえおぼつかなかった私が講座終了後には、なんとか易を立てることができるようになりました。
そして、プロの占い師となった現在では、お客様からどんな占的を投げかけられても、筮竹を手にすると不思議に心が落ち着き「大丈夫、私に解釈できる形で卦がもたらされる」と確信できます。

周易は別の先生の下でも一から学び直しました。
占いには流派もたくさんあり、易は卦のどこに着目するか、占い師によって千差万別です。異なるスタイルの講座を受けることで、取捨選択しながら、私に合った占い方が徐々にできあがってきました。

占い師は、鑑定という形のないものを提供してお金をいただく商売です。
その占い師が、講座料をケチってはいけません。
広義には、占術講座だけでなく、映画や観劇、旅行なども、視野を広げ表現力を増やすためのものです。
これからも、形のないものへの出費は惜しまないようにしたいと考えています。


黎帆那マユー先生からお話をいただき、毎週木曜日午後3時から阿佐ヶ谷のタロットバー・アーサで鑑定を始めることになりました。

http://ggyao.usen.com/0003013874/
住所は、杉並区阿佐谷南1−14−12  パティオ・エルスール2階。
中華街とは違い、落ち着いたじっくり鑑定となります。料金は30分5000円、1時間1万円です。
予約専用の電話を設ける予定ですが、現在のところはメールかタロットバー・アーサに直接ご予約いただけると助かります。

achiko168@ny-mori.jp
アーサ電話番号 03-3317-2045
鑑定時間(午後3時〜8時頃まで)

なんだか不思議なご縁で、するすると話がまとまり、地元での鑑定スペースを手に入れることができました。

アーサの入っている建物の名前は、パティオ・エルスール。エルスールとは、スペイン語で「南」という意味です。
九星気学では占いは九紫火星が司ります。方位は南。
中華街の華陽園に入ることにしたのも、「華」「陽」という文字がいかにも九紫火星らしくて、占いの場所にふさわしいと思ったからです。

そして、四柱推命では、私は火行を喜ぶ命式です。
奇しくも、華陽園もタロットバー・アーサも距離はかなり違いますが、自宅から南です。
なんだか占いの神様に仕組まれたかのような展開です。


九星気学では、「あなたはこんな性格」ではなく、「あなたがこんなことをしたら運気が上がる(もしくは下がる)」ということを示す占術です。
いわゆる吉方取りの方位は巡り来る暦に基づいた年盤・月盤・日盤から導かれますが、日頃の生活態度などは、生まれた年月日によってある程度定まってきます。

本命星が四緑木星、あるいは巽宮傾斜の人は、旅に出ることが開運へとつながります。
私もその一人です。

英語に、Itchy feet(イッチー・フィート)という言葉があります。
直訳すると、「かゆくてむずむずする足」ですが、「どこかへ出かけたくてしかたがないという気持ち」「旅をしたいという抑えがたい衝動」という意味です。

日頃の私は、ほぼ引きこもりに近い生活を送っています。
昔はライターとして取材や打ち合わせで出歩いていたのですが、今は原稿のテーマの半分ほどが占いだし、電話とパソコンがあれば自宅でだいたいの仕事は片付きます。
外出は週1回、横浜中華街に鑑定に通い、おもしろそうな占術講座があれば出席し、あとは友人と会うぐらいです。

ずっとこうした生活をしていると、徐々に運が落ちてくるのですが、うまいぐあいに私はItchy feetの持ち主なのです。
同行者がいてもいいし、一人旅も苦になりません。海外の旅は刺激的だし、国内の旅も新しい発見がたくさんあります。
文化大革命で占いが弾圧されたため、多くの占い師が国外に逃れたため、東洋占術の本場は台湾や香港です。この二つの場所は何度行っても飽きません。

そしてこの11月には、シンガポールに行ってきます。
華僑の手により作られた国ですから、計画的に風水調整されているはずです。

旅行に行くとけっこう物入りだし、節約のためには旅を控えるべきかもしれませんが、旅の費用は何倍にもなって戻ってきているような気がします。


そろそろ、占いライターにとっては年に一度の稼ぎ時が到来します。
もともと雑誌の仕事では「年末進行」で11月頃から徐々に締切が早まってくるのですが 、テーマが占いだと、翌年の運勢特集の依頼も入り、一年で一番忙しくなります。

今年は占い雑誌の新年号で、九星気学による2012年の運勢を担当することになりました 。本命星ごとに4ページ、全部で36ページという大特集です。

雑誌では九星気学を使うことが多いのですが、東洋占術を習い始めた頃、九星気学にあまり興味を持てず、後回しにしていました。
生まれ年で占うというイメージがあり、「同じ学年のほとんどの人が同じ運気なんてあり得ない」と思っていたからです。

占いは、大きく分けて「命(めい)・卜(ぼく)・相(そう)」の3つに分類されます。命は誕生日で占う西洋占星術や四柱推命、卜は偶然出たカードや卦で占うタロットや 易、相は人相、手相などです。

九星気学は命術に分類されることが多く、そのため「生まれ年で占うなんて…」と思い勝ちなのですが、九星気学は命術というより開運術です。
「この年生まれの人はこんな 性格」ではなく「この年生まれの人は、今年、こんなことをしたら運気が上がる」を指南します。

そして、周易を先に学んでいたことが幸いして、九星気学の無限の可能性に気づくことができました。
九星気学の9つの星は、易の八卦プラス五黄土星です。一白水星は坎、二黒土星は坤、三碧木星は震…といった具合に対応していきます。
易の八卦を森羅万象すべて網羅しますから、九星気学の開運術も方位取りだけでなく、あらゆるジャンルに及びます。

アメリカの小説家は、ストーリー展開が行き詰ると易経をひもといてヒントを得るという話を聞いたことがあります。そうしたことができるぐらい、易や九星気学は広がりの ある占術です。


埼玉在住の占い師の友人に誘われて、坂戸の聖天宮(せいてんきゅう)に行ってきました。

とにかく不思議なお宮です。

昔は道もなかったという辺鄙な地にいきなり出現する中国建築。
当初、友人は「あやしげな新興宗教の本部?」と敬遠していたのですが、調べてみると台湾の道教のお寺です。

建てたのは、康國典という方。四十歳半ばに不治の大病をわずらい、道教の神「三清道祖先(さんせいどうそ)」によって一命を取り留めました。感謝の気持ちを現すためにお宮を建てることを決めたのですが、台湾ではなく日本、しかも埼玉県坂戸に建てるようお告げがあったというのです。
着工は昭和56年。当時は道もなく一帯は雑木林。台湾から宮大工を呼び、15年かけて完成しました。

友人とは午後2時過ぎに駅で待ち合わせたのですが、うっかり駅を乗り過ごしてしまいました。待ってくれた友人は、車のエンジンをつけていたため、バッテリーが危うくなり、修理工場に寄ることに。ハンドルの具合もおかしいというので、途中の北向き地蔵でおろしてもらい「占いが当たる」というご利益のお地蔵さんに祈りつつ待っていました。

修理工場によると、ベルトが切れていて、よく工場まで運転できたと感心されるほど危険な状態だったそうです。

代車を貸してもらい、聖天宮へ向かいます。
「あのまま進んでいたら、レッカー車移動か、最悪、事故を起こしていた」という友人。待ち合わせに遅れたことで結果的に危険を回避できたのは、早くも聖天宮のご利益がもたらされたのだろうかと話しながら聖天宮に到着。

門扉が閉まりかけていました。
案内板を見ると拝観時間は午後4時まで。数分、過ぎています。
しかし受付の方は「せっかく来てくれたのだから、ゆっくり見ていって」と中に招き入れてくれました。

15年かけて作られた豪華な建築です。道教のお宮としては日本最大級。中華街の関帝廟や媽祖廟よりも立派です。
本殿で案内してくれるのは、台湾出身の青年。時間外勤務になるのではと心配したのですが、ありがたい道教の教えを伝えるのが嬉しくてたまらないかのように、丁寧に説明してくれます。拝観時間を過ぎているので、境内にいるのは私たちだけです。

聖天宮は、個人的に建てられているので、布教活動は一切していません。そして建築費も維持費も台湾から送られてくるので、儲ける必要もないのでしょう。拝観料金の300円では光熱費にも足りないと思います。

道教の神仙思想は、陰陽や八卦のルーツです。東洋占術を生業としている者にとっては、ぜひお参りしておくべきお宮です。
捧げ持ったお線香の煙に託し、三清道祖に感謝の気持ちを送り、今後も東洋占術の道を勧めるように祈りました。

パワースポットと呼ばれる場所は、訪れる人の欲望が渦巻いて、どこか禍々しいところもあるのですが、聖天宮は、そんな気配が一切感じられない、すがすがしい場所でした。


年金支給年齢の引き上げが話題になっているせいか、「高齢になってもできる仕事」として占い師に注目が集まっているような気がします。
占い師としてお客さんに向き合っていると、運気の話ではなく「私も占い師になりたいのですけれど」という相談を受けることがよくあります。

そんな時は私が占い師になったプロセスを説明しながら、一緒に方法を考えます。
関東在住なら、手軽に通える占い学校がたくさんあります。本を読んで独学という道もありますが、実際に講座に通うことで得るものは大きいと思います。
そして、複数の占術を学べば、自分に合ったものを見つけることができます。

私は占いライターとしては、当初、西洋占星術の原稿を書いていました。西洋占星術はロマンチックで想像力をかきたてるものでしたが、実際の開運法を示すという点では、 東洋占術のほうがストレートなので、道を変えました。

東洋占術は陰陽五行がベースにあり、そこから四柱推命、九星気学、周易、断易、風水へと発展していくので、系統的に学びやすいという利点があります。
東洋占術の中でも向き不向きがあり、断易はどう頑張っても私には向いていませんでした。

学校に通えば、自分が占い師に向いているかどうかも徐々にわかってきます。
上級クラスに進めば、一方的な講義ではなく、占い鑑定のデモンストレーションをやります。理論を頭で理解したうえで、お客さんを前にしてどう伝えるか、同級生の鑑定を 見学しつつ、自分もやっているうちに、これでお金をもらえるかどうかがおぼろげながらにわかってきます。

占い学校にはプロの占い師がブラッシュアップに通っていることもあるので、そうした人の話術に接することでプロの水準もわかります。
阿佐ヶ谷七夕祭りの占いイベントでご一緒した稗田おんまゆら先生は「占い師は、なろうとしてなるものではなく、天に命じられてやらされている仕事」という意味のことを おっしゃっていました

。 これは修道士・修道女とよく似ています。
出家したいからと修道院の門を叩いて、翌日から修道士や修道女になれるわけではありません。一定の修練期間があり、神様からのお召し(コーリング)があった人だけが誓 願を立てて正式に修道士・修道女となっていきます。

占い学校を出て、デビューの場所はなんとか探せば見つかります。その後、占い師を一生の仕事としていくかどうか、その答えは天のみが知っています。
その答えを知るためにも、まず行動を起こしてみること。占い師にならなかったとしても、占いの知識を身につければ、今後の人生で役立つこともたくさんあるはずです。


土曜日は阿佐ヶ谷のタロットバー・アーサで、オクトーバー占いフェスタ。
和気あいあいとした雰囲気で占い談義を楽しみました。
参加してくださった皆さん、ありがとうございました。
占い師が酩酊していてはお話になりませんので、最初はウーロン茶だったのですが、夜が更けるにつれて、つい飲んでしまいました。

おいしくお酒を飲めるお店を探すのは、私の趣味の一つ。旅先でも、観光名所よりも、夜の一杯をどこで飲むかが気になります。
タロットバー・アーサも、酒場遍歴の中でたどりついた店です。
もともとは、アメリカ人のアレックスが開いていたバーに毎週、通っていました。彼が帰国して店は閉じられ、アレックスの店で働いていた女性が新たなお店を開きました。その店もなくなり、同じビルに入っていたのがタロットバー・アーサでした。

オーナーの黎帆那マユー先生は、心温かくホスピタリティーあふれる女性で、料理もとても上手。
「家に引きこもって、あらゆる開運法を試してみても、効果があるのは、せいぜい健康運ぐらい」というのは風水の黒門先生のお言葉ですが、やはり人と接してこそ、いろいろな運がもたらされます。

ただし「この人は利用価値がある」みたいな下心が透けてみえてしまっては、逆効果です。隠しているつもりでも、そういう動機は見抜かれるものです。
それよりも、純粋においしいお酒を飲みたい、気の合うおしゃべり仲間がほしいといった動機から生まれた縁が、思いがけない形で発展していくものです。


土曜日に銀座のアップルストアの前を通りかかったら、店頭は献花で埋まっていました。
スティーブ・ジョブズの有名な教えの一つ。
「毎日を人生最後の日だと思い、その日にやる予定のことは、本当にやりたいことかどうかを考える。『ノー』が続くようなら、何かを変える必要がある」
毎日を人生最後の日として生きる。
「あのとき、ああしていれば」と過去を悔やむこともなく、「そのうち、やろう」と未来に先延ばしもしない。「今、ここ」に集中する。

スティーブ・ジョブズは、若い頃にインドに渡っていますが、おそらく「Be Here Now」を読んだことでしょう。
著者は、ハーバード大学の心理学教授からドロップアウトして、インドに渡りヨガ行者となったラム・ダス(リチャード・アルパート)。70年代アメリカのカウンターカルチ ャーの洗礼を受けた者にとってはバイブルのような本です。

私が持っているのは、1992年発行の第五版ですから、約20年前に入手したものです。当時は訳者の一人、吉福伸逸氏が吉祥寺でトランスパーソナル心理学のセミナーを開いて おり、大学時代に学んだ心理学とはまったく違う視点に驚かされたものです
。 ちなみに訳者に名を連ねる星川淳氏は、いちだ壱成氏の伯父。彼のヒッピー的な言動は伯父さんの影響かもしれません。

「Be Here Now」から私が学んだこと。
ドロップアウトしなくても、意識さえ変えれば、どんな職業に就いても、覚醒することは可能だということ。
私の場合、自由業のライター兼占い師なので、窮屈な組織にお勤めの人よりは、容易なことかもしれませんが、悟りを得るために締切に遅れるようなことは、やっていません 。

スティーブ・ジョブズ自身も、大変な紆余曲折はありましたが、コンピュータ・ビジネスの世界に身を置きながら、「Be Here Now」を貫いた人生だったのではないでしょう か。

<お知らせ・その1>
10月15日(土) 阿佐ヶ谷のタロットバー・アーサでの占いイベントに参加します。
http://ggyao.usen.com/0003013874/
占い師3名による手相、タロット占いとお食事+フリードリンクで5000円。
午後5時〜午後8時、午後8時半〜11時半。どちらかご都合のいい時間帯にどうぞ。

<お知らせ・その2>
本日発売の小学館女性セブン「紀香 婚前旅行におそろいの最強の青」にコメントしています。
担当編集者の指摘で気づきましたが、陣内との婚約時は、黄色を身に付けていた紀香が、一転、ブルーを好むように。ラッキカラーやパワーストーンも効果的ですが、最強の 開運法は、自分に幸運をもたらす恋人を選ぶこと。乾さん(いかにも九星気学的なお名前です)とお幸せに!


杉並区主催・2泊3日の裏磐梯バスツアーでは、ウォーキングか農業体験か、好きなほうを選べるというので、農業体験にしました。

四柱推命は、農耕社会である中国で生まれた占術なので、金運を説明する際に、畑と作物で説明することが多いのです。
たとえば、木火土金水の五行で、金運を象徴するのは土行ですが、これは、土すなわち大地こそが作物の実りをもたらすからです。

しかし、私は畑を耕したこともなく、野菜は店頭に並んでいるのをカゴに入れるだけといった生活です。
ぜひ、この機会に農業体験をして、鑑定の場での説得力向上を狙った次第です。

2泊3日といっても、初日と最終日は東京の移動と観光で、農業体験は2日目だけです。午前中、裏磐梯特産の花嫁ささげ豆、午後は大根の収穫です。
畑は、宿泊している和風ペンション森川荘のもので、ご主人の指導のもと、農作業を体験します。
ちなみに、ご主人の名前は森川さんではありませんでした。「森川」はこの地区の地名であり、ここで取れた大根は「森川大根」と呼ばれています。
このご主人が、いかにも人格者の相。人相の師の天道春樹先生が鑑定したら、何とおっしゃるだろうかと想像しました。

8人(うち2人は小学生と中学生)で大根400本を収穫しました。やり始めると、どんどん抜きたくなってきますが、それはちょっとだけ体験する観光客のきままな感想です。長時間、中腰で力を入れて大根を抜くのは、かなり大変でしょう。
豆も大根も、畑から収穫してそのまま売り物になるのではなく、豆は乾かしてさやから出し、大根は葉を切り落とし、洗浄機に一本ずつ大根を入れて、泥を落としてきれいにします。大根を入れる作業は中学生のY君が一手に引き受けてくれました。

直売所に並べた大根は、白く輝いているかのよう。
これから大根を食べるたびに、裏磐梯の大地の感触を思い出すことでしょう。

農作業後は、森川荘ご主人自作の露天風呂へ。森川荘は、早稲沢温泉郷の一画にあります。玄関先に大きな檜風呂を設置したワイルドな露天風呂は、混浴だし、あまりにもオープンで最初はためらっていたのですが、慣れてくると客同士相談して、男女タイムを設定できました。
温泉マニアに絶賛される、源泉かけ流しの芒硝泉。温度もちょうどよく、長く入っていても疲れません。

夕食は、宿の女将さん心づくしの郷土料理。そして、労働の後の一杯どころか何杯も飲みました。農業体験ならぬ泥酔体験。早めに寝て、明け方4時に再び露天風呂へ。
夕方から曇り空だったのに、明け方には満天の星が輝いていました。


私の住んでいる杉並区は、裏磐梯(北塩原村)と保養地協定を結んでいて、区民向けに2泊3日のバスツアーが企画されました。
一人参加もOKで、ウォーキングか農業体験か好きなほうを選べるし、温泉もあるということ。しかも、出発地は自宅から徒歩5分ほどの区役所前です。

昭和の易聖と呼ばれる加藤大岳(かとう・だいがく)は、会津若松出身です。

加藤大岳の弟子の一人、女流の易者・大熊茅楊(おおくま・ちよう)の「春夏秋冬・易学占例集」(東洋書院)は、得た卦から占断を下すまでのプロセスが詳しく書かれていて、体面鑑定で易をたしなむ者にとっては、学ぶことの多い書です。「ここまで手の内を明かすなんて、なんとありがたいこと」と、いつも感心しながら読んでいます。

この本の中に、加藤大岳が東京から会津へ弟子を連れて帰郷し、故郷の会津本郷町を訪ね、夏期講座を開く旅行記が記されています。昭和42年のことです。
講座の後、一向は裏磐梯へ向かいます。五色沼を始めとした裏磐梯の山や谷の美しさが描かれています。

易を学ぶ者としていつかは会津や裏磐梯を訪れたいと思っていたので、いい機会とばかりに行って来ました。

「観光で応援しよう」という企画なので、福島に入る前に、いわき市の薄磯海岸を訪れました。担当者の尽力で特別の許可をもらったというものの、津波の被災地に観光バスで乗り付けるのも、心苦しく感じました。そして、瓦礫の撤去を担当している現地の方の話を聞き、ますます胸が塞がれる思いでした。
一見、今どきの茶髪の若者なのですが、震災当日のこと、翌日からの作業、そして現状。被災地の報道は少しずつ減少していますが、悪夢のような毎日は決して終わっていません。

いわき市を後にし、常磐道から上越道へと入り、裏磐梯へ。
北塩原村が全面的にバックアップという企画なので、村を挙げての歓迎です。
今回は民宿に泊まったので、村の人たちと直接、言葉を交わせる機会も多くありました。
北塩原村は観光と農業の村で、大震災後、宿泊客は大きく減り、農作物は風評被害というダブルパンチを受け、大変な苦境にあるというのに、村の人たちの温かいこと。

福島県人の懐の深さに触れ、易聖・加藤大岳を育んだ地を体感できたことも、大きな収穫でした。


人生に必要な知恵はすべてディラン先生に教えてもらった。
そんなふうによく思います。

恋愛についての占い鑑定の場、ボブ・ディランの「悲しきベイブ」が頭の中をぐるぐると回ることがあります。
  「悲しきベイブ」は恋人への別れの歌です。
女性側の要求に男性が応えられなくて、「君が求めているのは、俺じゃないんだよ」と別離を選択する男性の切ない思いが込められています。

この曲で女性が恋人に求める条件は以下の通り。
・いつも強くて頼りがいがある
・恋人の主張が正しくても間違っていても、とにかく守る
・あらゆるドアを開けてくれる
・恋人のためなら目も心も閉じて、命をかけて愛する
・命をかけて愛し続ける
・落ち込んだときはなぐさめてくれる
・定期的に花を贈る
・電話すればすぐに駆けつける
・生涯の愛を誓う

ディラン先生は、こんな過剰な要求を突き付ける女性に、こう返します。
But it ain't me, babe
No, no, no, it ain't me babe.
It ain't me you're lookin' for, babe.
それはオレじゃないよ、
違う、違う、違う、
君が探しているのはオレじゃないよ。

少女マンガの愛読者で、時が来れば素敵な恋人が現れると想像していた私にとって、この曲は衝撃でした。
私が恋をしたり、結婚できたのは、まさにこの曲のおかげです。

恋は生身の人間同士のもの。
女性の皆さん、想像してみてください。
「いつも従順で、恋人の言うことには絶対に従う。友人の前では立ててくれ、笑顔を忘れない。どんなに遅くなってもおいしい料理を作って待ち、掃除、アイロンかけ、靴磨きも完璧」なんて条件を突きつけられたら、勘弁してほしいと思うでしょう。

理想を持つのはすばらしいことですが、恋愛に関しては、相手ばかりに理想を押し付けていては、恋は続きません。


この秋から取りかかっている書籍のテーマは、カラーとチャクラ。
 インテリアが専門の先生のご自宅にうかがって取材を重ね、現在、原稿を起こしているところです。

 この先生のお住まいは、まるでモデルルームのようにきちんと整えられています。人が来るからとあわてて片付けたのではありません。普段から整然とした環境に慣れているので、片付いていない部屋では落ち着かないそうです。リビングルームで取材したのですが、編集者と私があまりにも感心するので、書斎と寝室も見せてくださいました。
プライベートな空間なのに、隅々まで整然としていました。

 そうした部屋で数時間お話をうかがっているだけで、私の中にも片付けのモチベーションがむくむくと湧き上がってきました。
 しかし、自宅の雑然とした部屋に戻ると、また意識がどんよりしてきて、「ま、いいか」と安易なほうに流れてしまいます。

 先生から伝授されたコツの一つは、「出かける前に部屋を片付けること」。
 そのためには時間のゆとりを持って身支度をしなくてはいけませんが、部屋を散かったまま出かけると、帰宅したときに、どっと疲れます。本来なら自宅はくつろぐ場所なのですが、汚れた部屋ではくつろぐどころか、疲労感がますます強くなります。
「帰ってから片付けよう」と思っていたはずが、そんな気力はすっかりなくなり、缶ビールに手が伸び、そのままダラダラしてしまうのです。
 風水では、西に黄色を置くとかいろいろ言われていますが、古代中国の部屋にはカラフルなプラスチック製品や、毎日届くDMや新聞もありません。最低限の家具と食器、衣服だけで、室内はとてもシンプルだったはずです。そのような状態だから、風水の効果もストレートに出ます。
 モノがあふれる現代日本の部屋で、風水の開運グッズを置いても、「気」がますます乱れ逆効果になってしまいます。

とは言っても、「片付けよう。でも、この締切が終わってから」というのが、ライターの悪いパターンです。完全に締切がなくなってしまっては、失業状態ですから、そんな理由で先延ばししてはいけませんね…。


知り合いの編集者が独立して出版社を立ち上げました。
社名を占ってほしいという依頼を受けました。

私が学んだ姓名判断は、生まれた日時と合わせて診断します。
名前とは、洋服のようなもので、単体で良し悪しは論じられない。本人のサイズに合っているか、似合っているかをチェックするためです。
しかし、一般のお客様が姓名判断としてイメージするのは画数の吉凶です。
そして、名前は親が子に贈る最初のプレゼントのようなもの。一生懸命に考えて命名したでしょうから、占い師がその吉凶を軽々しく論じるのも気が引けます。
そんなこともあり、対面鑑定では姓名判断はあまり行っていません。

今回は、お世話になった編集者からの依頼ですし、人名ではなく社名なので、謹んで引き受けました。
言葉を扱うプロである編集者ですから、すでに候補の名前が20個ぐらい挙げられています。
まず、画数をチェックし、設立者である3人の生年月日から命式を立てます。そして今月中に登記するとのことなので、2011年の年盤と9月の月盤も合わせて考えます。

20の候補を5段階に吉凶判断して結果を伝えました。
できたらこれにしたいと考えていた社名が吉だったので、すんなりと決定しました。
あまり出版社らしくない名前となりましたが、出版業は九星では九紫火星です。2011年の年盤で九紫火星は、暗剣殺に加えて年破です。今年に旗揚げするのなら、「○○出版」「○○書店」「○○ブックス」というのはあまりよろしくありません。

出版不況の中に、新たに船を漕ぎ出す新会社。幸多き航海となりますように。


人間を相手にするために、常に感情のバランスを常に保っておかなくてはならない感情労働者。窓口の係員、ウエイトレス、デパートの販売員など、できれば気持ちよく接したいものです。

それは、感情労働が大変な仕事だから、いたわりの気持ちを持つということに加え、自分のためでもあるのです。
「ある人間の人格を計る最良の指標は、自分に逆らうことのできない人にどういった態度を取るかである」とは、アメリカのコラムニスト、アビゲイル・ヴァン・ビュレンの警句。人格を計るだけでなく、運気も計ることができると私は思います。
「金持ち喧嘩せず」という言葉がありますが、運のいい人は、やたらと文句をつけたりしません。もちろん、サービスが不当であったり、ミスがあったのなら、堂々と主張すればいいのですが、事実を冷静に伝えるだけで、鬼の首を取ったかのように相手を責めたりしません。

二年ほど前のNHKラジオの実践ビジネス英語で、飛行機が遅延したとき、航空会社のカウンターでどんな態度を取るべきかを同僚同士で話し合っていました。
You get better service if you can empathize with the harried person standing on the other side of the counter.
カウンターの向こう側にいる多忙な職員に共感したほうが、よりよいサービスを受けられる。
Right. It’s just counterproductive to be aggressive with the counter employees. They’re not personally responsible for your misfortune.
その通り。カウンター職員に攻撃的になっても、逆効果となるだけだ。彼らは、あなたの不運に対して、個人的に何の責任もないのだから。

店頭や空港会社のカウンターで延々とクレームをつける人は、ネガティブな空気を撒き散らしています。
遠巻きに非難の視線を浴びているかもしれないのに、それにも気づかず、いかに大きなダメージを被ったかを一方的にまくしたてる人は、人間関係も良好とはいえないでしょう。冷静な状況判断もできないから、チャンスがきても逃しているかもしれません。

スーパーのレジで働いている人が「携帯電話でしゃべったり、音楽を聞きながら無言でお金やカードを差し出す人がいる。私たちは機械じゃありません」と新聞に投書していました。人を人とも思わないような傲慢な態度でいると、自分が逆の立場になったとき、同じような目に合うものです。

運気のバロメーターとして、感情労働者にどんな態度で接しているかをチェックするのもいい方法です。


仕事には大きく分けて、肉体労働と頭脳労働があるとされてきました。
現代社会では、これら二つに加えて、「感情労働」が増えています。

感情労働とは、人を相手に気を使う仕事です。物やサービスを提供する仕事全般は感情労働といえますが、一昔前までは、感情エネルギーをそれほど消耗することはありませんでした。

効率化が優先され、社会が殺伐としてくると、感情労働はかなりハードな仕事になります。
自分に逆らえない立場の人間に向かって、憂さ晴らしをしようとするクレーマーやモンスターペイシェントも出現します。
その結果、クレーム処理担当の電話オペレーターを始め、販売員、駅員、教師、医師など、職場で精神を病む人が続出しています。

航空業界の接客担当も感情労働です。
もはや飛行機に乗ることは特別な行動でなくなったはずなのに、過去のイメージを引きずっているのか、キャビンアテンダントや地上職員に、丁寧なお客様扱いを期待する客が多く、現場の消耗はかなりのものでしょう。

私は、実家帰省にはJALの介護帰省パスを利用します。
空港のJALカウンターでは、ファーストクラスとグローバル会員担当の女性職員はブラウスにスカーフという昔ながらの制服なのに、一般客向けカウンターはポロシャツなのに気づきました。「丁寧なサービスよりも、さくさく合理的に処理していきます」という決意表明なのでしょう。

先日、伊丹空港から搭乗した際に、介護帰省パスのシステム変更がありました。
これまでは、紙のカードが発行されていたのですが、JALカードに情報をまとめて入れることになり、カウンターで発券してもらわなくても済むようになりました。

便利ですが、着になるのは、介護帰省パスの有効期限の確認です。パスの延長には親の介護保険証のコピーと身分証明書が必要なのですが、有効期限が1年なので、うっかりしているとすぐに切れてしまいます。

紙のカードには有効期限が明記されていたけれど、今後はネット上で確認できるのかどうか職員に質問したところ、わざわざカウンター奥まで確認に行き、あれこれ説明してくれました。時間のゆとりがあったし、とても好感の持てる対応だったので、がんばって仕事をしていると感心しました。

説明が終わり、チェックインしてラウンジでビールを飲んでいると、先ほどのカウンター職員が、私を探しに来ました。声をかけられてびっくりしていると
「先ほどの説明に不備があったので、訂正のために参りました」と言います。

介護帰省パスなんて、JALの親切心でやっていることだろうし、こんな面倒で利益率の低いシステムは廃止してしまいたいのが会社の本音ではないでしょうか。
それでも、わざわざラウンジまで顧客を探しに来て、訂正の説明をしてくれた職員。いろいろ大変でしょうけど、がんばってくださいと心からエールを送りました。


易経は哲学の本であって、占いの本でないという説をよく目にします。

たしかに易経をひもとけば、古めかしい漢文の羅列で、とても現代人の生活には合致するとは思えません。でも、そこには時代を超えた真理が描かれており、それをどう噛み砕いて伝えるかが占い師の役割だと思います。

先日、若い女性を占った時、沢火革の上爻が出ました。
占的が「自分の主張を押し通すべきか」だったので
「爻辞には、『君子豹変す』ありますから、あなたが態度を変える必要があります」と伝えました。
「クンシ? ヒョウヘン? 意味わかんない」というのが彼女の反応。
「君子というのは立派な人のこと。立派というのは、お金があったり、地位が高いというわけではなくて、人格者という意味。豹変は豹が季節の変わり目に毛皮の柄を一気に変えること。立派な人は、自分の考えにこだわることなく、周りのことを考えて、自分から折れることができるという意味。気まぐれやわがままで態度を変えるというのとはまったく違う変え方です」
と、順々に説明していくうちに、彼女も徐々にごり押しすることは得策ではないことに気づいていったようでした。

乾為天(けんいてん)という卦があります。陽爻が6つ重なった強力な卦で、爻辞はすべて龍によって説明されています。
幼い龍が湖の底に潜んだところから始まり、淵に姿を見せ、ついには天に昇り、龍のグループを形成するプロセスです。
乾為天が出たからといって「あなたはドラゴンです」と伝えても、ファンタジー小説やゲーム愛好者以外は首をかしげることでしょう。

その人の人生において、ドラゴン的な行動とは何なのか。
仕事をがんばって出世を目指すことなのか、自分のやりたい趣味を始めることなのか、あるいは、一人旅に出ることなのか。それぞれの人生でドラゴンが象徴するものは変わってきます。

そこを探し当て、伝えるのが、周易のむずかしさであり、おもしろさです。


9月10日(土)、虹と天使のお祭りに「陰陽五行リーディング」で出展しました。
スピリチュアル系の参加者が多いので、占いではなく、「リーディング」にしたのですが、内容は四柱推命です。
中華街とはまた違うタイプのお客様と次々にお会いできて、とても充実した一日でした。

このお祭りのことを知ったのは、友人に誘われたから。
二人で出展すれば、同じテーブルが共有できるというので、その気になったのですが、結局その友人は参加できず、私一人のブースとなりました。

おとなりのブースはクリスタルヒーリングだったので、空き時間にお邪魔しました。
先週から新しい単行本の取材が始まったのですが、テーマはカラーとチャクラ。
第5チャクラにあたる喉は、ブルーと共振し、表現力が磨かれます。
講演をするときなどは、ブルー系のスカーフやバンダナを首に巻くか、ブルーの石のペンダントをかけるといいそうです。

それなら、鑑定用にブルーのものが欲しいと思っていたところ、石を探してペンダントを制作してくださるとのこと。たまたま住まいも隣同士の区だったので、とんとん拍子で話がまとまりました。

アラン・コーエンの通訳を担当してくださった百合香さんとも再会。
マウイ島リトリートのメンバーがそれぞれの人生を発展させていることを聞き、とても嬉しく思いました。

やっぱり私は、このお祭りに参加するべくして参加したわけです。
友達が参加しないからといって、私までキャンセルしなくてよかった。これからも自然な流れに乗って、どんどん進んでいきたいと思いました。


勇者とか英雄は、選ばれし者がなれると思いがちですが、誰でも自分の人生では英雄なのです。RPGゲームの話ではありません。

神話学者のジョセフ・キャンベルは、世界各国の神話を研究し、英雄伝説のパターンを作りました。
まず、英雄は辺境の地で生まれます。そして、ある目的を持って冒険の旅に出ます。さまざまな困難と闘い、師や友との出会いがあります。そして、目的をやり遂げ、故郷に帰還します。

ジョージ・ルーカスは大学時代にジョセフ・キャンベルの授業を受講し、その英雄論に基づいて映画「スター・ウォーズ」を制作したという有名なエピソードもあります。

たとえば、こんな女性がいるとします。 地方から大学進学で上京し、友人や仲間、尊敬できる教授との出会い。入社した会社で、ライバルの出現。婚活に精を出し、結婚して里帰り出産。
彼女の人生にも、キャンベルが指摘した英雄のパターンは隠されているわけです。

鑑定をしていると、それぞれの人が物語を生きていることがわかります。紋切り型ではなく、その人のオリジナルのストーリーをどう語っていくか。その際、命式の五行の構成は、とても助けになります。


金曜日の深夜、テレビ東京で「勇者ヨシヒコと魔王の城」というドラマが放映されています。
「予算の少ない冒険活劇」というキャッチフレーズ通りのゆるいドラマなのですが、その力の抜け加減が楽しめます。
ヨシヒコの衣装はゲーム「ドラゴンクエストV」そのままの紫のターバン姿。
コントローラを握りしめ、膨大な時間、荒野をさまよいモンスターと戦い、レベルを上げてゴールドを稼いだ経験がある人なら、きっと楽しめるドラマです。

ヨシヒコが勇者となった初回のストーリー。
疫病に苦しむ村人たちを救うために、勇者が旅に出なくてはいけません。
村には、「いざなぎの剣」を岩から抜いて手にしたものが勇者となるという伝説があります。
何人もの力自慢の村人が挑戦しましたが剣はぴくりとも動きません。ところが、最後にヨシヒコが挑むと、剣が勝手に抜け落ちました。

勇者なんかになって、苦しい旅に出るのはごめんだと考えた村人が、お人よしのヨシヒコに勇者の役割を押し付けるために仕組んだかのようでした。
民主党の代表選、当初は国民的人気のあるとされる前原氏が優勢だと伝えられ、その後、小沢氏の支持をとりつけた海江田氏が選出されると一部のマスコミは予測していました。
梯子をはずされ、首相の目はまずないと噂されていた野田氏が代表の座を射止めたのは、まるで「いざなぎの剣」が集中に転がり込んできたかのようです。

首相ヨシヒコが経験値を上げていきながら真の勇者となり、国難を乗り切るように舵を切ってくれることを祈ります。


野田佳彦首相誕生に寄せて、大野更紗さんのインタビューが朝日新聞に掲載されました。

大野さんは難民支援の研究に取り組む大学院生で、日本ではほとんど前例のない難病である筋膜炎脂肪織炎症候群にかかり、闘病記「困ってるひと」の著者でもあります。
大野さんはこう語ります。

「被災、病、事故、失業など、人は生きていれば誰しも何らかの『くじ』をひきます。人が不条理に直面したとき、社会がどう対応できるかが、その国の本質的な姿を映すと思うんです」
「たとえ誰がどんな『くじ』をひいたとしても、希望を失わず生きられる社会であってほしい」

確かに、人生は「くじびき」の連続です。
占い師として運を扱う仕事をしていると、運気という面で人間は決して平等ではないことがよくわかります。

「占いなんて必要ない、努力で人生を切り開いていく」と言い切れる人は、かなりの強運の持ち主です。
精一杯がんばったのに、希望の大学や会社に入れなかったり、リストラされます。あるいは、恋人が理由も告げずに去っていってしまったり。
その理由をくよくよ考えて、いつまでも落ち込んでいてもしかたがありません。努力だけではどうにもならないことがあると悟るために、占いを活用するのも一つの解決策でしょう。

そして、あらかじめ「くじ運」が悪い時期がわかれば、心の準備ができます。
占いは魔法ではありませんから、不運を完全にシャットアウトすることはできませんが、少なくとも準備しておけば、ダメージは少なくて済みます。

私が一年の指針とするのは、冬至に立てる年筮です。
易者にとって冬至は一年の始まりであり、最も緊張する日です。
易を「くじ」にたとえると、易神に怒られそうですが、この一年、私はぱっとしないどころか凶の「くじ」を引いてしまいました。

でも、今年の冬至まで4ヶ月を切りました。来年は来年で新しい「くじ」を引きます。
そう考えると、この一年を耐えるのが少し楽になりました。


大人になって何がいいかというと、自分で稼ぎさえすれば、欲しいものがどんどん買えることです。

ボブ・ディランとザ・バンドは、ブートレク(海賊版)のCDやらDVDが続々と出回ります。ネットで探してよさそうだと思ったら、迷わず購入。
そうしたレアものを扱っているお店は、メールのやりとりもパーソナルで「ディランさんの件で」というタイトルで送られてきました。

ディランに敬称をつけてくれるのは嬉しいのですが、私にとってディランは「ディラン先生」です。返信に「ディラン先生」と書くと、お店の人も「ディラン先生、発送致しました」と返してくれるようになりました。

ディランの曲に初めて接したのは高校生の時。ミュージシャンとしての全盛期は過ぎて、各種のベストアルバムが発売されていました。学校帰りのレコード店で私が手に取ったのは「マスターピーシーズ/傑作」という3枚組でした。
後で知ったことですが、これは日本独自の企画で、当時CBSソニーでディラン担当だった菅野ヘッケル氏が編集したもの。プロテストソング、ラブソングなどジャンル別に曲がまとめられ、ディラン初心者にとっては極めて聴きやすいアルバムでした。
変な声でとっつきにくいと敬遠されたり、プロテストソングのフォーク歌手というイメージが固定しているディランですが、この3枚組を聴くことで、彼の多彩な世界にやすやすと入り込むことができました。

特に圧倒されたのはディランの歌詞でした。メロディに乗せられて、畳み掛けるように投げかけられる言葉の洪水。学校で習っていた無味乾燥な英語は、大学に入るための手段でしかありませんでしたが、ディランの曲を聴き、メッセージを伝えるための英語に初めて触れました。
以来、ボブ・ディランは私の中で「ディラン先生」となり、英語とその背景にある西洋文化への扉を開いてくれました。

英語を専門にはしなかったけれど、ライターの範囲内で外国人の原稿を書いたり、翻訳もやっています。遠い昔、ディラン先生の歌声を聴いた日に、その種が蒔かれたような気がします。


奇跡なんて、一生のうちそう何度も起こるはずがないと思っていました。
でも、選択の結果として現状があるのだとしたら、ここまでたどりついたのは奇跡なのかもしれません。

金曜日、中華街の鑑定の帰りに一杯飲んで帰ることがあります。
RAMBLE(ランブル)というショットバー。この店に足を踏み入れるきっかけは、60年代から70年代の音楽をレコードでかけてくれるから。
ザ・バンドを好きになったのは、解散後ですから私はCDでしか聴いたことがありません。この店で初めて、彼らの曲をレコードで聴きました。

そして、先週の金曜日は共に飲む仲間も登場。
マウイ島のアラン・コーエンのリトリートですっかり意気投合した友人です。
横浜在住なので、夜遅くても気軽に出てきてくれます。

中華街で鑑定をするようになったのは、さまざまな偶然の積み重ねの結果です。シンクロニシティ好きの人なら、「それらは偶然ではなく必然だ」と断言するでしょう。
アラン・コーエンの「魂の声に気づいたら、もう人生に迷わない」(徳間書店)を書くことになったのも、とある高名な占い師の本を書かせてもらったのがきっかけです。書店の担当編集者と波長が合い、次々と単行本を依頼されるようになり、その中の一冊がアランの日本人向け初の語りおろし本だったというわけです。

アラン自身がニューヨークからマウイ島に引っ越したのも、数々のシンクロニシティの結果です。
そのマウイ島でワークショップがあると聞き、すぐに行こうと決めたわけではなく、迷っていたところ背中を押してくれたのは、ずっと一緒に占いを学んできた友人です。何人も生徒がいる中でたった一人、親しくなった人です。
すっかり売れっ子占い師となった彼女に全幅の信頼を寄せている私は、彼女が勧めるなら絶対に行くべきだと決断したのです。

そして、マウイ島で親しくなった友人。
現地集合だったので、それぞれが飛行機の便で飛んだのですが、たまたま帰りのマウイからホノルルまでのハワイアンエアーが同じでした。
半時間ほどのフライトで、アランのワークショップの総決算とも言える二人だけのセッションが始まりました。

そして、中華街のRAMBLEで一緒に飲みながら、ザ・バンドの「シュートアウト・イン・チャイナタウン」をかけてもらっているなんて、これは奇跡ではないでしょうか。


健康の基本は呼吸法。
そういう原稿をずっと書いているのですが、実践となるとむずかしいもの。
スポーツクラブにはヨガのクラスもたくさんあるのですが、どうしても雑念が沸いてきます。ダンス系のほうがすっきりするので、ラテンとかズンバのクラスを選んでしまいがちです。

健康のためだけでなく、易の上達のためにも、呼吸法は必須です。

熊崎健翁著、加藤大岳校訂「易占の神秘」(紀元書房)を入手しました。
熊崎健翁は、日本式の画数を基にした姓名判断の基礎を築いた人物で、加藤大岳は昭和の易聖として数々の名占を残しています。

この本に「占筮の方法」の章があります。
筮竹を二つに割る時には、目を閉じて呼吸を止め、気力を丹田に集中すべし。精神の統一が成ったなら、呼吸の絶えようとする瞬間、さらに一層の気力を充実させると同時に 、筮竹を二つに割る。
易では、天の声は数を通してもたらされますから、筮竹を二つに割って何本を残すかを決める瞬間が最も大切です。

易を学んでいると「笑って問えば、笑って答える」という言葉を何度も聞きました。
こちらが遊び半分でいい加減な気持ちで聞くと、易神も適当にしか答えてくれません。
依頼されてもいないのに、阪神タイガースの勝敗を占っても、あまり当たりません。自分は真剣なつもりでも、お金を払って依頼されたお客さんの易を立てるのとは、やはり違います。

日頃から深い呼吸を心がけ、筮竹を手にしたら、ひたすら精神統一。
講座に出たり書物を読んで知識を得るのも大切ですが、それだけで占術が上達するわけではありません。


ここ2ヶ月ほど、呼吸についての原稿に取り組んでいます。京都の整体師の先生のお話をうかがい、大量の取材データを書き起こす作業もいよいよ大詰めです。

その整体師の先生は、白隠禅師の教えを実践しています。
白隠禅師は、仏教修行に打ち込むだけでなく、病を治す治療法を考案した江戸中期の禅僧です。

たとえば、軟酥(なんそ)の法は、今で言うイメージ療法のようなもので、鴨の卵ぐらいの大きさの軟酥(柔らかいバター)の丸薬を頭に乗せているのをイメージし、丸薬が頭か ら両肩、両手、胸、内臓、そして足の裏まで浸透し病を癒す情景をひたすら想像するというものです。
宇宙にすべてを委ねる内観法、丹田を意識した呼吸法など、薬や手術に頼らず、自らの力で病を治そうとする流れは、欧米でも代替医療の一つとして注目を集めています。
Zenは、スピリチュアル系の欧米人にとっては、おなじみの思想です。

ジョアン・バニングのタロットの解説書を読んでいたら、マイナーアルカナのカード「カップの5」で白隠禅師が紹介されていました。
「カップの5」のカードには、喪失の悲しみにくれる黒いローブの男性が描かれています。
「何かを失うことは、心の痛みを伴うが、成長の新しい可能性を開く」というのが、ジョアン・バニングの解釈です。
そして、白隠禅師のエピソードに続きます。

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あるとき白隠師匠は、子どもを認知するように訴えられます。ただしその子どもは、実際には白隠の子どもだったわけではありません。それにも関わらず、その誤った訴えによって、白隠は地位を喪失してしまいました。
しかし白隠は、自分に起こった境遇を受け入れ、何年も優しく子どもの面倒を見続けました。ところが、ある日突然、本当の父親が白隠の前に現れます。
そして白隠は父親の望むとおりに、子どもを両親に引渡します。
そう、白隠はまたもや、喪失を受け入れたのです。
禅のマスターでない人にとって、ものごとの変化を受け入れ、その流れに身を委ねるのは容易なことではないでしょう。
とはいえ、このストーリーから何かを学ぶとすれば、それは喪失を受け入れるというプロセスです。
人は過ぎ去って行くものを押しとどめようともがけばもがくほど、苦しみはより大きなものとなっていくものなのです。
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ジョアン・バニング「ラーニング・ザ・タロット」(駒草出版)より

ライターと占い師は別の仕事のようでいて、時折こんな不思議なリンクが起こるのが楽しくてたまりません。


NHKラジオ「実践ビジネス英語」は、いつもタイムリーなトピックを教材にしていますが、8月前半のテーマ「Career and Money」は、文筆業者を暗澹とさせる内容でした。

舞台は、グローバル企業のシカゴ本社マーケティング部。
部長の長男は大学生で9月から2年生に進級します。彼が専攻しているのはジャーナリズムですが、ネットを通してニュースが無料に手に入る時代ですから、高い学費をかけ て勉強しても、元がとれないのではないかという不安を抱えているというのです。

1964年にバークレイを卒業したサラ・デビッドソンは、コロンビア大学のジャーナリズム専攻大学院へ進学します。
最初の授業の日、いきなり「2時間で記事を1本書く」という課題を与えられ、一人ひとりに自由の女神やラガーディア空港といった取材場所が指定され、カリフォルニアか ら来たばかりの彼女は市街地図を片手に地下鉄に飛び乗ります。(サラ・デビッドソン 遙かなるバークレイ 河出書房新社)
時代は変わり、いまやアメリカのジャーナリズム学部は存亡の危機にあるわけです。

ジャーナリズムというほど硬派ではありませんが、私は取材をして原稿を書き、それが活字になることで収入を得てきました。最近は占い原稿の比率が大きくなってきました が、自分の原稿ではなく他の先生を取材して記事にすることもあります。

鑑定をしていると、時々編集やライター志望の若い人が来られることがあります。
四柱推命で特性を探り向いているかどうかを見ることができますが、その前に、編集文筆業 が食べていける職業なのかどうかと、占い師ではなくライターの先輩として考え込んでしまいます。

東洋占術は、「財」という言葉がよく出てくるように、食べていけるかいけないかという身もふたもないことを占います。
ある才能を持っているだけではだめで、それをうまくお金にすることができるかが問題です。

たとえば「手先が器用」という才能は、江戸時代なら裁縫や畳職人、指物師など比較的簡単に職業として成り立っていたでしょう。
でも現在は、ほとんどの製品は工場で生産 されますから、ニーズのあるジャンルを選ぶ必要があります。

私は「文章を書く」才能を換金してきたわけですが、20年前の東京なら、自由業として十分に食べていけました。

ラーメン店を一日に数軒回って味を書き分けるか、脳外科の手術に10時間ぶっ通しで立ち会ってルポを書くとか、ジャンルを選ばなければ、次々と仕事はあり、勤めているの と遜色ないほどの収入を得ることができました。
その後の経済不況とネットへの以降により、昔ほど安易に原稿料を稼ぐ時代ではなくなりました。グルメブログの台頭により、グルメライターという職業はかなり厳しくなっ ています。どういう媒体に原稿を書くかを注意深く選んでいかなくてはいけませんし、その前に媒体自体が減ってきています。

果たして私の命式のどこをチェックすれば、経済的サバイバルのために経済力の推移を読み取ることができるか。これこそ生きた教材です。


5日間のお祭り期間、多くの方々に来場いただき、ありがとうございました。

パールセンターの美容室ライズの木幡さん、タロットバー、アーサの黎帆那マユー先生には大感謝です。

そして最終日の8月9日(火)に登場した稗田おんまゆら先生。
鑑定スタイルを始め、学ぶところがとても多く、中華街・華陽園の同僚である繰夜テレサ先生と私にとっては、目からウロコが落ちるような体験でした。
林秀靜先生、石川楓花先生、華陽園からは雪洲先生、日下ゆに先生が陣中見舞いに来てくださいました。

今回のイベントでは不思議なこともいろいろと起こりました。

たとえば、私がイベント用の衣装を購入したお店、puspita(プスピタ)。
中杉通りにあるエスニック調のブティックで、私が買ったブラウスはシルク製。日本でパターンを作りベトナムで縫製したものです。
占い師向けのミステリアスな服を買うならぴったりのお店です。ラテンシンガーでもあるテレサ先生は、舞台衣装もここでお買い上げしました。

七夕祭りの占いイベントのチラシを渡したところ、プスピタのオーナーは、美容室ライズのお客さんでした。
たまたま会員カードをなくして、電話番号がわからなくなったところ、目の前のチラシにライズの電話番号が載っていたのです。

初めての試みのために至らない点も多かったのですが、関わった人それぞれに何か得たものがあれば、幸いです。


阿佐ヶ谷七夕祭りでの占いイベント、美容室RISE(ライズ)さんのスペースをお借りして、楽しみながらやっています。
横浜中華街とはまた違った感覚で、とても新鮮です。
カレン・キングストンの「ガラクタ捨てれば自分が見える」(小学館文庫)の第一章の冒頭でこんなエピソードが紹介されています。

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次に訪れる街への切符をポケットに、それ以外はほとんど何を持たずに旅をする女性に出会ったことがあります。
彼女には手相を読むという、特殊な能力がありました。
ですからどこに行っても、寝る場所と食べるものには事欠くことがありません。
これぞと見定めた地元のレストランかホテルに行って支配人を呼び、食事と泊まる場所、そしてわずかな報酬と引き換えにお客の手相を見ようと申し出るのです。
私が出会った時、彼女はこのような生活を始めて三年目で、すでに何十カ国も旅をして素晴らしい人生を送っていました。
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旅芸人のような占い師というと、日本ではちょっと悲惨なイメージがありますが、こんなに気軽に、各地を転々としながら占い鑑定ができたら最高です。

本業のライター業は取材や打ち合わせは日時を限定されますが、単行本の執筆なら材料さえそろえば、世界のどこからでも原稿はメールで送れますし、占い業に必要な万年暦や筮竹、タロットカードは持ち運びが簡単です。

この夢を実現するためには、まず身軽になること。
これからは、形のあるものはあまり増やさず、形のないものにこそお金を使っていこうと思います。


易占では、六つの爻の陰陽の配置を元に之卦、互卦、錯卦などさまざまな角度から考察します。卦辞、爻辞だけに頼ることはないのですが、前提として目を通します。

しかし、易経は古代中国の書ですから、漢文を読み下すのは容易なことではありません。学生時代に漢文をもっと学んでおけばよかったと悔やみつつ、現代日本語訳に頼って います。翻訳は、どうしても訳者のバイアスが入るので、複数の書をチェックしますが、それなら英語で書かれた易の本も読んでみようという気になりました。

まず、ユングに易を伝授した中国学者リファルト・ヴィルヘルム。原書はドイツ語ですが、それを英語に訳した「THE ICHING」が出版されています。
2冊目は、ジョセフ・マーフィーの「Secrets of the I Ching」。
そして、アメリカの作家は、ストーリー展開に詰まった時に易を立てるという話を聞いていたのですが、「The Writer’s ICHING」という本も見つけました。

たとえば、風沢中孚(ふうたくちゅうふ)の二爻。
鳴鶴在陰
其子和之
我有好爵
吾興爾靡之

「親鶴が岩陰で鳴けば、子の鶴も声を合わせる。おいしい酒が入った爵(さかずき)をもっていれば、人とわかちあって楽しむ」という意味で、とても美しい爻辞です。
ヴィルヘルムの本では、風沢中孚を「Inner Truth」とし、二爻はこう訳してしています。
A crane calling in the shade.
Its young answers it.
I have a good goblet.
I will share it with you.

英文学者であり、数々の老子の著作を出している詩人の加島祥造氏は、朝日新聞のインタビューでこう述べています。
「60歳近くで漢詩を英語にした本に出くわしたんです。始めは白楽天の英訳版でね。
漢詩ってこんなにおもしろいものかと感じた。
それからしばらくして老子の英訳本を見つ けたんです。老子が、ぼくがぼんやり感じていた思想を実にはっきり、深いところから語っていた」

英語で易経を読むことで、また見えてくるものが必ずあるはずです。


占い学校で一緒に学んだ友人の占い師の自宅は埼玉県の吉見町。遊びに行くのは、積もる話もあるので泊りがけとなります。
到着した日の夜は、東松山の焼き鳥屋へ。
焼き鳥といっても、東松山では焼きトンです。うっかり、つくねを注文してしまい、「うちの店には鶏なんてないよ」と女将さん。吉田類の「居酒屋放浪記」気分だったのが、一気に「秘密のケンミンSHOW」の世界。東松山に住む埼玉県民は、焼き鳥の屋号の店で豚を食べているので、気をつけましょう。

この町にある吉見観音は、人気のパワースポットであり、休日となると若い女性を中心にどっと参拝者が詰めかけるそうです。
ネット上では、「晴れた日に行く、池袋駅でパンを購入、東松山駅からタクシー、厄除け団子を食べる、おみくじをひく、絵馬に願い事を書く」などの細かいジンクスがあり、ゲーム感覚をくすぐるところが受けたのでしょう。

吉見観音は、真言宗のお寺ですが、神仏習合の独特の雰囲気があります。駅から離れ、のどかながらも特別な場所と思わせる立地であり、いかにも願い事がかないそうです。
「吉見観音では、おみくじは大吉が出るまでひく」とネットで指南されていますが、私は一枚だけ引いて、書かれていることを天からのメッセージとして受け取ることにしています。
大吉でした。
「身も進み財宝も出来て立身出世する事は、春の暖かい日に美しい花の野を心楽しく遊び行く心地にて、よき人の引立にあずかります。けれど心正しくないと災があります」最後の一文が気になりますが、とりあえず、運気は大丈夫そうです。

参道で厄除け団子をいただき、北向き地蔵へ。
この地蔵には、占いがよく当たるというピンポイントのご利益があります。友人がとんとん拍子に人気占い師となっていったのは、この地蔵のおかげかもしれません。私もしっかりとお参りしておきました。


易は奥が深く、何年学んでも、これでいいということはありません。
私は二人の師に周易を学びました。最初の師に一通り教えていただき、復習のつもりで別の師に習ったのですが、まったく違うスタイルの教授法だったので、新たに学び直すような感覚でした。周易は、ただ爻辞を解釈して吉凶を占うのではなく、出た卦をどう読み解くかは自分なりの方法を確立していくものなのでしょう。

人相の大家・天道春樹先生は易の達人でもあります。
イースト・プレス「恋運暦」の天道先生の連載は、初回からライターとして担当していますが、二〇〇八年のWBC決勝戦の前には、先生のあざやかな立筮を見せていただきました。
当時の編集長は野球好きだったので、取材の合間には韓国との勝敗の行方が話題となりました。
すると天童先生、おもむろに「占ってみましょうか。好きな数字を3つ言ってください」。

筮竹やサイコロを使わず易を立てる方法です。
編集長が答えた数字は13、25、89。これを易の卦に置き換えると、天風姤(てんぷうこう)の五爻となります。

「これは偶然に逢うという卦。勝負占で偶然に逢うとしたら勝利しかありません。五爻を変じると火風鼎(かふうてい)。
鼎とは、足が三本付いた中国古代の器であり、家督の象徴として代々受け継がれました。これは優勝トロフィーの象徴でしょう。五爻を得 たので、勝負は5回に決まるか、5点で決まるかでしょう」
「イチローは打ちますか?」と編集長。
「天風姤は上から五つの爻が陽で一番下の爻だけが陰。これは野球のバットの形だから、打つでしょう」
結果は、先生の占断通り。5対3で韓国を下し、優勝トロフィーは日本へ。イチローも試合を決めるヒットを打ちました。

私が占い原稿を書くだけでなく、実際に人を占ってみようと決心したのは天道先生の影響が大きいのですが、「易はこうやって使いこなす」というお手本を見せてもらいました。


NHK教育テレビで朝6時55分から放映される「0655」。
猫の写真、犬の写真のコーナーが好きで毎日見ています。(早起きは苦手で録画のため、「一日のはじまりをつくる」という番組の趣旨には反していますが…)

おはようソングというコーナーがあり、「数字の恋の物語」という歌が流れました。
偶数の国の王女2と奇数の国の王子7が恋に落ちるというストーリー。

易者ならピンとくるでしょう。
易数2は兌(だ)、易数7は艮(ごん)、二つを重ねれば、沢山咸(たくざんかん)。
少女と少年の恋の卦となります。

歌の設定では、偶数の国と奇数の国は対立状態にあるので、二人の恋は認められません 。でも、異なるバックグラウンドの二人が結婚することで国が発展するということで、 ついにはハッピーエンドとなります。

兌と艮を重ねる順序を逆にすると、山沢損(さんたくそん)。
「損」とつくので、悪い卦のようなイメージがありますが、雑卦伝には「損益は盛衰の 始めなり」とあります。一見、損したようでも損のままで終わらず、益に転じます。
そして、国を治めるために民の所得を税という形で上に納めるという意味もあり、国家を司る者の心得も説いています。
王子と王女が結婚して、やがて国王と女王になるという暗示でしょうか?

筮竹や八面体のサイコロが手元にないときは、目に入ったものを数字に置き換えて易を立てるという手法がありますが、こうした数字をテーマにした歌だと、ストレートの易の卦と結びつきます。
森羅万象は1から8までの数字で表されるという易の思想を改めてかみしめた歌でした。


東洋占術の開運法といえば吉方取り。
私は一白水星、二黒土星などの九星盤に加えて、十二支の三合をプラスして吉方を割り出しています。

三合とは、十二支を円形に並べた時に120度になるグループです。西洋占星術でも120度の角度(トライン)を作る星座は吉とされますが、正三角形は自然界で最も安定した形だからでしょう。
三合には、亥卯未、寅午戌、巳酉丑、申子辰の4組があります。東洋占術を学び始めた頃は「いうひつじ、とらうまいぬ、みとりうし、さるねたつ」と呪文のように唱えながら覚えたものです。

今年は卯年、今月は未月。ここに方位で亥を加えれば、亥卯未の三合ができあがります。地図で自宅から亥の方位(西北の北半分)に温泉を探します。
吉方取りでは、飲料用の湧き水を取るのが一般的ですが、その地から湧き出す温泉に入れば、全身に吉方パワーを取り入れることができます。

今回、訪れたのは、埼玉県新座市の新座温泉。
電車で40分ほどの距離ですが、果樹園や畑が立ち並び、旅行気分が満喫できます。
吉方取りは何キロ以上移動するといった数字上の規定はありませんが、自分の普段の生活圏から違うところに来たという意識になれる土地に行くのがいいでしょう。

新座温泉は、とろっとしたぬるめのお湯が気持ちよく、すっかりリラックス。
入浴後は地元の居酒屋へ。気分は吉田類の「酒場放浪記」で、ご常連さんとも話しが弾みます。
ご常連さんが頼む裏メニュー、たまねぎの天ぷらを便乗して注文しました。隣の畑で収穫されたたまねぎに桜海老を加えてからっと揚げます。

その土地の空気にお湯、そして食材。吉方の気を最大限に取り入れて、かなりの開運効果が期待できた一日となりました。


阿佐谷七夕祭りでの占いイベントを企画していると、私はつくづく偏財(へんざい)が強いと感じます。

四柱推命では、財運を司る通変には正財(せいざい)と偏財(へんざい)があります。
正財は、労働した対価として手にするお金。組織に属して、毎日通勤し、給料日に銀行振込みがあるというイメージです。
これに対して偏財は、流通する財。お金は貯めるものではなく、天下の回りもの。会社員にはあまり向かず、スケールが大きければ起業し、そうでなければ自由業やとなります。

私は会社に勤めていたこともあるのですが、どうにも窮屈でたまらなく、自由業になりました。
編集や広告の仕事は、フリーとして働きやすい業界だったのも幸いし、20年近く一人で働いています。

リーマンショックに東日本大震災と、吹けば飛ぶような自由業にとっては逆風続きですが、「自分が自分のボスである」状態を手放す気にはなれません。ライター業に加えて占い鑑定を始めたのも、一種のリスクヘッジとなっています。

阿佐谷七夕占いでは、経験を積んで、ネットワークが広がれば、それで大満足です。そこからまた新たな展開が起こっていくでしょう。


8月5日(金)〜9日(火)に東京・阿佐ヶ谷で七夕祭りが開催されます。
今年で58年目を迎え、中央線の風物詩としてすっかり定着しています。毎年、お祭りの期間中は阿佐ヶ谷を訪れる人がどっと増えて、迷子のアナウンスがしょっちゅう流れるほど大盛況です。

パールセンター商店街では、七夕の飾りつけだけでなく、店先にさまざまな屋台も出ます。
美容室Rise(ライズ)のオーナーから「たくさんの人が集まるのだから、占いイベントを」と提案され、占いイベントを実施することにしました。
食べ物の屋台も物販もしないので、七夕祭り期間中は開店休業に近い状態になってしまうそうです。

同じく阿佐ヶ谷のタロットバー・アーサにも協力してもらい、繰夜テレサ先生、仁☆晴雲先生、稗田おんまゆら先生、黎帆那マユー先生、そして私・翡翠輝子の5名が交代でお店に出ることになりました。

何しろ初めてのことだし、お店は2階にあるので、どのくらいの人が占いにいらっしゃるか、予測がつきません。
黎帆那マユー先生によると「イベントは、とにかく初回をやってみること。2回目から知名度も上がり、徐々に人が増えてくる」とのことです。
というわけで、学園祭のノリで楽しくやってみます。七夕祭り見物のついでにお立ち寄りくだされば、幸いです。

美容室Rise(ライズ)杉並区阿佐谷南1−34−11 松永ビル2階
8月5日(金)〜9日(火)12時〜20時
料金:10分1000円〜
占術:手相、タロット、四柱推命、九星気学、周易など


マウイ島でアランに教わったこと。
何かを手放すことには勇気がいるが、苦しかったりつまらないことをずっと持ち続ける必要はない。手放すことで、楽しくていきいきしたことが手に入る。

これまでアランの本の中で表現を変えて何度も読んできたことです。
そして、私自身、ライターとしてアランの日本向け著作「魂の声に気づいたら、もう人生に迷わない」の原稿をまとめるにあたり、文章にした内容です。
でも、頭でわかっただけで、心まで落とし込むところまでいっていませんでした。
今回、マウイ島の空気の中で、アランの声に耳を傾けていると、少しずつ私の心に染みてくるような気がしました。

もう一つ、私の悪癖は、すぐ人を批判してしまうこと。
今回のマウイ島では、聖地ククイプカでシャーマンのレイオフ・ライダーさんのセレモニーもありました。ククイプカは光が開く道という意味。天からのメッセージが降り注ぐ特別な場所です。
参加者一人ずつ、レイオフさんからメッセージが伝えられたのですが、「ジャッジするのは、もうやめなさい」と言われてしまいました。

アランのワークショップでも、こんな言葉が紹介されました。
When a man points a finger at someone else, he should remember that three of his fingers are pointing at himself.
他人を指差して非難すれば、三本の指は自分を指していることを忘れてはいけません。

誰かの嫌な面に気づくのは、自分の中にもそういうところがあるから。
心地よい気候のマウイから、灼熱の東京に戻り、そろそろ魔法がとけかかってきていますが、折に触れてマウイで学んだことを噛みしめようと思います。


マウイ島でのアランのワークショップに参加したメンバーと横浜中華街で会いました。
現地集合・解散だったので、引き続きハワイに滞在中という人もいたのですが、6人が集まりました。海南飯店でご飯を食べて、ライトアップした関帝廟が眺められるオープ ンテラスで中国酒のソーダ割を飲み、最後はスタバでお茶を飲んで時間切れとなり解散。5時間以上一緒にいて、話は尽きませんでした。

ワークショップが終わって10日ほどしかたっていないのに、みんな無性に再会したいムードだったようです。
アランに共鳴して、はるばるマウイまで行くような者同士、一気 に親しくなるのは当然の流れなのでしょう。

「あのワークショップの参加者同士の人間関係では、化学反応が次々と起こった」という発言がありました。
実際、アランを囲んだ時間以外にも、自然発生的にセッションが始まり、そこから得たものもたくさんあります。
同室になった女性は、私よりずっと年下ですが、優しいお姉さん的な存在でした。海辺で砂の上に横たわり、波の音と潮風を感じながら彼女のレイキを受けたのは至福のひと ときでした。
帰りのマウイからホノルル便が偶然一緒になった人とは、30分足らずの短い飛行時間にぎゅっと凝縮された会話を交わし、多くの学びがありました。

人間関係の化学変化といえば、ユングのこんな言葉があります。
The meeting of two personalities is like the contact of two chemical substances: if there is any reaction, both are transformed.
二つの人格の出会いは、二つの化学物質の接触に似ている。もし何かの反応が起きれば、双方ともに変質する。

化学変化を起こすような啓発的な人間関係を築くこと。そして、変化を柔軟に受け止める心を持つこと。そうすれば、人生は常に刺激に満ちた冒険の連続となります。


中華街のメインはやはり中華料理。おいしいものを食べて、そのついでに占いでもしようかというお客さんが大半です。

中華街の占い師にとっても、鑑定の合間の食事はとても楽しみです。これだけたくさんの店があるのだから、いろいろ食べ歩きたいと思うもの。 でも私は、週1回しか中華街に行かないこともあり、一軒のお店に収斂されつつあります。

それは、華陽園お隣の海南飯店。
今年の新年会が華陽園で開催され、華陽園のママさんが所属占い師たちにたっぷりご馳走してくれました。どれもおいしくて、途中でお腹がいっぱいになり締めの麺やチャー ハンはあまり食べられなかったのが心残りで、この店に行くようになりました。

私が隣の店の占い師だと知っている海南飯店の女主人は、いろいろと心遣いをしてくれます。
ボリュームのあるセットメニューは食べきれないので、単品でお願いするのですが、私の顔色を見てちょっとしたものをプラスしてくれます。
深刻な鑑定が続いて頭が疲れている日は、甘い杏仁豆腐。少し肌寒い日は香り高いジャスミン茶のポット。食欲がありそうな日は、しゅうまいや餃子など点心の小皿。 忙しい日は「時間がないのね」とばかり、厨房に「とにかく早く作って」というような声をかけています。

そんなに忙しくない日は、給仕係の小姐と筆談を楽しみます。
小姐は日本語が話せますが、紙に書いた漢字を介してコミュニケーションしていると、同じ文化の流れを汲む民 族だということがしみじみ感じられます。

海南飯店はこぢんまりとしていますから、料理人の顔は見えないものの、料理の音が聞こえてきます。私のために、今作ってくれているんだという思いが、料理をさらにおい しくしてくれているような気がします。
そして何より、占い師にとって重要なのは、海南飯店がお隣だということ。
商家は、盛り塩や招き猫を入り口に置いて繁盛を願いますが、軒を連ねたお隣と円満におつきあい していることは、かなりの開運効果が期待できます。


マウイ島でアランが「神様のバナナ」という話をしてくれました。

バリ島の高い丘の上にヒンズー教の寺院があり、そこには猿がたくさんいます。
寺院ではすばらしい儀式が執り行われます。人々は、バナナなど食べ物をお供えします。
儀式が終わると、猿がたくさん集まってきて、お供え物を食べ始めます。

儀式に参加した人が、司祭にこう言いました。
「いいんですか、せっかくのお供え物がすべて猿に食べられていますよ」
司祭はこう答えました。
「それが何か? 私たちは毎日、こうしています」

つまり、バナナを神様に捧げたら、後は神様が決めること。
猿にあげようがどうしようが、神様にお任せすればいいのです。お供えした時点で、バナナはあなたのものではなく、神様のものになったのですから。

多くの人は、そう考えることができなくて、苦しんでいます。
「あんなに愛していたのに、彼は離れてしまった」
「精一杯働いたのに、会社は私をリストラした」
「世話してやったのに、感謝されない」
恋愛、忠誠、親切。これらの行為は、なしとげた時点で、完結しているのです。後は神様のものなのですから、見返りを求めるべきではありません。

ラム・ダスの「ビー・ヒア・ナウ」では、カルマ・ヨガ(薪を割ったり、水を汲むなど日常生活でのヨガ)をこう定義しています。
Do what you do.
But dedicate the fruits of the work to Me.
何をやろうとも、その仕事の実りを私=神に捧げなさい。


マウイ島から帰ってきました。

すべての一瞬が充実していて、時差ボケを感じることもありませんでした。
アランのワークショップとマウイ島ツアーが交互に組まれて、夜は自然発生的に参加者同士で深夜まで話し込み、それでも翌朝のヨガは欠かしませんでした。

今回、一人で参加したので、参加者との人間関係が少し不安でした。
でも「アラン・コーエンに共感してわざわざマウイ島まで来る人たちだから、いじわるな人なんているわけがない」と予測しました。
アランの言う「マジックテープの法則」です。波長が同じ人同士はマジックテープのようにぴったりとくっつくのです。波長が異なってくると、フックがきかなくなります。

自分の周りにまったく合わない人ばかりが集まるとか、恋をしたいのに釣り合う人が出現しないと悩むなら、まず、自分の波長を上げることです。
いつも愚痴や悪口、怒りを口にしている人は、同じレベルの波長の人を引き寄せます。

「引き寄せの法則」がベストセラーになり、この原理を知っている人はたくさんいるはずです。でも、文字で読んで頭に入れるのと、実体験を通して、心に落とし込むのは別物です。
マウイ島での体験はその意味でも、とても貴重なものでした。大人になったら、なかなか新しい友達ができにくいものですが、一気に親しい人が増えました。


アラン・コーエンは現在、ハワイのマウイ島在住ですが、その前はニューヨークに住んでいました。

ニューヨークのアランのもとに、ハワイで開かれる会議への招待状が届きました。ハワイのすばらしい気候を想像して舞い上がったアランですが、そこには「会議のポリシーとして、講演者と参加者は対等の立場にある。よって、すべての講演者は交通費、宿泊代、食事代は自らで支払うこと」とありました。

とてもがっかりしたアランですが、感情を沈めるために瞑想をしました。
アランの教えの一つに、「心が本当に望むことなら、お金を計算しないでやってみる」というものがあります。ハワイに行くと想像しただけでそれほど心が躍るのなら、自腹で行ってみようという気になりました。もちろん、借金してまでやるのは、依存や現実逃避ですが、それだけの金銭的ゆとりがあるのなら、やってみるべきでしょう。

そして、ハワイに到着して、ビーチに立ったとたん「ここが私の住むべき場所だ」と直感したそうです。それまでの人生で感じたことのない安らぎを得て、全身が幸福に満たされました。
アランがニューヨークから引っ越したのはそれから一年後です。


アラン・コーエンの住むマウイ島での現地ワークショップがあると知り、参加したいと思いつつも踏ん切りがつかなかった私の背中を押したのは、友人の占い師の言葉です。

彼女はマウイ島に行ったことがあり、そこで見た印象深い風景を語ってくれました。
海に浮かぶ火山で、そこには木が一本も生えていません。ガイドブックを見ると、世界最大の休火山・ハレアカラは映画「2001年宇宙の旅」のロケ地にも使われています。 そして、彼女は「まるであなたの命式のような所」と告げたのです。

彼女と私は一緒に四柱推命を学び、命式を景観で見るという手法を鑑定で用いています。
生まれた年月日を六十干支にし、たとえば「春になってすくすく伸びる樹木」「海水浴客がたくさん集まる夏の海」のように見立てます。

私の場合は、雪の積もった冬山に温泉が湧いているイメージですが、水行を雪ではなく海とすれば、マウイ島です。そして私の命式には木行がないので、まさにハレアカラ山です。

自分の命式を旅すれば、そこできっと特別な情報が得られるはず。というわけで、マウイ島までやってきました。
※横浜中華街・華陽園での6月24日の鑑定はお休みです。


昨年、アラン・コーエンの「魂の声に気づいたら、もう人生に迷わない」(徳間書店)という本のライティングを担当しました。
アランはハワイ在住のアメリカ人で、スピリチュアル系のベストセラー作家です。日本でも数冊の翻訳は出ていますが、日本人向けの語りおろし本を作ることになり、幸運なことに私に依頼が舞い込んできました。

アランは著名人ですが、偉そうなところはまったくありません。そして、スピリチュアル系とはいうものの、突飛なことはあまり口にせず、話す内容は至って真っ当なことばかりです。
「内なる声は、いつも穏やかです。急いでいないし、焦燥感もありません。穏やかながら、力強さがあります。安心感を伴います」
本の中に、こういう節を書きましたが、これまさしくアランの人となりです。

取材中、アランがよく「テラヤマサン」という名前を口にしました。アランの知る、最も覚醒した日本人だというのです。「彼だったら、どんな状況に置かれても、自分を見失ったりしないだろう」と。
「テラヤマサン」とは、寺山心一翁さんのことです。
末期がんを完治させ、自然治癒力の研究家として研修や講演を行っています。
そして、驚いたことに、私の住むマンションの2階下が寺山さんの事務所でした。

寺山さんのことは何も知らなかったのですが、時折、エントランスなどでお会いするたび、「ただものじゃない人」という特別なオーラを感じていました。
私がアランの本を担当したことを告げると、寺山さんはとても喜んでくださいました。

今週の土曜日(6月18日)から、アランの住むマウイ島でのワークショップに参加します。
先日、たまたま寺山さんとお会いしたので「アランに会いに行きます」と話すと、二人で一緒に写真を撮ってアランに持って行くことになりました。
※横浜中華街・華陽園での6月24日の鑑定はお休みです。


遅ればせながら、小川糸の小説「食堂かたつむり」を読みました。
同棲していた恋人に家財道具一式を持ち逃げされ、無一文で郷里の田舎に帰り、一日一客限定の食堂を開店する女性が主人公です。
一日一客だけの完全予約制。事前に面談し、何を食べたいかを聞いてからメニューを考えます。
おいしそうな料理の描写もすばらしいのですが、「料理の神様」というフレーズに心惹かれました。
主人公は、料理の前に食材の声に耳を傾けます。それぞれの状態を確かめ、どう料理してほしいのか尋ねます。すると食材自ら、どう調理するのが一番ふさわしいのかを、語 りかけてくれるのです。

そして主人公は料理の神様に、こう祈ります。
「どうか、無事においしい料理が作れますように。この食材たちをがっかりさせたり、傷つけたり無駄にすることなく、おいしい料理として成就させてあげられますように」
私の占い鑑定もこうありたいものです。

主人公はこんなことにも気づきます。
「今までは自分がすべて料理を作っているような気持ちになっていたけれど、私は、単に素材と素材を組み合わせているに過ぎないのだ」

すごい鑑定をしたからといって、占い師がすごいのではありません。
鑑定の素となる命式や卦、タロットカードは天からもたらされたものです。
占い師はそうした素材を言語化して伝えているだけです。料理人が包丁で切り刻んだり、熱を加えているように。


風水では玄関が重視されます。
玄関は、内と外の接点となる場所。金運は社会や人間関係からもたらされますから、玄関の状態を整えることが運気アップの鉄則です。
靴をきちんと揃えたり、玄関のたたきを水拭きしたり、方位に合わせたラッキーアイテムを飾るなど、さまざまな開運法を執筆してきました。

しかし、最大の開運法は、お隣との円満な関係だと思います。
特に、都会で住宅が密接しているようなところでは、お隣とぎくしゃくすると、とたんに運気に悪影響が及びます。
出入りするたびに気配が感じられ「あの憎たらしい家の奴 が…」みたいな念を送られたら、いくら玄関の風水を整えていてもひとたまりもないでしょう。

幸いなことに、私の家のお隣さんはとてもいい方です。顔を合わせば話も弾みます。
お隣を選ぶことはできないので、この幸運に感謝していました。

しかし先日、お隣に引っ越し業者が出入りしているようす。
そのうち電気屋さんらしき業者が来て、エアコンがどうのこうのという玄関先での言葉が聞こえてきました。

新しいお隣さんはどんな人になるのか不安になりましたが、話を聞いて一安心。
引っ越し業者は不要品の引き取りサービス。そして、節電が叫ばれているから、家中のエアコンをすべて省エネ型に買い換えるそうです。
「ああよかった」と胸をなでおろした次第です。


長く生きていると、どうしようもなく落ち込んでしまうことがあります。順調だったはずの流れが途絶え、残されたのは苦い失望だけ。夜中に目が覚めて、「自分の何がいけなかったのか」、「あの時、ああしていれば」と考え始めると、眠れなくなります。
そしてどんよりとしたまま朝を迎え、そんな状態では、運気の流れをつかむことはとても無理。ますますツキに見放されてしまうのです。

桜井章一氏の「ツキの正体」から。
滝壺に突き落とされたら、どうするか。
普通なら、激流に飲み込まれまいとしてもがき、力尽き、最後には溺れてしまう。
助かる方法は、まったく逆。無駄な抵抗をやめて激流に身を任せ、滝壺の底まで押し流されること。底の水流はそれほど激しくなく、全体の水の流れがわかるので、水平に移動して底の中心部から抜け出し、そこからおもむろに水面に向かって浮上すればいい。

どん底に落ちたとき、あれこれ悔やんで気に病むのは、激流でもがいているようなもの。
起きてしまったことは起きてしまったこととして、割り切ること。

そうしたときに役に立つのが占いです。激流でもがいている人に、滝壺全体の水の流れを見せてくれるのですから。

時折、鑑定の最中にぽろりと涙を流すお客さんがいます。
悲しいから泣いているのではありません。悶々としてきた悩みに対し、占い師の一言でふっと何かが解けて「ああ、そういうことだったのか」と、安堵の涙を流すのです。

私の場合は、泣くお客さんのほとんどは、タロットカードの鑑定です。
私のタロットの師は伊泉龍一先生ですが、「リヴィジョン」という手法を徹底的に叩き込まれました。
一般のタロット占いでは、質問に対する答えを見つけるためにカードを見ます。「恋人ができますか?」と聞かれたら、カードに割り当てられている意味を元に答えます。
リヴィジョンはこのまったく逆です。カードの視点から質問をリヴィジョンするのです。「恋人ができますか?」と質問した人の状況がカードのようなものであると、イメージ化するのです。

 悩みの滝壺に落ちてもがいている人には、その悩みについて答えるだけでなく、置かれた状況を一歩引いたところから見ることが必要なのです。


麻雀で20年間無敗という桜井章一氏の「ツキの正体 運を引き寄せる技術」(幻冬舎新書)を読みました。
占いの目的は、当てることだけでなく開運ですが、桜井氏のこの本は、ヘタな占い師では太刀打ちできないほど示唆に富んでいます。

「どんなに運がよくても、それを感じ取って活かしていないと、いつの間にかツキを失ってしまう」と桜井氏は主張します。
たとえば野球では、得点のチャンスを何度も逃していると、流れが相手チームに行ってしまい、ちょっとしたエラーが大量失点につながります。野球中継で解説者が二言目には「流れが」と口にするのは、このメカニズムに乗っ取ったものです。

そして、たとえツイていない状態でも、よく見ればツキは漂っているそうです。
桜井氏なら、ピンチをしのぎながら、徐々に体勢を立て直し、流れを変える勝負手をビシッと決めてツキを引き寄せるというのです。

凡人にはできないことだから、こうして本になっているわけですが、実行できそうなヒントも書かれています。
「この次」「後で」を禁句にすること。
これらの言葉が決まり文句になっている人は、物事を間延びさせる習慣が身についているため、流れていくツキをつかまえることができないのです。


内気で吃音癖のあるジョージ6世が、立派な国王へと成長していく「英国王のスピーチ」ですが、言語療法士以上に王を支えたのは王妃エリザベスです。

内気な国王ジョージ6世に対して、エリザベス王妃は肝が据わっています。
ロンドン空襲が激しくなり、英国政府は王女二人を安全なカナダに疎開させる計画を立てます。しかしエリザベス王妃は断固拒否。
「私の子供たちは私のもとを離れません。私は国王陛下のもとを離れません。そして国王陛下はロンドンをお離れになりません」と語りました。この言葉に胸を熱くしないロンドンっ子はいないでしょう。

極めつけは、バッキンガム宮殿が爆撃されたとき。
「爆撃されてうれしい。これでイーストエンドに顔向けができます」
イーストエンドは、ドイツ軍の空爆により最も大きな被害を受けたロンドンの下町です。
こうした力強い発言により、第二次大戦中、イギリス王室は国民に強く支持されました。

四柱推命では、自分にとって好ましい五行が命式にないときは、大運や流年を待ったり、五行が象徴する色や方位、食物などで補います。
その中で最も効果があるのは、配偶者です。自分に足りない五行を最も身近な存在で補うというわけで、「借妻安子(しゃくさいあんし)の法」と呼ばれます。
私の鑑定では、家族や恋人の誕生日もお聞きするのは、最も身近な人の五行の構成こそ、運気に大きく左右するからです。


ロータリークラブでの講演に先立ち、イメージトレーニングのために映画『英国王のスピーチ』を観ました。

印象に残ったのは、ジョージ6世の妻エリザベスが言語療法士を訪ねるシーンです。内気で吃音に悩むジョージ6世(この時点では国王の次男)は、公務のスピーチが大の苦手でした。

「夫はうまく話せなくて…」と切り出すエリザベスに、言語療法士は「それなら話さなくて済む仕事を探せばいい」と言い放ちます。
「そういうわけにはいかないのです」とエリザベス。王族には職業選択の自由はなく、公の場に出席すれば、必ずお言葉を求められます。

それでも、次の王は社交界の花形でスピーチも上手なエドワードのはずでしたから、少しは気が楽でした。

ところがそのエドワードは即位するものの離婚歴のあるアメリカ人女性、ウォレス・シンプソンとの結婚のため、一年ほどで退位してしまいます。世に言う「王冠を捨てた恋」です。
しかも時は第二次大戦前夜。国難の時期こそ、国民を束ねる象徴として王の言葉が求められます。映画では、言語療法士と家族に支えられ悪戦苦闘するジョージ6世の姿が描かれています。
人それぞれ得手不得手があるのですから、自分の強みを活かせる仕事に就くのが手っ取り早い開運法です。
でも、英国王ほどでないにしても、一般庶民も自由な選択ができるわけではありません。内定をもらえた会社が一社しかなかった、あるいは希望した会社に入れても、配属された部署が不本意なところだったなど。

持って生まれた命式は変えられませんが、大運、流運によって、自分に欠落している五行が巡ってくるタイミングは誰にでも必ず訪れます。
その流れを知ることで、苦手分野を克服して、大きく飛躍することも可能です。

ジョージ6世と王妃は第二次大戦中、イギリス抗戦の象徴として国民の心のよりどころとなりました。


5月19日、浦和中ロータリークラブの例会で、東洋占術についてお話しさせていただきました。
経営者の方々を前に、占いのことなんか話していいのかという危惧もありました。でも、考えてみれば、雇われの身の会社員や公務員と違い、一国一城の主である経営者の方々は、自分の決断一つで業績がアップダウンします。占いも一つの情報として活用することもあるのでしょう。

一対一の占い鑑定ではなく、陰陽五行や六十干支についてマイクを通して説明するのは、私にとっても貴重な学びの機会となりました。

以前、占い雑誌の取材で西洋占星術の松村潔先生こんなことを言われたことがあります。
「インプットするだけでなく、アウトプットすることが重要。占い学校に延々と通い続けて勉強して、それだけで満足してはいけない。鑑定なり、執筆なり、人に教えるなり、吸収したことを自分の言葉で表現するべきだ。そうすることで初めて、占い理論が自分のものになる」
松村先生が大量の執筆をこなしながら、精力的に各種セミナーを開催されているのはこういう理由があるからです。

例会の後の懇親会では、大役を果たした後のビールのおいしいこと! 
すばらしい機会を与えてくださった、浦和中ロータリークラブの方々に深く感謝いたします。


天王洲アイル銀河劇場で『カレーライフ』を観ました。若い役者さんたちがいきいきと演じていて、とても楽しい舞台でした。
料理人だった祖父のカレーの味を再現するために、孫(いとこ同士)たちがアメリカ・バーモント州、インド、沖縄を駆け巡るという話ですが、カレーというのは不思議な料理です。

昨年、インドを旅したときのガイドさんは日本に住んだ経験があるので「ハウスバーモンドカレーはいかがでしたか?」と質問すると、「あれはとてもおいしい。だけど、カレーとは思わなかった」との答えでした。
牛を食べないヒンズー教徒のインド人がビーフカレーの存在を知ったら、目を回すことでしょう。

インド発祥のカレーが日本にもたらされたのは、イギリス経由です。
インドから直接ではなく、イギリスを経由したからこそ、カレーが日本の国民食になったのではないでしょうか。

中国発祥の周易を日本人の私が学んでいるのも、カレーとよく似ています。
以前、東洋占術の本場である台湾で学んだという占い師に「略筮で占っているのか」と馬鹿にされたことがあります。
略筮は、江戸中期の儒学者・新井白蛾によって広められたもので、正式の筮法(本筮)だと十八変しなくてはいけないのが三変で済みます。本筮と略筮のあいだに六変の中筮もありますが、私には略筮が一番しっくりきます。

スパイスをすりおろして調合するところから作ったインドカレーが本筮だとしたら、略筮はルーを使ったカレーライスかもしれません。
でも、カレーライスこそがソウルフードだと思う日本人はたくさんいると思うのです。


「翡翠輝子」として占い業の看板を掲げていますが、ライターとして、本名での原稿書きも仕事のかなりの部分を占めます。

この2ヶ月ほど対談本に取り組んでいたのですが、ようやく編集者に第一稿を送るところまでたどりつき、ほっとしているところです。

本の原稿を書いているといっても、私は著者ではありません。ライターとして、著者の語りおろしを起こしたり、あるいは元原稿を編集リライトするのが私の役目です。

これは占い鑑定の仕事とよく似ています。
霊能者なら、前に座ったお客さんに対して、思いついたことを言えばいいのでしょうが、占い師は命式やホロスコープ、手相、易、タロットから得られた情報を編集して伝えます。
だから「占い師だから霊感があるでしょう」と言われると困ってしまいます。守護霊や背後霊などは、まったく視えません。
以前、霊能者に取材したときに「車を運転していると、道路のあちこちで、そこで亡くなった自縛霊が視えて思わずブレーキを踏んでしまう」という話を聞きました。視えてしまうのもなかなか大変なようです。

文章を書く仕事にたとえれば、霊能者が小説家、占い師がライターといったところでしょうか。


周易には、「射覆(せきふ)」というものがあります。覆いの下にあるものを当てる(射る)から「射覆」です。

周易の講座でやってみたことがあります。
先生が持参したものを布の下に隠し、生徒がそれぞれに卦を立てて、それが何であるかと考えます。
不思議なのは、生徒が出す卦はばらばらなのに、その卦を出した人の思考パターンに従って卦のどこに着目するかで、正解にたどりつく道筋ができていくところです。
もっとも、それに気がつくのは、正解が示され「なぜ自分は当てられなかったのか」を考えてからです。そのプロセスが、とても勉強になります。

鑑定のお客さんの問いに卦を立て、どこを強調して伝えるかを考えます。
爻辞をそのまま現代語訳すればいいこともあれば、得た爻の陰陽を変じてできた卦が何を示すかを考えたり、八卦の象意に立ち戻ってその組み合わせを見るなど、射覆と同じだと思います。

布の下にあるものを当てるというと、まるで超能力実験のようですが、超能力がない凡人だからこそ、六十四卦というヒントを易神からいただくのです。


中国人のお客さんが、筮竹を「見たことがない」とおっしゃるのは当然で、中国本土で易占といえば、周易ではなく断易です。断易ではコインやサイコロを使います。

断易のテキスト『三文易講和』の序文にも、日清戦争当時に中国に渡ったところ、大道易者で筮竹を持っている者は一人もいなかったという記述があります。
占い雑誌の取材で、中国人の占い師の話を聞いたところ、「中国人は、はっきりとした 結論が欲しいから、断易で占う」とのことでした。
また、台北の占い書店、進元書局で店主に筮竹はないかと尋ねましたが、それらしきものはありませんでした。

私がもっぱら周易で占いますが、断易も習ったことがあります。
一通りの講座では身につかず、別の先生の講座で再チャレンジしましたが、結局わかったのは、私は断易に向いていないということです。
占い師とお客さんに相性があるのと同じく、占い師と占術にも相性があるのでしょう。

断易を学んだことがまったく無駄であったかというと、そうでもありません。
十二支の扱い方などは四柱推命に応用できますし、少なくとも断易とはどんな占いかを体験でき、周易への傾斜が強まりました。

もう一つ、学んだけれど身につかなかった占術が奇門遁甲です。結局、方位取りは九星気学に絞ることにしました。


中華街・華陽園で鑑定していると、時々、中国人のお客様がいらっしゃることがあります。
中国の方を四柱推命や周易で占うのは、冷や汗ものです。東洋占術本場の方に向かって、陰陽五行や八卦の説明をするのは、外国人に源氏物語を解説されるようなものでしょうから。

しかし、中国では文化大革命で占いは非科学的なものとして徹底的に弾圧されたため、今の中国人にとっては、四柱推命も周易もなじみのないもののようです。易については 、中国本土では断易のほうが主流だったこともあり、筮竹を取り出すと珍しそうな視線をなげかけられます。
「この竹の棒は、天の意思を地に伝えるものです」などと解説しながら、筮竹を筮筒に立てるうちに、だんだんと度胸が出てきます。

易はおみくじではありません。投げかけられた問いに対して、卦の意味するところを組み立て、ストーリー化する占術です。六十四卦と得た爻の組み合わせだけで吉凶を判断するだけなら、易者は必要ありません。
易神は、問いを立てる人間の国籍など問わないはずです。中国の方が、易者として日本人を通して、天におうかがいを立てる。この状況にもっともふさわしい答えが得られるはずだという信念を奮い立たせ、占っています。


この5月に、占いについて講演することになりました。聴衆は20人ほどで、経営者の方々です。

この講演会の話を取り持ってくださったのは、FP(ファイナンシャル・プランナー)の山田静江さん。私が女性誌でマネー関連の記事を書いていた時代にお世話になった方です。

何人ものFPやマネーの専門家に取材しましたが、なぜか山田さんとは特別なご縁があり、折りに触れてプライベートな近況報告を交わしていました。私がライター業に加えて占い鑑定業をスタートさせたことを伝えておいたところ、山田さんと同じくFPの伊田賢一さんを紹介され、今回のお話につながったわけです。伊田さんは定期的にこうした講演会を企画しています。

自分は話すより書くことのほうが得意だから、占いを学んでも原稿に反映させるだけだと思い込んでいましたが、求められるままに人を占うようになり、今では毎週1回、中華街で多くの人を鑑定するようになりました。

そして、ついには講演も行うようになったわけですが、占いの師匠たちが常々「開運はまず人間関係から」と主張していたのを思い出します。
たとえば黒門先生は、こう言います。
「山奥で一人暮らしをしている人が、風水の開運法をいくら実行しても、恋愛運や仕事運が上がることはない。せいぜい健康運ぐらい」
なぜなら、人間は社会的な動物だから。ほとんどの運は人間関係を通してもたらされます。自分の部屋に引きこもって、恋愛運アップの開運法をいくら実行したところで、ある日突然、あこがれの王子様が花束を持ってドアをノックしてくれるなんてことは、ありえません。

目の前にある仕事を着実にこなしながら、そこに関わる人と調和的な人間関係を築くこと。遠回りのようでいて、そうしたことの積み重ねで、運気が上がっていきます。今回の講演会の話は、そうやって人が運んでくれた「運」です。


数年前、金沢を旅した時、金沢21世紀美術館に行きました。特にアートに興味があったわけではないのですが、とてもユニークな美術館だから見ておいたほうがいいとアドバイスされたからです。
たまたまその日、英文学研究家で翻訳家の柴田元幸氏の講演がありました。美術館なのに文学の講演というのも珍しいのですが、展示テーマが「リアル・ユートピア〜無限の物語」で、柴田氏の講演のタイトルは「カズオ・イシグロと無限の物語」でした。席に若干空きがあるらしく、係員に熱心に勧められて聴衆の一人となりました。

その講演で最も印象に残ったのは、カズオ・イシグロの若い頃のヒーローはボブ・ディランとザ・バンドだという話でした。
その時はカズオ・イシグロの小説は「日の名残り」しか読んでいなかったのですが、この小説は、ボブ・ディランの「Gotta Serve Somebody」という曲に触発されて書かれたものだと気づきました。

「日の名残り」は貴族の家で親子二代にわたり執事を務めてきたスティーヴンスの回想記です。映画化され、アンソニー・ホプキンスが演じています。品格を何よりも重んじ、誇りを持って日々の任務に当たっていたのですが、読み進むにつれて、彼が仕えていた貴族のショッキングな事実が明らかになっていきます。

一方、ボブ・ディランの「Gotta Serve Somebody」は、これでもかというほど言葉が羅列される彼らしい歌詞です。
「あなたは、大使かもしれない、ヘビー級チャンピオンかもしれない、ビジネスマンかもしれない、泥棒かもしれない、警察官かもしれない、体が不自由かもしれない、ウィスキーが好きかもしれない、ミルクが好きかもしれない、床で眠るのかもしれない、キングサイズのベッドで眠るのかもしれない…」
そして、サビの部分はこうです。
「あなたは誰かに仕えなくてはならない。それは悪魔かもしれないし、神様かもしれない」

執事スティーヴンスが仕えたのは、悪魔に仕えようとした貴族だったという小説のテーマがディランの曲によって明確になりました。

人生では思わぬ形で、重要な情報が得られることがよくあります。
占い師として、お客様にそうした情報を伝えられたらいいのですが、占い師だけがそうした役割を担っているわけではありません。ふと耳にした会話、電車の中で視界に入ってきた中吊り広告などで、はっとさせられることは誰しも経験があるはずです。


小説が映画化されると、イメージが違ったものになり、がっかりしたという批評がよく出るものですが、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」の評判がとてもよかったので、観に行きました。

キャシーを演じたキャリー・マリガンを始め、主要人物の3人を演じる若い役者の演技が絶賛されていますが、カズオ・イシグロの描いた世界からそのまま抜け出たようでした。
ただし、私にとってキーラ・ナイトレイは、「プライドと偏見」で演じたベネット家の快活な次女エリザベス役が刷り込まれているので、映画の後半は「幸せをつかんだはずのお嬢さんがこんなことになるなんて…」と、痛ましくてたまりませんでした。

「文学界」のインタビューによると、カズオ・イシグロは、「人間が自分たちに与えられた運命をどれほど受け入れてしまうか」ということに昔から興味をそそられたそうです。
「わたしを離さないで」も、なぜ運命を受け入れてしまうのか、抗って脱出しようとしないのかという感想を抱く人が多いはずです。

カズオ・イシグロは長崎生まれで、5歳の時に両親とイギリスに移住しました。当時のイギリスには日本人コミュニティがなかったため、両親はバイリンガル教育をあきらめました。だからカズオ・イシグロが両親と話す日本語は5歳の子供の言葉のままだそうです。
小説家という職業を選ぶ人にとっては、子供の時とはいえ、使用言語が変わってしまうのは、かなり不利ではないかと私は想像します。
しかし、カズオ・イシグロは、運命を受け入れ、日本を離れたからこそ、作家になったと語っています。距離を置いてイギリス社会を眺められたのも、大きなプラスだったと。
タイムマシンでもない限り、もし彼が日本に帰国し、石黒一雄として成長したら、がどんな大人になったかはわかりません。

映画の最後で、キャシーがつぶやきます。
「私たちが救う命と、私たち自身の命には、どれほどの違いがあるのだろうか。どちらの側にいても、本当のところはわからない」
それを少しでもわかろうとする試みから占いが生まれたわけですが、わかることよりもわからないことのほうが多いのです。


震災後、一時的に東京のスーパーからお米や水がなくなりました。そんな時でも、アルコール売り場には豊富に商品が並び、ビールやワインをまとめ買いしても、白い目で見られることはありませんでした。

それなのに最近、ビールが品薄状態です。東北のビール工場が稼動できず、これから飲み頃の季節を迎えるというのに、ビール不足が懸念されています。

花見自粛騒動の時に、岩手の酒蔵の「お花見のお願い」という動画が話題になりました。「酒なんて飲んでいる場合じゃない」と自粛されると、経済的な二次被害が生じてしまうという訴えです。
飲ん兵衛は、いつも飲む理由を探しています。これほど立派な理由があるでしょうか。ビールをやめて東北の日本酒を飲むことにしました。

これまで日本酒はあまり飲まなかったので、福島県会津出身者にお勧めを教えてもらいました。会津は内陸部なので震災の被害は海岸部ほど深刻でなく、原発からも離れているのに、福島県ということで観光客が激減しているそうです。

いくつか銘柄を挙げてもらい、私が選んだのは「天明」です。
易の卦では、天は「乾」、明は「離」ですから、天火同人となります。人と同ずる、和同の卦です。爻辞には「君子のみ能く天下の志を通ずることを為す」とあります。願わくば、この危機的状況に天下をまとめる君子が出現してくれますように。そして小人は、くだらない争いはやめて、心楽しくお酒を飲み交わすことにします。


東北大震災が起こった直後、ドイツ人の友人から安否を気遣う手紙をもらい、「しばらくこちらに来たら? 家族も一緒に」と書かれていました。彼女が住むシュトゥットガルトは、ビールもワインもおいしい美しい街です。
「東京は大丈夫だから」と返信を出しました。繰り返し放送される津波の映像で、海外では日本全土が被災しているようなイメージを持ったのかもしれません。そして、チェルノブイリの苦い記憶から、少しでも遠くに避難したほうがいいと考えてくれたのでしょう。

その時点では、福島原発については楽観視していました。当時のロシアと日本では技術レベルが違うのだから、早期に沈静化するだろうと。

震災から1ヵ月後の昨日は、アイルランド人の友人から避難を勧められました。ダブリン在住のご夫婦ですが、アイルランドの西海岸に別荘があるので、そこに滞在すればいいと。
アイルランドはとても好きな国です。のんびりした西海岸は、目立った観光スポットはありませんが、のどかな光景が広がり、人々は人情豊かで話し好き。それにパブで飲むギネスのおいしいこと。

少し心が傾きました。アイルランドに行けばきっと楽しいでしょう。でも、これは旅行ではありません。

思い出したのは「テヘランにおける死」です。
アウシュビッツを生き抜いた心理学者、V・E・フランクルの「夜と霧」に出てきます。
「夜と霧」は収容所の描写があまりにも悲惨で、あまり思い返さないようにしているのですが、「テヘランにおける死」は寓話です。

「テヘランにおける死」は、こんな内容です。
金持ちのペルシャ人の召使が死神に会って脅されたので、駿馬をもらいテヘランへ逃げた。今度は主人自身が死神に会った。「なぜお前は私の召使をそんなに脅したのだ?」と問いかけると「私は別にそんなつもりはなかった。ただ、彼がまだここにいたのでびっくりした。なぜなら、今晩、私は彼とテヘランで会う予定だから」と死神が答えた。

放射能から少しでも遠くへ逃げたいと願っても、逃げた先で何が起こるかわかりません。だったら、じたばた動かず、今暮らしている場所で運命を受け入れます。

先日、近所の桜の名所で桜吹雪の中、ビールを飲みました。写真を撮ってもらい、海外の友人に送ります。とにかく今年も青い空のもと、桜の花が咲きました。


ボブ・ディランが初の中国公演を行いましたが、「時代は変わる」「風に吹かれて」などプロテストソングは封印しました。
朝日新聞によると、昨春もディランは中国公演を企画したけれど、許可が下りず断念。
今年は、「承認された範囲の内容」で許可されたそうです。

中国当局と妥協するなんて、原発批判の「ずっとウソだった」を歌う斉藤和義を見習えと言いたくなりましたが、私はいかにも彼らしいと思います。
「フォークの神様」という称号も彼は嫌がっているはずです。ロックに転向して、さんざん裏切り者扱いされたのに、なぜ「フォークの神様」と呼ばれるのでしょう。

「風に吹かれて」は反戦ソングとして名高いので、ボブ・ディランも反戦活動家のイメージがありますが、ベトナム戦争が激化した1969年、彼はカントリー曲を集めた「ナッシュビル・スカイライン」を発表します。
「何人死んだら、多くの人が死にすぎたとわかるんだろう?」と歌っていた人物が「ラズベリー、ストロベリー、レモンにライム、カントリーパイが大好き」と歌うのだから驚きです。しかも声の質も変えて、ざらついた声ではなくつるっとした美声になっています。
彼としては、自分は単なる拡声器のようなもので、その時々の時代の気分を歌にしているだけのに、教祖のような存在に祭り上げられるのが嫌だったのでしょう。

「ディランはなにも考えていない。なぜなら真のアーティストであり、天才だからです」(中山康樹「超ボブ・ディラン入門」より)。
彼はただ歌いたいだけ。言葉やメッセージが天から降ってくるので曲にしただけ。
私が占いの世界で究極に目指しているのが、このディランのスタイルです。陰陽五行理論や易経の爻辞を超えて、命式や卦を見て自然に出てくる言葉。「当ててやろう」とか「こう言ったらお客さんが喜ぶ」というエゴのない状態です。
それは単なる思い付きではないかと突っ込まれそうですが、言葉を発しているのは私ではなく易神です。いにしえの占いは、もともとそういうものだったのではないでしょうか。


雑誌や新聞で「こんな時だから読みたい本」という特集を見かけます。
被災地で困難な生活を強いられている人がたくさんいらっしゃいますが、とりあえず安全が確保された後は、精神への栄養も必要です。
人によっては、音楽やスポーツで一時の安らぎを得られるでしょうし、活字の力を再確認することもあるでしょう。

こんな時に私が読むのは「思い出のアンネ・フランク」(文藝春秋)です。
著者は、ミープ・ヒース。第二次大戦中、ナチスの迫害を逃れてアムステルダムの隠れ家で暮らしたユダヤ人二家族を支えました。
アンネたちがゲシュタポに連行された後、隠れ家からアンネの日記帳を持ち出したのも、この人です。

戦時中で物資が窮乏し、自分達が食べていくだけでも困難なのに、二家族の食料や日常品を確保するには、大変な苦労があったことでしょう。
「アンネの日記」だけを読むと、ミープ・ヒースが奉仕精神あふれる聖人のように思えますが、「思い出のアンネ・フランク」を合わせて読むと、彼女の行動の背景がよくわかります。

ミープ・ヒースはオランダ人ではなく、ウィーン生まれのオーストリア人です。もともと丈夫な子供ではなかった上に、第一次大戦後の深刻な食料不足で栄養失調になり、「このままでは命が危ない」と、食料事情のいいオランダに養女に出されました。そのままアムステルダムで成長し、就職したのがアンネ・フランクの父親が経営する食品会社です。

そして、母国オーストリアがナチスドイツに併合されたことで、オーストリア国籍だった彼女には、黒い鉤十時のスタンプが押されたドイツのパスポートが渡されます。
ドイツ国民になったのだからと、ナチ女子青年団への加入を勧められますが、彼女はきっぱり断ります。
「どうしてそんな団体に加入できるものですか。ドイツ人がドイツ在住のユダヤ人に、どんな仕打ちをしているか、見てごらんなさい」
この一言によって、彼女は大きな苦境に立たされることになります。

ミープ・ヒースのパスポートには大きな×印がつけられ、失効しました。オランダ人の恋人と結婚するに当たり、アムステルダム市役所に婚姻届を提出するのは大きな賭けでした。もし係員がナチの同調者なら国外退去を命じられます。幸いにも、係員は見逃してくれて、晴れてミープ・ヒースはオランダ人となりました。

そんな彼女だからこそ、隠れ家に住むユダヤ人家族に尽くしたわけです。
ゲシュタポによる連行後、戻ってきたのは父親のオットー・フランクだけでした。彼女がナチの目をかわして保管していたアンネの日記は、世界中の人に読み続けられることになりました。

アンネ・フランクのように、後世に残るような文章を書くことは、私には無理でしょう。そして、ミープ・ヒースのような崇高な献身もできません。
せめて、ミープがユダヤ人をかくまっていることを薄々気づいて、何も言わずにジャガイモを多めに袋に入れる八百屋さんぐらいの行為はできないものかと思っています。


1962年のキューバ危機でアメリカ国民が核戦争の恐怖におびえている最中に、ボブ・ディランは「はげしい雨が降る(A Hard Rain’s A-Gonna Fall)を書きました。

「どこへ行ってきたの? 青い目の息子」と問いかける母親に、息子が言葉を羅列しながら答えます。
七つの悲しい森、十二の死んだ海、誰もいないダイアモンドのハイウエイ、野生の狼に囲まれた生まれたばかりの赤ん坊、血のしたたるハンマーを持つ男たち、水につかる白いはしご、等々。
そして、「はげしい雨が降りそうだ」と結ばれます。

青い目の息子は、雨が降り出す前に、再びその地に向かうつもりです。
そこには多くの人々がいて、彼らの手はからっぽです。毒が水にあふれ、住まいは湿っぽい牢屋のよう。醜い飢えが蔓延し、魂は忘れ去られています。そして、執行人の顔はいつも隠されています。

「はげしい雨」は、核ミサイル攻撃による放射能の雨ではないかと解釈されましたが、ボブ・ディランは否定しています。天邪鬼なディランのことですから、そういうベタな解釈を嫌ったのでしょうが、キューバ危機により「自分の人生はそう長くないかもしれない」という恐怖を抱いたことは告白しています。

この曲が発表されてから、半世紀近くがたち、再びこの曲のような状況が日本で起こるとは、誰が想像したでしょうか。


伊豆「やすらぎの里」の1週間滞在を終えて、東京に戻りました。
1週間にわたって断食したわけではなく、3日断食、3日回復食から普通食という日程です。

最後の夜に、大沢代表から、出所後の注意点などのお話がありましたが、「入所」「出所」という言葉は、まるで刑務所のようです。実際、滞在中は「娑婆に出たら、まず一番に何をするか」というのが、入所者同士の大きな話題でした。

今回の滞在で改めて感じたのは、人間も動物の一種だということ。食べることが生きることに直結すると実感しました。
東北の被災者の方々はどんなに大変だろうと思っていても、断食中は常に空腹が思考の中心を占めます。
東京では、被災してもいないのに、地震関連のニュースを見るたびに暗い気持ちになっていましたが、断食中は食欲との戦いで、被災地への思いは二の次になりました。

そして、回復食から普通食へのプロセスは、食事が至福の時間でした。
辛い断食を終えたからこそ、食べる楽しみを味わえたわけですが、断食期間を乗り越えることができたのは、期限が設定されていたからです。あと何日我慢すれば、普通のご飯が食べられるようになると思えば、空腹のつらさにも耐えられます。

人間は、期間が定まった辛苦なら、耐えられる強さを持っています。
被災者の方々は、いつ終わるともしれない苦しい生活を送っていますが、日常生活を送っている私たちは、恋愛や仕事で苦しいことがあっても、時が巡ればその苦しみは終わります。その時期を知る方法の一つが占いです。運気の変わり目を知ることで、前向きに生きることができるのです。


伊豆の断食施設「やすらぎの里」で1週間過ごすといっても、1週間すべて断食しているわけではありません。最初の3日が断食、後半4日が回復食です。

昨日は回復食1日目だったので、おかゆとお味噌汁、梅干をいただきました。
私が一番楽しみにしているのが冷奴。
断食すると味覚が鋭敏になると言われます。前回の滞在での回復食で、「冷奴には何もかけないでお召し上がりください」といわれました。大豆のおいしさがしっかり味わえる生涯最高の冷奴でした。
おかゆに少量ふりかける、ごま塩の塩分、梅干の酸味、野菜の甘さ。地元の伊豆で取れた食材を丁寧に薄味で調理した回復食が楽しみで、リピーターとなりました。

せっかく伊豆の温泉地に来ているのだから、ご馳走をめいっぱい食べるのも楽しいでしょう。
でも私は、回復食でいただく冷奴に勝るご馳走を思いつきません。

日本文学の研究者であるドナルド・キーンが、こんなことを書いていました。
キーン氏は研究者とて日本にも長年滞在できました。一方、旧ソ連の日本文学研究者は外交問題もあり、簡単に来日できませんでした。
そのソ連の研究者が生涯に一回だけ、日本を訪れる機会を与えられました。ほんの数日だったけど、感覚のすべてを使って日本を味わい、記憶にしっかりと刻み込んだ濃い滞在となったそうです。
自分の数年間より、ソ連の研究者の数日間のほうが、よほど濃密で幸せな時間かもしれないと、キーン氏は思ったそうです。

毎日の食事に感動して、生きている喜びを味わうこと。
そのためには、空腹に耐える断食が必要ですが、やってみる価値があると思います。


かねてからの予定通り、3月27日から4月2日までの1週間、伊豆の断食施設「やすらぎの里」に滞在します。そのため、4月1日金曜日は中華街・華陽園での鑑定をお休みします。

三度の食事にも事欠いている避難所も多いのに、わざわざ断食のために出かけるなんて、悪い冗談のようです。
でも、キャンセルする気にはなりませんでした。「やすらぎの里」の大沢代表は、今回、大きな被害を受けた岩手県三陸のご出身です。地震発生直後の1週間分の滞在費と義援金で合計180万円余りを日本赤十字社に送ったとのことです。
そして、「やすらぎの里」を利用することが、被災地への継続的な支援になるように、これまで以上に運営に力を注ぐとのことです。

震災後のキャンセルにより、各地の観光業は大きなダメージを受けています。
被災者のことを考えると、旅行なんてする気分にはならないでしょうが、観光業界で働く人もたくさんいます。日本が立ち直っていくためには、経済の血液であるお金を回すことも必要です。そう考えて、予定通り伊豆に行くことにしました。

「やすらぎの里」の利用は2回目です。前回は3泊4日でしたが、断食は決して苦しいものではなく、デトックス効果があり、自分の体と向き合う貴重な機会であることがわかりました。
震災後、カップ麺やお米の買占め騒動が起こりましたが、断食を経験していると、「なければないで過ごせる」とゆったり構えることができます。


3・11後、東京では商店街や駅では節電のため照明を落としていますが、とりあえずは平穏な暮らしを取り戻したように見えます。 でも、繰り返し伝えられる震災と原発のニュースは、人々の心に暗い影を落としています。

仕事関係の編集者から電話がかかってきても、声のトーンは低く、「なんだか、やる気が出ないですよね」みたいな愚痴をこぼされます。

紙が不足がちだし、計画停電があるので印刷会社も機械のやりくりに頭を悩ましているそうです。場合によっては、雑誌の発行日をずらしたり、間引き発行にするかもという編集者もいます。そして、雑誌や単行本ができあがっても、全国に配送できるかどうか。食料や生活必需品の物流が滞っているのですから、後回しにされるのは当然です。

サバイバーズ・ギルトという言葉があります。今回のような災害や戦争、事故に遭遇しながら、生き延びた人が感じる罪悪感を指します。
東京は揺れたものの、建物の損壊も少なく、避難所暮らしを強いられているわけでもないので、サバイバーを名乗るのもおこがましいのですが、電力から食品まで、東北の犠牲の上に豊かな生活が成り立っていたことへの罪悪感を抱いてしまいます。
福島原発の近隣から避難する人々、そして、せっかく育てた野菜や搾ったばかりの生乳を廃棄処分せざるを得ない人々。

時間はかかるけれど、日本は復興すると希望的な観測も伝えられていますが、かつての繁栄を取り戻したとしても、生き残ってしまった罪悪感は消えないでしょう。


ナポリに「卵の城」と呼ばれているお城があります。
城を築く時に、地面に卵を埋めて「この卵が割れると、城はもちろん、ナポリの街も滅びる」という呪文がかけられたという伝説がありそうです。

大震災が残した爪あとの大きさを見るにつけ、平凡な日常が無条件に続くものと思い込んでいたのんきさを思い知らされます。 便利な日常生活は、壊れやすい卵の上に乗っかって、かろうじて成立していたものでした。

大自然の摂理の前では、人間は無力です。少しでも天の秘密を知ろうとして、占いも研究されてきましたが、わかることよりわからないことのほうが多いのです。
だからといって、学ぶのをやめて、流れに任せるだけの状態には戻れません。

「たとえ、明日、地球が滅びるとしても、君はリンゴの木を植える」
宗教家のマルチン・ルター、詩人ゲオルグなど、出典には諸説ありますが、今こそこの言葉を胸に、それぞれがリンゴの木を植える時です。たとえ、卵の上に乗っかった脆弱な大地の上であっても。


連日流される深刻なニュースの数々。被災した人々を救うスキルを持っていない身としては、なるべくエネルギーを使わず、静かに過ごすしかありません。

ふと目にしたテレビに、自衛隊に救助されて避難所に運ばれた高齢の女性が映し出されました。
「お世話になります」と手を合わせる女性。救助されるまでの間、どれだけ心細い思いをしたことか。それなのにこの女性は、感謝し、人を気遣う心を失っていなかったのです。

人によっては、「どうしてもっと早く助けてくれなかったの!」と罵声を上げていたかもしれません。こういう時こそ、人間の本質が現れるものです。

天災は、誰のせいでもありません。マイナスのエネルギーを撒き散らせば、周囲に迷惑なだけでなく、まともな神経があれば、後で思い返して激しい自己嫌悪に陥ります。
私の暮らしている地域は、計画停電もなく、平穏な暮らしが続いています。でも、スーパーや商店街には、お米やトイレットペーパーを少しでも多く手に入れたいと殺気だった人もいます。

「あの時はパニックだったからしかたがなかった」という言い訳はしたくありません。
今後の生活がどうなるか予断を許しませんが、非常時だからこそ、後悔しないように、身を慎みたいと思います。


3月11日は、横浜中華街の華陽園で鑑定でした。
二人組のお嬢さんを一人ずつ鑑定しているところに地震が発生。サイドテーブルに置いてあった筮竹が筒ごと床に落ち、ばらばらと散らばりました。

中華街には横浜スタジアムへの避難勧告が出されたので占いどころじゃないと、すべてを中断して避難しました。

「占い師なのに、こうなることがわからなかったのか」と突っ込まれると、ただただ恐縮するしかありません。
占い師の中には、災害を予知することを目標にしている人もいらっしゃるようですが、私の器では無理です。

今回の地震で中華街は無事でしたが、海から近いので津波に襲われてもおかしくないし、これだけ中華レストランが店を連ねているのですから、出火してあっというまに大火災となることもありえるでしょう。

それで命を落としたとしたら「自らの危機を察知できなかった占い師」として笑い物になるでしょうが、占いのタブーの一つに、「死期を占ってはいけない」というものがあります。

死ぬタイミングがわかってしまえば、生きているのが馬鹿らしくなるかもしれません。
明日死ぬかもしれないからこそ、今日一日を充実させ、生きながらえたことに感謝する。よりよく生きるために占いを活用して、死ぬ時が来たら淡々と迎えることができれば、それでいいと考えています。


イギリスのミステリー小説が好きです。今、読んでいるのはカドフェル修道士のシリーズ。NHKでドラマも放映されたので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。

舞台は12世紀のイングランド。科学捜査なんて言葉とは無縁の時代ですが、カドフェルは鋭い観察力で事件を解決していきます。そして、修道士ですから、数々の味わい深い言葉を残しています。

たとえば、殺人事件が起こり、その原因は自分にあったと自責の念にかられる女性。「私さえ愚かなことをしなければ、彼女は生きていた」と嘆く女性に、カドフェルはこう語りかけます。

「そうだろうか? 人間がみな現実と違うことを為していれば、この世界はすっかり違ったものになっていただろう。そのほうが良かったといえるだろうか? 『もし』と考えても意味はない。今、立っているところから歩み続けるしかない」

人間は常に間違いを起こします。もし、あの時、あんなことをしなかったら、あるいは、勇気を持ってああしていたら…。そんな迷いがあるから占いに耳を傾けたくなるのでしょうが、カドフェルの言う通り、過去のシミュレーションを繰り返しても意味がありません。

過去から教訓を学んだから、もうそれは「起こってしまったこと」として割り切ること。そして、未来を切り開いて行くために、占いを活用してください。


偶然を利用する卜術(ぼくじゅつ)では、得られた卦や出たタロットカードは常に正しいと考えます。鑑定の場で、お客様が「当たっていない」と思うなら、それは占い師の解釈や伝え方がまちがっているからです。

伊泉龍一先生は、お客様から異議を挟まれても、安易にカードの解釈をねじまげるのではなく、「でも、カードはそう告げています」と押し通しなさいといいます。

そして、もう一つ、伊泉先生の教え。
占い師の価値観を押し付けないこと。
たとえば、「女は結婚して子供を産んでこそ一人前」という価値観を持っている占い師がいるとします。
命式やホロスコープ、卦、カードがどのようなものであっても、「婚活して、早くいい男を見つけなさい」というアドバイスをするとしたら、それは占いではありません。近所のお説教おばさんに相談するのと同じです。
もちろん「女は男に頼るべきでなく、自立すべきだ」という価値観を押し付けるのも、占いではありません。

でも、実際には、自分の価値観の枠内からはずれた生き方をしている人に向かって「地獄に落ちる」までとは言わないものの、説教する占い師もいるのです。
あるいは、自分の経験からアドバイスする占い師。それは占いでなく人生相談です。

もちろん、「説教されたい」「一般的なアドバイスが欲しい」と望んでいるのなら、そういう占い師との相性は抜群です。
どのタイプの占い師と出会うか、それも含めて運命なのでしょう。


占いとカウンセリングは似たようなものと思われがちですが、両者のアプローチは正反対です。

占い師は、命式、ホロスコープあるいはタロットカード、卦を元にして、お客様に対して占断を述べます。通常は「私の恋はどうなるでしょうか?」みたいな質問を受けて、それに答える形ですが、中には、「黙って座れば」というスタイルもあります。いずれにせよ、その場の主導権を握るのは占い師です。

一方、カウンセリングの主体はクライアントです。カウンセラーから積極的に「こうしなさい」「ああしなさい」とアドバイスすることはなく、クライアントが内面を掘り下げていくのを手伝います。

大学時代の同級生で、現在、カウンセリングの仕事に携わっている友人がいます。
先日、彼女のところに遊びに行き、タロットカードを実演しました。
「タロットだったら、一瞬でクライアントに通じるね」と感心されました。カウンセリングは慎重に時間をかけて行いますから、もどかしく思うこともあるでしょう。

彼女と話していて、ユングの神聖甲虫のエピソードを思い出しました。

ユングが若い女性を心理療法で治療している際、彼女が「黄金の神聖甲虫(スカラベ)を与えられる夢を見た」と話します。
ユングは閉じた窓に背を向けて座っていたのですが、背後にコツコツという音が聞こえました。振り返ると、一匹の虫が外からガラス窓をノックしています。窓を開けて、その虫を部屋に入れると、それは黄金虫でした。
女性患者はこの「意味のある偶然」を体験したことで、停滞していた分析治療が一気に進んだのです。

タロットカードや易の卦は「意味のある偶然」によって出るものですから、占い師はとても強力なツールを手にしていることになります。
だから、占い師は自分が持つ力に無自覚であってはいけないと思います。
「黄金の神聖甲虫」をお客様の目の前に出しているのですから。


先日、友人に銀座のギャラリー・バーに連れていってもらいました。詩人であり翻訳家、最近は老子関連の著作が多い加島祥造氏の息子さんが経営されているバーです。

席に通されると、なんと、となりの席には加島祥造氏ご本人がいらっしゃいました。
私が加島氏の名前を初めて目にしたのは、アメリカの小説家、リング・ラードナーの翻訳者としてでした。ウィリアム・フォークナーの翻訳で名高い加島氏ですが、私はラードナーの人情味と風刺あふれる小説が大好きでした。
ラードナーは自らを小説家ではなく新聞記者だと考えていたそうです。スポーツ記者として働いた経験を活かして、野球選手を主人公にした短編小説をたくさん書いています。「アリバイ・アイク」の主人公も、ファインプレーをした時も、エラーを犯した時も言い訳したり弁解ばかりする野球選手です。
写真は、学生時代から愛読している文庫本。かなり年月がたっているのでカバーの隅は擦り切れています。

加島氏は、フルブライト留学生としてカリフォルニアで学び、帰国後は英米文学の翻訳や講義を行っていました。そして、60代後半に長野県伊那谷に移り住み、老子の言葉と思想を詩にした「タオ−老子」を発表し、ロングセラーとなりました。

英米文学から東洋哲学へ、まったく畑違いの分野に進んだように見える加島氏ですが、ご本人の中では、ちゃんと筋が通っていて、少しのブレのない人生だと思います。

加島氏とはスケールがまったく違いますが、私も若い頃は欧米の文化に強く惹かれていました。音楽、小説、映画はすべて洋物を好み、旅行に行くのなら欧米。そして現在、東洋占術とめぐり合ったことで、折りに触れて易経を紐解く毎日です。


私の実家の宗教は真言宗で、大学はミッション系。そんなふうに宗教的にいい加減に育ったわけですが、最もリアルに存在を実感できる神様は、易神です。

私の易神のイメージは、深い叡智をたたえながらも、いたずら好き。くだらないことで易を立てると、冗談のような卦が出たりします。周易には、「笑って問えば、笑って答える」という言葉もあります。

ユングが易を一人の人間として、易経が普及するかどうかを占ったのも、易神のイメージがあったからでしょう。
そして私の易神は、とんでもないものを私にもたらしました。
占いではなくライター業で、2年ほど前から、「アセンション特需」とでも言うべき状況になり、2012年のアセンションに向けて、仕事が次々と舞い込みました。

特にその方面に強いわけではないのに、なぜ依頼されるのか不思議に思っていましたが、資料を読み込んでいくうちに、テレンス・マッケナという人物を知ったのです。
テレンス・マッケナは、アメリカの思想家。60年代にカウンターカルチャーの震源地だったカリフォルニア大学バークレー校で学び、薬物と神秘体験の研究に没頭。ついには、休学しネパールやアマゾンでシャーマニズムの世界を探求します。
そして、易経の六十四卦を点数化し、コンピュータで分析しタイムウエーブゼロ理論を提唱しました。2012年12月22日という日付は、ここから導き出されたものです。

ユングが易経を占って得た「火風鼎」の鼎は、鍋のこと。食材をじっくり煮込むことで、新しいものを生み出すという意味がありますが、易経がアセンションも見通していたとは、驚きです。


筮竹がなくても易を立てることはできますが、私はやはり筮竹が好きです。
50本の筮竹から1本とって、立てます。これが大極であり、易神が降りてくる依代(よりしろ)となります。サイコロやコインでは、この依代がないように思うのです。

「易 心理学入門―易・ユング・共時性」(定方昭夫著)では、ユングが易経を西洋に紹介するにあたって、易を立てたエピソードが紹介されています。
 ユングが易経を一人の人間と見立てて、ヨーロッパにどう普及していくかの成り行きを占ったのですが、易という体系ではなく、易神を占ったと考えると腑に落ちます。

ユングが得た卦は、火風鼎(かふうてい)。
「易経は豊かな知恵をたたえているものの、その価値が認められないまま放置される。
しかし、再び認識される」というストーリーです。
そして二爻と三爻を変更して、火地晋(かちしん)へ。
「母性的な配慮をしてくれる英訳者が現れ、一般に理解されていくけれど、誰に対しても自分の価値観を押し付けることがない」という流れです。

定方氏は、ユングが夢分析の手法を応用して卦をうまく解釈していると分析しています。そして、「易者は小説家でなくてはならない」という仁田丸久の言葉も紹介しています。

易経の爻辞をそのまま伝えるのでは、おみくじとおなじ。占的に応じて、出た卦をどう読み解き、どんな言葉で表現するか。それが易者の腕の見せ所です。


偶然性を利用した占いである卜術(ぼくじゅつ)では、同じ問いを何度も占ってはいけないとされています。 そうではないと、気に入った卦やカードが出るまで何度も繰り返すことになり、それはもう占いではないからです。

「易心理学入門―易・ユング・共時性―」(定方昭夫著・柏樹社)には、周易で同じことを何度も占っていると、山水蒙(さんすいもう)という卦が出るとあります。
 山水蒙の彖辞は「初筮(しょぜい)は告ぐ。再三すればけがれる。けがるれば告げず」。最初に出した卦(初筮)こそが、天からの答えなのです。

本当に山水蒙が出るのか、何度も同じことを占ってみようかと思いましたが、易神を試すような行為に思われて、まだ実行していません。
でも、易神の存在を実感するようなことがありました。
ある友人を出版社に紹介するにあたり、その成り行きを占いました。A社とB社の二社あるので、A社とB社それぞれで易を立ててみました。

出たのは、二つとも天火同人。爻は違いますが、天火同人は、天の下に人間同士が親しむという意味です。結果的に双方にとって発展的なネットワークが広がりました。

そして、ある場所について占ったときのこと。
まずAさんとその場所の成り行き、次に私、そしてBさんと時系列で立ててみました。
すると、三つとも地火明夷(ちかめいい)が出ました。
「その場所は地火明夷でしかないのだから、何度占っても同じ」と易神が告げているのです。

占的が変われば、対象が同じでも再度占ってもいいとも言われますが、やはり最初に出た卦、初筮がすべてを語るのでしょう。


小・中学生の頃は、「すべての教科をまんべんなくしなさい」とよく言われたものです。
社会人として生きていくためには、好き嫌いばかり言ってはいけないという親や教師の教育方針は間違っていません。
でも、社会人になってみると、嫌いな教科を苦労しながら勉強する必要はあったのかと思います。

占い、特に東洋占術では、開運のためには、人にはない自分の特異点をいかに活用して社会とうまく渡り合っていくかを追求します。得意分野を職業にして、稼ぐことができれば、金運も上昇します。
だから、高校生ぐらいから、自分がどんな方向に進むのがいいかを知っておけば、無駄な努力をせずに済みます。
たとえば私は、国語と英語が好きでした。苦手な理系科目もいやいや勉強しましたが、結局、私の生計を主に支えているのは、言語を操る力です。

「自分探し」という言葉がありますが、自分に向いていて、なおかつそれで食べていけるジャンルを探すのは簡単なことではありません。
そこに占いという助けがあれば、人生という大海原を渡るために羅針盤があるようなもの。
どの分野に集中して努力すればいいのかがわかり、少し有利なスタートが切れるはずです。


元厚生労働省局長の村木厚子さんは、約半年にわたって拘置されていた期間、読書が心の支えとなったそうです。拘置期間中は一日1〜2冊のペースで読み、合計150冊の本を読了。そのリストが女性誌に掲載されていました。


その中でぜひ読んでみたいと思い、購入したのが「一日一生」。 著者は、千日回峰行を二度行った天台宗の高僧、酒井雄哉氏。千日回峰行とは、約7年かけて4万キロを歩く荒行です。

「一日が一生」という気構えで生きていると、あんまりつまらないことにこだわらなくなるよ。今日の自分は今日の自分、明日の自分は明日の自分、と考えれば、今日よくないことがあっても引きずらなくてすむ。 (「一日一生」 朝日新書より)

村木さんは厳しい取調べに耐えられるかどうか不安になったとき、この言葉が励ましとなったそうです。

この言葉で思い出したのが、マンデンブローの法則。「ジュラシック・パーク」では、マルカムという数学者が、この法則を説明するシーンがあります。

綿花の価格変動をグラフにしてみると、一日のグラフの形は基本的に一週間のグラフの形に似ているし、週間グラフには年間の、あるいは10年間のグラフと同じパターンが見出せる。<中略>
一日は人生の全体に相似する。<中略>
全人生のパターンはすべて、一日の中に見いだせるんだよ。 (マイクル・クライトン著 酒井昭伸訳「ジュラシック・パーク」 早川書房より)

この法則は、東西の占術に使われています。
西洋占星術では、出生日から数えて1日を1年として換算して人生を予測するプログレスという手法があります。一方、四柱推命で10年ごとの大運の切り替わりを出すには、出生日からの1ヶ月を実人生の10年に相当するとして計算します。


人生を変えるのは、とても大変なこと。 でも、一日一日の生き方を改めれば、結果的に人生が大きく変わっていくのです。


華陽園の占い師で砂時計をオーダーメイドしました。木枠は共通ですが、砂の色は各自好きなものを選んでいます。
ブースでの鑑定だと、タイマーを使う占い師も多いのですが、デジタル数字や電子音がいかにも事務的で好きではありません。
占いは日常的な感覚から離れる特別な時間です。
タイマーはパスタのゆで時間を計るためには便利ですが、鑑定には、さらさら砂が落ちていく砂時計こそふさわしいと思うのです。

時間は均等に流れているようでいて、性質によって流れ方が違います。
バーズの「ターン・ターン・ターン」は、「すべてのものには時がある」という聖書の一節を使った名曲です。

******************************
A time to be born, a time to die
A time to plant, a time to reap
A time to kill, a time to heal
A time to laugh, a time to weep
産まれる時があれば、死ぬ時がある
植える時があれば、刈り取る時がある
殺す時があれば、癒す時がある
笑う時があれば、嘆く時がある
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鑑定時間が、いつもとは違う視点から人生を考え直す、特別な時でありますように。


東洋占術では2月4日の立春が一年のスタート。年賀状にたくさんのウサギが使われていましたが、正確には2月3日の節分までは亥年です。

北国ではまだ雪が降り積もっているのに、春といわれてもピンと来ない人も多いでしょう。
東洋占術を学び始めた頃は、季節の感覚にとまどいました。2月4日に春が来て、GW明けにはもう夏、暑い盛りの8月8日頃に秋が到来します。そして秋の行楽シーズンが続く11月上旬には冬となります。

占い師は兆しを読むのが商売ですから、誰もが春だと実感できる4月のお花見シーズンに「今年の春は」と説いていては遅いのです。前触れをキャッチし、季節を先取りして開運方法を指南しなくてはいけません。

これは、月刊誌の仕事に似ています。モデルさんを使う撮影は、寒い盛りにパステルカラーの薄手の服、暑い盛りにかっちりした長袖の秋物を用意します。そしてプロのモデルさんはそんな悪条件の下でも、撮影用の笑顔を作ります。

寒い日が続いても、気持ちは一足早く春に切り替えましょう。今年は年支も木行の卯ですから、寅月(2月3日〜3月5日)、卯月(3月6日〜4月5日)は木行のエネルギーがとても大きくなります。

木行は易の卦では震(しん)と巽(そん)。易経には、「万物は震に出ず」「巽に斉(ととの)う」とあります。新しいことを始め、きちんと形にしていくタイミングです。


3月末に、伊豆の断食道場「やすらぎの里」で1週間の断食を予定しています。
「やすらぎの里」には、2年前に高原館で3泊4日のコースに参加しました。とてもよかったので、本館での1週間コースにチャレンジします。

断食道場というものの、「やすらぎの里」には厳しいムードはありません。むしろ、ゆったりした気持ちで体と心に向き合う場所です。
スタッフの人たちはみんな親切で、滞在客も感じのいい人ばかりでした。

前回、同行した友人によると、駐車場には高級外車がずらりと並んでいたそうです。
「やすらぎの里」の料金は1泊が約1万5000円〜2万円。野菜ジュースや回復食などが出るので、食事がまったくなしというわけではありませんが、激安食べ放題の店が氾濫する時代に稀有な施設です。
健康と体型維持だけでなく、金運維持も目的のひとつです。それだけのお金を払ってまで断食しようという富裕層の行く場所の雰囲気に同化すれば、金運は下がらないはずです。

できれば明日からでも行きたいぐらいですが、立春からは辛卯年辛卯月。「やすらぎの里」は自宅から見て西南・未の方位にあります。
さらに九星方位盤も年月同盤で七赤中宮。西南には四緑木星が巡り、未の方位は卯と三合で大吉。
体のデトックスだけでなく、運気アップも大いに期待できそうです。


4ヶ月に1回、歯科医院で歯のクリーニングをしてもらいます。
人相では、口は金運を見るポイントです。財布にもたとえられ、だらしなくぽかんと開けたままの人は、お金が貯まらないといわれます。

特に気になるところはなくても、私が定期的に歯科医院に通うのは、ひたすら金運のためです。
私が通っているクリニックは完全予約制。治療よりも予防に力を入れています。だから、歯科医院特有の「歯が痛くてたまらない」「困った」といった患者のマイナスのオーラはあまりありません。むしろ、定期的に歯のチェックを受けるゆとりのある人の、大らかな気に満ちています。

待合室にいると、出入りの花屋さんが花束を抱えて登場。おかめ桜、八重咲チューリップ、ミモザ、麦、アカシアを活けました。とても春らしいアレンジで、思わず携帯で撮影。花の名前が正確にわかったのは、カードが添えられていたからです。
「神は細部に宿る」と言われますが、こうしたところまで心配りできる花屋さんに定期的に花を頼んでいる歯科医院の姿勢にも、好感が持てます。巷には、ワーキングプア歯科医と呼ばれるほど資金繰りに苦しんでいるところも多いというのに。

いつもは歯科衛生士さんのクリーニングだけですが、今日は年に一度の院長自らによるチェックもあり、問題なし。いつもより費用はかかりましたが、このクリニックに通い続けている限りは私の金運は大丈夫なような気がします。


年に一度、健康診断を受けます。
特に悪いところはないのですが、一通りの検査を受けて「異常なし」という結果を受け取ると一年間安心して過ごせます。

占い師という仕事は、医師にたとえられることがよくあります。診察(見立て)が上手でも治療(開運)できなければ、あまり役に立たないなど。
病気(困ったこと、迷い)が生じて、診察(鑑定)を受けることが多いでしょうが、定期健診のように、特に問題がなくても、自分が今どんな状態にいるのかを知るために占い師を活用するのもいい方法です。

2月4日の立春は、東洋占術の流年が切り替わる大きな節目。来るべき辛卯の年に飛躍するために、占いの門を叩いてみてはどうでしょうか。


東洋占術の基本となる木火土金水の五行は、季節に相当します。
季節というと、一年ごとのサイクルで巡る四季が一般的ですが、年月日時の4つの流れで季節が回っています。そして、大運は120年サイクル。一つの季節が24年間続き、土用が6年間。合計30年が4回巡って、春夏秋冬を生きたことになるのです。

だから命式と寿命によっては、大運では経験しない季節というのもあります。
もし、その季節が自分にとってアンラッキーな五行だったら、その人はとても幸運です。反対に、大きなツキが巡ってくるはずの季節を体験せずに生涯を終える人もいるのです。

アーシェラ・K・ル・グィンの「辺境の惑星」というSF小説では、地球の1年が60年となる惑星が描かれています。春が15年、夏が15年、秋が15年、冬が15年。大運のサイクルの半分ですが、「一生のうち春を二度体験できるものは幸せ」であり、「冬を二度体験するのは悲惨」といわれています。

人間は誰でも平等なはずですが、出生タイミングによっては、そうとも言えないのです。だから、せめて自分がいまどの季節を生きているかを知り、少しでも有効な開運法を探るために占いを活用したいものです。


東洋占術では、木火土金水の五行の巡りで運気を占います。
五行は季節にも対応し、木行が春、火行が夏、金行が秋、水行が冬。土行は季節と季節の間です。

一年は木行から始まり、寅の月が一年のスタートとなります。これが立春で、今年は2月4日です。前日の2月3日の節分は大晦日のようなもので、豆を撒いて厄を祓い、恵方巻きを食べて開運を願います。

「2月4日なんて、寒い盛りなのに、春?」という疑問を持つ方が多いでしょうが、占いとは、「兆し」を読むもの。冬から春へと変化した天の気が地に満ちるまでタイムラグがあるのです。

お正月でうまく運気リセットできなかった人は、立春こそ新年のスタートと思い直し、心機一転してはどうでしょうか。
立春まであと3週間足らず。懸案事項は早めに片付け、身辺をすっきりさせて、新しい春を迎えましょう。


「若草物語」は、クリスマスシーンから始まります。
四姉妹の父親は南北戦争に従軍中。派手なお祝い事は自粛しようと、クリスマスのプレゼントを取りやめにします。若い娘たちは不満もありますが、母親が近所の貧しい一家を手助けしていることを知り、自分たちの食事を隣人に分け与えるというお話です。

キリスト教博愛精神に満ちた「若草物語」に対し、谷崎潤一郎の「細雪」の導入は、三女・雪子に持ち込まれた見合い話。次女・幸子に「サラリーマンやねん」と説明する次女・幸子に、四女・妙子が「なんぼぐらいもろてるのん」と質問します。

「細雪」に対応するのは、「若草物語」より、ジェイン・オースティンの「自負と偏見」です。こちらは五人姉妹ですが、当時のイギリスの法律により、娘には相続権がなく、女しか生まれなかったベネット家の姉妹たちの結婚相手選びは重要課題です。

It is a truth universally acknowledged that a single man in possession of a go
od fortune, must be in want of a wife.
かなりの財産持ちの独身男はみんな、花嫁を求めているものだ。世間一般が認める真理である。

これは「自負と偏見」の冒頭の文。英文学史上、最も有名な書き出しの一つです。

日本各地にも伊達直人が次々と出現することからも、慈善精神を持つ人はたくさんいることがわかります。その一方で、結婚となると、相手の収入や財産が気になるのは人の常。私たちがさまざまな物語に心引かれるのは、私たちの人生の一コマが等身大で描かれているからでしょう。

占い鑑定の現場では、占術理論の研究者ではなく、ストーリーテラーであることが求められます。
カードや易の卦を元に、一人ひとりの物語を語るためには、原型となるものをインプットしておくと大いに役立ちます。


先週の金曜日、華陽園は、繰夜テレサ先生、日下ゆに先生、北村ノア先生、それに私の女性占い師4名でした。
お店のママさんの好意で、色違いの防寒用ロングスカートが用意されていました。4人おそろいでスカートを身に付けると、北村ノア先生が「若草物語みたい」と言います。
4人揃ってお店に出ていても、占いのスタイルは4人それぞれ。空いた時間ができれば、気ままにおしゃべり。帰りは北村ノア先生と渋谷までご一緒できました。姉妹のいない私には、とても楽しい一日でした。

アメリカの「若草物語」に対し、日本にも谷崎純一郎の「細雪」があります。
蒔岡家四姉妹の三女・雪子の縁談が物語の芯にあり、第二次世界大戦前の阪神間の上流生活を描いて飽きません。
文庫本にして900ページ以上の長編ですが、ようやく最後になって雪子の縁談がまとまります。名家であっても、三十路に入ってしまった雪子はそうそう贅沢も言えず、かといって自分の好みを押し殺してまで嫁ぐ気にもなれず、中途半端な状態が続いていました。

若草物語がロマンチック・ラブをテーマとした西洋占星術のような話なら、細雪は、現実面での落としどころを探る現世的な東洋占術を描いている気がします。


仕事始めは、女性セブンの開運記事の執筆。1月6日(木)発売号です。2日に入稿して、3日に校了しました。

年初には、その年の干支について書きます。干支というと十二支をイメージする人が多いでしょうが、正確には十干と十二支を組み合わせが干支です。たとえば、甲子(きのえね)とか、丙午(ひのえうま)など。10と12の最小公倍数である60で一回りすることから、六十干支とも呼ばれます。生まれた年と同じ干支が巡ってくるのは60歳のとき。
これが還暦です。

今年は辛卯(かのとう)の年。
自分の命式に持っている五行によって、辛卯がどのような作用をするかで各人の今年の運気が導き出されますが、辛卯という組み合わせを見るだけでも、今年の全般的な傾向をつかむことができます。

陽明学者の安岡正篤氏は存命中、政財界の重鎮を集めて毎年の干支の講義を行っていました。
それに習ってというのは、おこがましいのですが、私なりに干支を解釈し、女性セブンでは、日常生活で簡単にできる開運法を紹介しています。

辛卯を五行に分解すると、金行と木行。
五行の関係では相剋となり、上に向かって成長しようとする木行の卯を、金行の辛が剪定しています。
これが、同じ木行の乙卯、相生の癸卯なら、辛卯は、「辛」く、「辛」抱のいる年になります。

でも、辛が木行にマイナスの作用だけをもたらすわけではありません。
腕のいい植木職人が手を入れた庭は、植物の育ちもよく、整然とした美しさを放ちます。
今年は、自己コントロールや長期にわたる努力といった、少々大変なことをこなした人が、幸運に恵まれる年となるでしょう。


昨年から横浜中華街・華陽園で、毎週金曜日、多くの方の手相を見せてもらっています。
手のひらに現れた線が、どうして、その人の性格や運命を示しているのか。合理主義者を標榜しているなら、首をかしげる人もいることでしょう。
伊泉龍一先生の「西洋手相術の世界」(駒草出版)のプロローグにこんなフレーズがあります。
「人の運命を告げる『大宇宙』の星々の言葉が、『小宇宙』として手のひらの中に刻み込まれている。」
ここから連想したのが、ウィリアム・ブレイクの詩です。

To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower,
Hold Infinity in the palm of your hand
And Eternity in an hour.

一粒の砂に世界を、
一輪の野の花に天国を見る。
手のひらに無限を、
ひとときに永遠をつかむ。

手相というと、線の長さやなど細部にこだわってしまいがちですが、まず、手のひら全体を一つの小宇宙としてみなすこと。
そこに語られていることと向き合えば、さまざまなドラマが読み取れます。