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このページは翡翠輝子が日々感じた占術的な事象を気ままに書き綴るコーナーです。

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昨日水曜日は、今年最後の燃えるゴミの収集日でした。
私はマンションに住んでいるので、いつでもゴミ置き場にゴミを捨てられるのですが、できるだけ収拾日の朝に直接、道路上の収集場所に捨てるようにしています。大量のゴミを運ぶ管理人さんが大変だろうし、ゴミ置き場にはよどんだ気が滞留しているようで、あまり近づきたくないからです。
ゴミ収集日の朝は、袋の口を閉じる前に、「まだ何か捨てるものはないか?」という視点で室内を見渡します。これを週2日繰り返していると、かなりすっきりしてきます。

現在発売中の恋運暦1月号(イースト・プレス)に、2011年辛卯の年に向けての開運法を執筆しています。
たとえば、恋愛運を上げたいのなら、人形やぬいぐるみを処分。顔のあるものがたくさん部屋にあると、新しい縁を作るのを邪魔されます。結婚運を上げたいのなら衣類。結婚とは、これまでの自分を脱ぎ捨て、新しい自分に生まれ変わること。古い服を持ち続ける人は、その覚悟ができていないからです。

断捨離がブームですが、「いきなり捨てろと言われても…」と困惑する人も多いことでしょう。現代生活では、気を許すと物がどんどん流入してきて、一気に断捨離するのは、なかなかむずかしいものです
。 いきなりすべてを手放すのではなく、段階的にやってみてはどうでしょうか。
ゴミ収集日のちょっとした習慣、あるいは、洋服とか雑誌などジャンルを決めてスタート。少しでも効果を実感できれば、それが励みとなり、どんどん部屋がきれいになっていくはずです。


毎週金曜日は、横浜中華街の華陽園で鑑定を行っています。

今年はクリスマスイブが金曜日。平日にも関わらず、多くのお客様がいらっしゃいました。
イブに中華街まで足を伸ばして来た人たちですから、占いといっても、特に悩みがあるわけではありません。特に、カップルは幸せオーラ満開。鑑定している側も、ほんわかした気持ちになってきます。

普段は夕方頃にお客様が途絶える時間帯があり、ご飯を食べるのですが、この日は休みなく鑑定を続け、気が付いたら午後7時。
同僚の雪州先生が差し入れてくださったクリスマスケーキを店の奥でいただきました。
これまで、クリスマスの夜はたっぷり飲み食いして、最後のおまけでケーキを食べていました。この日は10時間ほど何も口にしていなかったので、生クリームと苺のおいしさが全身に染み渡り、こんなに美味なクリスマスケーキは生涯初めてでした。

その後も閉店まで、行列ができるほど大盛況。
すべての人に「楽しいクリスマスを」と伝えたくなるような、充実した一日でした。

次の金曜日、12月31日はお休みをいただきますが、華陽園はオールナイトで鑑定を実施しています。
年明けは1月7日金曜日からスタートします。


風水の本はあれこれ読みましたが、私にとっての原点は、この一冊です。

カレン・キングストン ガラクタ捨てれば自分が見える 風水整理術入門(小学館文庫)
風水というと、方位や色を使うイメージがありますが、部屋のガラクタで埋まっていては、開運効果は期待できません。
カレンが定義するガラクタ(CLUTTER)とは、次の4つに定義されます。
・あなたが使わないもの、好きではないもの
・整理されていない、乱雑なもの
・狭いスペースに無理に押し込まれたもの
・未完成のもの、全て

こうしたガラクタが、エネルギーの流れを滞らせ、人生に新しいものが入ってくるのを阻害しているのです。

掃除や整理のモチベーションアップのために、繰り返し読んでいます。年内のゴミ収集日はあと数回。できるだけすっきりさせて新年を迎えたいものです。


今年の冬至は12月22日午前8時39分です。
日の出が最も遅く、日没が最も遅い日。冬至を過ぎれば、徐々に昼が長くなっていきます。
易者にとっては、一年の成り行きを占う年筮を立てる大切な日でもあります。冬至は一陽来復、陰の力が強かったところに陽が生じる境目の日です。

一陽来復というといかにも東洋的ですが、西洋のクリスマスも元をたどれば冬至です。
暦の変遷のため、現在では冬至とクリスマスは少しずれていますが、古代は冬至の日こそ、神の子イエス・キリストの誕生日とされていました。
哲学者の池田晶子は、こんなことを書いています。

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あらゆるものが神、もしくは魂である。唯魂論(アニミズム)の可能性について考える。むずかしい話ではない。端的にそれを実感するのが、季節のめぐり、すなわち暦である。魂すなわち生命の死と再生、西洋人とて不快ところでそのことを知っていたのでなければ、キリストはあの日には生まれなかったはずである。
「勝っても負けても 41歳の哲学」(新潮社)より
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冬至、お正月、立春、春分の日と、12月から3月にかけては、区切りを実感するタイミングが次々と訪れます。
そのたびに身辺を整理し、新たな可能性が訪れるのを待ちたいものです。


大学時代のゼミの友人B君は、アメリカで働いています。出張で来日したので、忘年会も兼ねて集まることに。迎えるのは東京在住の女性3人。
同窓生とは不思議なもので、会ったとたんに学生時代にタイムスリップし、話に花が咲きました。

私たちが所属したのは社会心理学のゼミです。楽勝の文系のはずなのに、統計学だの実験演習だの、とにかく忙しい毎日でした。
毎週の統計学、3週に1回の実習の課題提出、4週に1回の班ごとの発表準備とレジュメ作成。この3つが重なると「三重苦」と呼んでいました。研究館に入り浸るだけでは間に合わず、同じ班のメンバーの家に泊まりこみなんてこともありました。
卒業してライターになって、週刊誌、月刊誌、書籍の締切が重なったときなど、「学生時代と同じことをやっている」と思ったものです。

B君と私は同じ班で、学生時代から彼はシャープな頭の切れを見せていました。
卒業後はIT分野で才能を発揮し、35歳でアメリカに渡り、シリコンバレーを経て、今は東海岸で働いています。永住権も取得し、もう日本に戻ってくる気はないそうです。

ふと思いついてB君の手相を見せてもらいました。
生命線の流年35歳のあたりで、くっきりと生命線が二つに分かれていました。いわゆる移動線、海外流出線と呼ばれるものです。

鑑定の場では初対面の方の手相をあれこれ分析するのですが、こうしてよく知っている人の手相を見るも、とても興味深いものです。


12月10日は、ザ・バンドのベーシスト、リック・ダンコの命日でした。

ザ・バンドのメンバーの中では、切々とした歌声のリックに最も心惹かれます。そして、リックの命日が近くなると「ロング・ブラック・ベール(Long Black Veil)を繰り返し聴いています。

歌詞は、ある男の独白です。
殺人容疑をかけられ、アリバイを求められますが、殺人が起こった時刻にどこにいたかは、口が裂けても言えません。なぜならその時間、親友の妻の腕の中にいたから。秘密の関係を明らかにするよりも、彼は死刑を選びます。
親友の妻は、彼の墓を訪ねて涙を流しまが、その光景を見ているのは、彼だけです。
But sometimes at night, when the cold wind moans,
In a long black veil, she cries on my bones.
She walks these hills in a long black veil,
She visits my grave where the night winds wail.
Nobody knows, nobody sees, nobody knows but me
冷たい風が吹き荒れる夜、黒いベールに身を包み、
彼女は私の骨に涙をこぼす。
夜のとばりが降りると、黒いベールの彼女が、
丘を登り私の墓を訪ねる。
誰も知らない、誰も見ない、私以外は。

この曲を聴いていると、リックの魂がすぐ近くにいるような気がしますが、決して怖い感じではありません。死者と生者の距離は、それほど遠くないのかもしれません。
むしろ、リックが今も生きてカナダに暮らしているとしたら、ずっと遠い存在のままだったように思います。

鑑定の現場で、時々、亡くなった方の命式を立てることがあります。
たとえば、お父さんがすでに亡くなったという娘さんとそのお母さん。亡くなった父の命式を加えると、家族関係がパズルのようにはまってきます。
「お父さんって、夏に生まれたんだ」と感慨深げにつぶやく娘さん。なんだかお父さんの魂も一緒に占いに参加してるような、不思議な気持ちになります。


「ハーバード白熱教室」のサンデル教授が来日し、東大で特別講座を行い、NHKでも放映されました。

共同体の役割を重視するコミュニタリアニズムを論じるに当たり、サンデル教授が選んだ話題は、「日本軍の東アジアへの侵略について、今の日本の若者が責任を負うべきなのか」というもの。
「いつまで謝り続ければいいのか」という趣旨の発言もありましたが、たしかにアジアのリゾートでのんびりしているときに、過去の日本軍を糾弾されるのは勘弁してほしいというのが本音です。

そして、次の話題は、「原爆投下についてオバマ大統領は謝罪すべきか」。
ここで愕然としました。
過去の日本軍の侵略については、「世代が違うのだから、私が謝る必要はない」。
しかし「アメリカの原爆投下については、オバマ大統領に謝ってもらいたい」。広島や長崎の平和式典にアメリカから要人が出席してくれないと腹立たしく思います。
なんという、ご都合主義的コミュニタリアニズム!

人間は往々にして、自分がやってしまった悪いことは過小評価し、「いい加減許してくれてもいいだろう」と思うのに対し、人からやられたことは、いつまでも恨みを抱く傾向があります。
親切な行動も、そうです。自分がしてあげたことを過大評価し、してもらったことは過小評価します。
たとえば、先輩におごってもらったとき。
その場で「ご馳走様でした」とお礼を言ったので、それで済んだと後輩は思いがちです。そして、翌日、先輩に会ったら、いきなり用件を切り出します。そこで「昨晩はありがとうございました」の一言があれば、先輩の心証はずいぶん違ってくるでしょう。

お詫びもお礼も、自分にとっては十分だと思う以上、繰り返したほうがいいみたいです。


映画「ジュディ&ジュリア」には、興味深いエピソードがたくさん出てきますが、私が一番好きなのは、ジュリア・チャイルドと親友エイヴィスの交流です。

ジュリアのフランス料理の本が出版されたのは、この親友のコネがあってこそですが、彼女達は長年、文通だけで友情を温めていたのです。 作家であるエイヴィスの夫がハーパース・マガジンに書いた記事にジュリアが全面的に共感。編集部にファンレターを送ったところ、夫人から返事がきて、そこから親密な文通が始まりました。

ジュリアのアメリカ人向きフランス料理レシピ集が完成したときも、この親友に送るわけですが、夫が作家ですから編集者の知り合いも多く、そこから出版への道が開けていくのです。
いくらジュリアがすばらしいレシピを書いたとしても、誰ともつきあわず、家の中だけに引きこもっていたら、レシピ集はクローゼットの中でほこりをかぶっていたでしょう。
もちろん、単に編集者にコネがあるからとんとん拍子に出版にこぎつけたわけでなく、紆余曲折はありました。

孤島で一人、自給自足の生活を送っているのでないかぎり、幸運は人間関係によってもたらされます。
だからといって「この人とつきあったらトクする」と打算的な気持ちを出してしまうと逆効果。なんとなく気が合って、親しくなっていく人こそ、あなたにとっての幸運の女神となるのです。


DVDレンタルで映画「ジュディ&ジュリア」を観ました。

1949年のパリで料理学校ル・コルドン・ブルーのプロ養成コースに通い始める、ジュリア・チャイルド。外交官夫人の暇つぶしのように思われますが、フランス料理の本を出版するまでに至ります。数々の料理番組にも出演し、アメリカの家庭料理を変えたとまで言われる人物です。

その50年後のニューヨークで、作家の夢をあきらめて公務員として働くジュリー・パウエル。
ジュリアの524のレシピを一年間ですべて作り、ブログに載せることにしました。ブログは評判を呼び、各種メディアに取材されるようになり、ついには本を出版。映画化の企画も持ち込まれ、こうしてできたのがこの映画です。

ジュリアの時代には、マッカーシーの赤狩りがあり、中国の赴任経験から左翼寄りと判断されたジュリアの夫は不遇な時代を迎えます。
一方、ジュリー・パウエルが働くのは、ワールド・トレード・センターの跡地を再開発するプロジェクト。同時多発テロが暗い影を落とし、ジュリーの仕事もストレスの多いものとなっています。

二人の実話を織り交ぜながら一本の映画となっているのですが、二人が結果的に開運したのは、料理が好きだったからです。「これをやると得するから」という動機ではなく、本当に自分がやりたいことを追求しているうちに、結果がついてきました。
毎日の生活がおもしろくない、自分は幸運とは縁がないと落ち込んでいる人にこそ、観てもらいたい映画です。


三輪山に登った後、遅めの昼食として、三輪そうめんをいただきました。
11月中旬の晩秋ですから、温かいにゅうめんにしてもらいました。 ほっとする味です。
昼時を過ぎていたので店にお客も少なく、店のおじさんとのんびり三輪山のことをおしゃべりながらの昼食となりました。

夏に小豆島を訪れたときも、名物の小豆島そうめんをいただきました。
小豆島そうめんのルーツは、三輪にあります。小豆島の人々がお伊勢参りの途中で三輪に立ち寄り、そうめんの製造法を持ち帰ったことが始まりだそうです。

伊勢には伊勢うどんという独特の麺類がありますが、讃岐系のうどんに慣れている西日本の人間にとっては、少しショッキングなうどんです。まったくコシのないふわふわの麺に真っ黒なつゆは、讃岐うどんと対極にあります。

ご当地メニューがどうも合わないというのなら、その土地、ひいてはそこに祀られている神様とは相性があまりよくないのかもしれません。 少なくとも、私にとって伊勢神宮は少々敷居が高く、皇室や大企業のために存在する神社のように感じました。
それに比べて三輪の地から感じられる温かさ。伊勢うどんと三輪そうめんの違いにも何か意味があるような気がします。

東洋占術では食品を五行に分類し、開運のために活用します。
同じカロリーを摂取しても、食品の持っている性質によって、体と心に与える影響は微妙に異なるのです。


易者は、冬至に一年間の成り行きを占う易を立てます。

昨年の冬至に立てた年筮は、艮為山(ごんいざん)でした。艮(ごん)とは山であり、山が二つ連なる卦です。

艮為山には、高島嘉右衛門の有名な占例があります。
伊藤博文の長男は高島嘉右衛門の長女と結婚しており、二人は姻戚関係にありました。
日露交渉のために伊藤博文がハルビンに向かうのですが、高島嘉右衛門は「病気になったことにして中止に」と忠告します。艮為山の三爻を得ていたからです。

艮為山の三爻には「腰骨が裂ける」という爻辞があります。旅の成り行きとしては、かなり不吉です。伊藤博文は「国のためだから」と出発します。高島嘉右衛門は「艮(ごん)という名前の者に気をつけて」と送り出しましたが、安重根に暗殺されます。安重根の根には「艮」が入っています。

艮為山にはそうした不吉なイメージもありますが、私が得たのは三爻ではなく、上爻。
爻辞は「敦く止まる、吉」です。
易の卦は下から6つの陰陽が重なっていきますが、冬至に立てた年筮の上爻にあてはまるのは10月23日から12月21日の2ヶ月間。この期間に「立派な山に登れ」と易神が告げているのです。
私の中で、世界一の山といえば、奈良の三輪山。タイミングよく、関西を訪れる機会もあり、めでたく三輪山に登ることができました。

今年の冬至は12月22日。どんな一年になるか、易神が告げてくださる大切な日です。
※毎週金曜日は、横浜中華街・華陽園で鑑定していますが、今週(11月26日)は都合によりお休みします。



奈良の大神(おおみわ)神社のご神体である三輪山に登りました。

俗人がご神体に足を踏み入れるのは恐れ多いのですが、大神神社の摂社であり、三輪山登山口のある狭井字神社に申し込めば、信仰登山として認められます。
通常の登山ではないので、飲食、撮影は禁止。一本道の登山道を登り、帰りはまたその道を戻ってくること。往復約2時間かかり、午後4時までには必ず山を降りること。そのため、受付は午後2時までです。
受付を済ませ、参拝料300円をお納めすると、鈴の付いた襷が渡されます。

登山は傾斜のあるところも多く、かなりハードでした。スピリチュアリティを極めるには体力も必要です。スポーツクラブに通って鍛えているつもりだったのですが、平面のスタジオレッスンとは使う筋肉が違うらしく、下山後3日間はふくらはぎの筋肉痛に悩まされました。
無心に、ひたすら山道を登りました。時折すれ違う人との挨拶の他は、聞こえてくるのは、襷についた鈴の音、風にそよぐ葉の音のみ。
摂社高宮神社、岩座跡では、それぞれ一人きりで10分ほど手を合わせることができました。

願うことはただ一つ、「占い師として、『通り』をよくしてください」。
三輪山の頂上は、天と通じている場所です。
どこにいても、天と通じているわけですが、携帯電話のアンテナが全部立って、完璧に通話ができる場所もあれば、電波が届かない場所があるのと同じく、三輪山のように天の声をダイレクトに聞ける場所があるのです。

占い師という職業では「今日は通じません」というわけにはいきませんから、折りに触れて、こんな機会を作るように心がけています。



雑誌の仕事はそろそろ年末進行に入り、開運特集で大忙しです。

占い原稿はいろいろと書いていますが、特に好きなのが、家事で開運するという企画。
かつて、主婦向けの雑誌で掃除や洗濯、料理など家事のハウツー記事のライターをやっていたことがあります。そのときはオーソドックスに家事評論家や洗剤メーカーに取材して、原稿を書いていました。

家庭的で家事が大好きという人もいるでしょうが、面倒だけどしかたないと割り切っている人も多いのでは?
どうせ、やらなくてはいけないのなら、「これをやると開運する」と考えてみましょう 。
たとえば、トイレや玄関の掃除。どちらも風水の重要な開運ポイントです。

そろそろ大掃除シーズン。来年の福を呼び込むつもりで、取りかかりましょう。



「若さ」をテーマにしたボブ・ディランの曲は、「マイバックページ」に並んで「フォーエバーヤング(いつまでも若く)」があります。
ディランが息子ジェイコブのために作った歌です。

この歌詞を日本語に訳したアーサー・ビナード氏がこんなことを語っています(現代思想5月臨時増刊号ボブ・ディラン)。
「なんといってもForever Youngの最も重要なポイントは、youngという言葉の意味でしょう。
『若い』という言葉の次元を思い切り超えて、辞書には収まりきれない広がりをもって使われている。世知辛い世の中でも、鈍感にならずに、自分を見失わずに、新鮮で不思議な発見を味わい続けてほしい」ということ。その願いをこめてyoungという思いを聴き手に手渡そうとしている。

占い師の役割もこれに似ています。
世の中には理不尽で割り切れないこともたくさんあるけれど、自分を見失わないでほしい。その手がかりを探るために、四柱推命の命式や手相、タロットカードを使っています。

そしてディランはこう歌います。
May you always know the truth
And see the lights surrounding you
いつも真実を知り、あなたを照らす明かりが見えますように

占いは、そうした明かりでありますように。



年齢は個人差が大きいもの。若いけれど老成している人もいれば、年老いても若い心を持ち続けている人もいます。

ボブ・ディランの名曲「マイバックページ」にこんな一節があります。
Ah, but I was so much older then
I'm younger than that now.
(あの頃の私は、今より年老いていて、今の私はあの頃よりずっと若い)

鑑定の場にはさまざまな年齢層のお客様がいらっしゃいます。
自分がどんな存在で、どこに向かおうとしているのか。それを知ろうとしているうちは、何歳になろうとも心は若いと思います。
むしろ、自分の実力と努力次第で人生はどうとでも転がせると思い上がっていたときのほうが、年老いた考え方にとらわれていたのかもしれません。

人生には、人間の力ではコントロールできないものがあると悟り、占いでもやろうかという気持ちになったとき、人は若くなります。
人は占いに興味を失ったときに老いるのではないでしょうか。

代々木に「マイバックページ」というボブ・ディランをテーマにした居酒屋があります。先日、この曲をディランのアレンジ、他のシンガーのカバーを延々と流していました。同じ曲でもここまで違うのかとびっくりしました。
たとえば四柱推命だったら、誕生日の日干である程度の性格パターンが導き出されます。でも、実際の人生は千差万別。マイバックページのカバー曲の数々を聴きながら、そんなことを連想しました。



「地球交響曲 第7番」には、アンドリュー・ワイル氏も登場しました。
アリゾナ大学医学部で、統合医療を推進している医学博士です。

ワイル氏の自宅はアリゾナ州ツーソンにあり、訪問者に抹茶をふるまうシーンがありました。砂漠で抹茶という取り合わせがとてもユニークだと思っていたら、カナダ・ブリティッシュ・コロンビア州コルテス島の別荘の朝食メニューは、ご飯に塩鮭、あさりの味噌汁、沢庵。ワイル氏はポリポリと心地いい音を立てて沢庵をかじっていました。

若い頃、来日したワイル氏は、日本の朝食に出会い「こういうものこそ、朝に食べたかった」と喜びました。
パンケーキにバター、卵、ベーコンといったアメリカ式ブレックファーストは、あまりお好きではないそうです。
西洋・東洋の医学を統合するというワイル氏のライフワークの原点はここにあったのかもしれません。

「統合」というテーマでワイル氏が口にするのは「It's always both」。
陰と陽、太陽と月、男性性と女性性、光と影…。相反しているものを切り離すのではなく、両方の価値を認め統合すること。ワイル氏は医学分野で、この試みに取り組んでいるのです。

私は東洋占術研究家を自称し、卜術では周易を学びました。でも、どうしてもタロットの魅力が忘れられず、鑑定メニューにも入れています。
命式と手相を見て、未来の成り行きを知りたいときは、タロットを使います。なんだか奇妙な組み合わせと思っていたのですが、ワイル氏のおかげで、少し自信が持てました。



折りに触れて参拝にうかがう天沼八幡神社。春先の強風で神殿の屋根が倒木により壊れました。
その修理が無事に終わった記念ということで、地球交響曲(ガイア・シンフォニー)の上映会が開催されました。

テーマが神道で、まさに神社で上映するのにふさわしい映画でした。
出演者の一人、グレッグ・レモン氏は、ツール・ド・フランスでアメリカ人として初の優勝を果たしました。翌年、銃の事故で37発の散弾銃が体内に撃ち込まれ、瀕死状態に。奇跡的にカムバックを果たし、ツール・ド・フランスでさらに二度の栄冠を手にします。

映画でグレッグ氏は、次男とともに紀伊山地を三日間、自転車で巡ります。
天河神社で二人の旅の無事を祈念する神事が執り行われました。
火を使った神事でしたが、グレッグ氏は「火は、先祖のメッセージを伝える媒体」と語っていました。

九星気学では、占い師を象徴するのは、九紫火星(火)です。
太陽の動きを記録した暦が占いの基になったから、占い師は九紫火星なのだと思っていましたが、アメリカ人のグレッグ氏の発言により、認識を改めました。
暗闇の中、赤々と燃え上がる火を目にしたとき、人間は自然の神秘に触れ、畏敬の念を抱きます。そして日常の意識から離れ、別次元から届けられるものを受け取るのです。
グレッグ氏はそれを「先祖からのメッセージ」と表現していましたが、占いでも、そうした言葉を伝えたいものです。



今年のプロ野球ドラフト会議は、話題の選手が多かったため、注目を集めました。
恵まれた身体能力を持ち、努力して野球に打ち込んできたのに、くじ引きで運命が決まるなんて理不尽に感じる人もいるかもしれません。
でも、占い師にしてみると、野球の神様の「見えざる手」が働いて、本人に最もふさわしい球団が引き当てるような気がします。
そう考えないと、偶然引いたタロットカードや二つに割った筮竹の数によって運命がわかるはずないのですから。

とは言っても、くじ引きの結果に納得できず、浪人する選手もいます。
それはそれで、プロに入団するまでに、そうした時間が必要だったのではないのでしょうか。

タロットや易をやっていると「起こることすべてにメッセージが込められている。
それを読み取るか読み取らないかの違いがあるだけ」という境地に達します。



毎週金曜日、占い鑑定のために中華街に通うたび、頭の中で鳴り響く曲があります。ザ・バンドの「シュート・アウト・イン・チャイナタウン」。

曲の舞台はサンフランシスコのチャイナタウン。明るいメロディとは裏腹に、歌詞は秘密の上海酒場に警察が踏み込んで、ならず者を逮捕するという内容です。

なぜか歌われる通貨は元ではなくて円。孔子が登場するのはわかりますが、仏陀も出てきます。西洋人にとっては、アジアは一括りなのでしょう。
孔子のことを英語でConfucius(コンフキウス)と呼ぶのは、この曲で初めて知りました。「孔夫子」の中国語の発音をラテン語化したものだそうです。

「シュート・アウト」は「撃ち合い、決闘」という意味があり、サッカーのPK戦も指します。
占いも一つのシュート・アウトです。
占い師は、持てる力を出し切って相談者が持ちかけた問いと戦わなくてはいけませんし、相談者は相談者で、自分の中では結論が出ないことに対する落としどころを見つけようとします。
さて、今週もうまくシュート・アウトできるでしょうか。



鑑定の仕事を続けていると、占い師は通訳のような仕事だとつくづく思います。
占術理論の勉強をいくら重ねても、それをお客様に伝える技術がなければ、鑑定は成立しません。通訳も同じで、外国語をマスターしても、日本語の能力が乏しければ、コミュニケーションの橋渡しはできないでしょう。

その反対に、占術の裏打ちがなく、自分の価値観を一方的に伝えるのでは、占い師ではなく口うるさい説教おばさんになってしまいます。通訳業だったら、自分の知らない単語が出てきたら、自己流にねじまげて伝えるようなものです。

占術は太古の昔に生まれたものですから、現代社会にうまく翻訳する必要があります。四柱推命や易が生まれた古代中国では、仕事といえば農民と商人、役人ぐらいで、現代のSE、ネイリスト、フードコーディネイターなんて職業はありませんでした。

長い年月を通り越して、現在に生きる人々に伝わるようにメッセージを翻訳すること。
占いの神様が「うまいこと伝えてくれたな」と感心してくださるような鑑定をめさしたいものです。



チリ鉱山落盤事件で地上に生還した33人の作業員。希望を失わず、リーダーの指示に従い、一致団結して乗り切りました。そして、救出用カプセルに乗る順番もお互いに譲り合ったというエピソードも感動的です。

チリの国民性はそれほどすばらしいのかと思いましたが、人間にはさまざまな顔があります。
今年2月、チリで巨大地震が起こったときは、略奪が横行。軍が出動し、強奪品を抱えて逃げる市民に銃口を向けました。被災者が整然と配給を待っていた阪神大震災とは様相がかなり違います。

今回、救助された33人の作業員と、地震直後に略奪に走ったチリ国民に、それほど差があるとは思えません。状況が違えば、誰しもヒーローにもなるし、略奪者にもなる可能性を秘めているのです。

鑑定中、潜在的な可能性を伝えても、「心当たりがありません」と言われることがあります。
たとえば、落盤事故が起きる前に、作業員の一人を占って「あなたは、とんでもない困難な状況に置かれても、希望を失わず乗り切っていく強さがあります」と伝えても、実感が湧かないかもしれません。そして、落盤事故に遭遇しなければ、そういう面を一生出すことはないかもしれません。

今は思い当たることがなくても、占い師の言葉を心の片隅に留めていただけると、うれしく思います。



占いではなくライターの仕事で、京都に行ってきました。瀬戸内寂聴さんの取材です。
88歳になってもお元気な寂聴さん。京都、岩手、徳島を回り、今でも原稿を書いています。取材前日も締め切りのため徹夜だったそうです。

寂聴さんが仏門に入ったのは、51歳のとき。人気女流作家が出家したというので、世間はその理由をあれこれ詮索したものです。
今回の取材でも、その質問が出ました。
出家の理由は、小説のため。
とにかく、いい小説が書きたかった。そのためにしっかりしたバックボーンが欲しかった。だからキリスト教でもよかったけれど、ご縁があって仏教徒となった。

「え、そんな理由なんですか」と拍子抜けすると
「じゃあ、他の人たちは、どんな理由で出家するの?」
「たとえば、人を救いたいとか…」
ここで寂聴さんの表情がきりっと変わりました。
「人を救えるなんて、できるわけないでしょう。人を救えるのは、神様か仏様だけです 。人を救おうと思って出家するなんて、とんでもないことです」

出家者と占い師を一緒にしたら、寂聴さんにお叱りを受けるでしょうが、「人を救う」という看板を掲げている占い師には用心したほうがいいかもしれません。
ヒントは与えます。でも、占いの結果を元にして実行するかどうかは本人次第。それを無理やり言うことを聞かせて、救ってやろうなんて、占い師の思い上がりです。

心理学の用語で「メサイア・コンプレックス」というものがあります。「人を助けたい」「人の役に立ちたい」ということでしか自分のアイデンティティを確認できない人。
こうした人は、心が満たされていないので、感謝されることをやたらと欲しがります。
厄介なことに、メサイア・コンプレックスを抱えた占い師はけっこういます。そんな占い師に関わってしまったら、アドバイスは適当に受け流して、形だけでも感謝の言葉をかけて、さっさと離れましょう。



私たちは、社会生活で涙を封印して生きています。泣くなんて子供じみた恥ずかしいこと。どんなに泣きたくても、ぐっとこらえるのが、大人としてのたしなみだと教え込まれているからです。

でも、誰だって、泣きたいときがあります。
自分は悪くないのに、不運がふりかかったとき。欲しくてたまらないものが、どうがんばっても手に入らないとき。自分の思いが相手にまったく伝わらないときなど。

人生は理不尽なことに満ちています。
涙をこらえてばかりいるうちに、悲しさ、くやしさ、やるせなさは、沈殿物のように心の底に溜まっていきます。
そうして耐えに耐えてきた涙が、あるきっかけで堰を切ったように流れ出すことがあります。たとえばそれが占い師の言葉かもしれません。

占い師は、あなたのことを「いつ生まれたか」「どんな手相をしているか」くらいしか知りません。利害関係も交際歴もないからこそ、占い師は別の視点からメッセージを 送ることができるのです。

占い師の一言で涙があふれそうになったら、遠慮せずに泣いてください。その涙は浄化の涙です。



世の中には、努力したからといってうまくいくことばかりではありません。

「生年月日や、手のひらのしわ、偶然引いたカードで人生がわかるなんて非科学的だ」と批判されることもありますが、「どうして私はこの両親の元に生まれたのか」「なぜ私は結婚相手とめぐり合えないのか」「同期のあいつが俺より先に課長になったのはなぜ?」といった問いに、科学は答えてくれません。

たとえば、突然の病気で入院を余儀なくされた人。
「どうして私はこんな病気になったのでしょう?」と質問すれば、医師は病理学的な説明をしてくれるでしょう。でも、頭では納得できたとしても、心は乱れた状態が続きます。

人間の力ではコントロールできないものがあると悟るために、占いは役に立ちます。
堂々巡りで出口が見つからないとき、手相なりタロットカードで「こういう見方もあります」と提示されると、ふっと心が軽くなることもあるかもしれません。



寅年には、2回、開運のチャンスである月が巡ってきます。
十二支を円形に並べたとき、正三角形を作る十二支を「三合(さんごう)」と呼び、東洋占術では大吉とされます。
寅年なら、午月と戌月。午月は6月ですから、もう過ぎてしまいましたが、戌月は10月8日から11月6日までです。

今年の戌月には、吉方取りをするなら南へ。南は午の方位ですから、年と月、方位の3つで寅午戌の三合を作ることができます。
方位だけでなく、午すなわち五行(木火土金水)の火行の象徴するものを使えば、いろいろな開運法が導き出されます。

たとえば、火行は文化文明の象徴ですから、本や書類を整理することが開運につながります。
室内の照明器具の手入れをするのもいいでしょう。女性なら、古い口紅やファンデーションを処分するなど、コスメ類の整理を。
味では苦味。ピーマンやセロリが開運食となります。



占い師の相性を知るのに、最も簡単な方法は、名前を見ることです。
ほとんどの占い師は、本名ではなく占い用の名前を名乗っています。
姓名判断も占いの 一つのジャンルですから、画数や意味、響きなど占い師のこだわりが込められた名前のはずです。

占い師の名前がなんだか受け付けないようなら、その占い師に鑑定してもらうのは避けたほうがいいでしょう。
すんなりとは読めないような凝った名前を名乗る占い師もいますが、それをありがたがる人もいれば、字面や音に惹かれる人もいるでしょう。
要は好みの問題です。「この名前がいい」と思う占い師なら、あなたにとってそれほどはずれたアドバイスはしないはずです。



占い師も人間ですから、鑑定するお客さんとの相性の良し悪しがあります。せっかくお金を払って鑑定を受けるのなら、相性のいい占い師を探しましょう。

大雑把に分類すると占い師には、「癒し系」と「脅し系」があります。
「癒し系」のほうが良さそうですが、聞き心地のいい言葉を並べられて、なんとなくいい気分になったけど、何を言われたのかはっきり覚えていない場合もあります。
反対に、「このままじゃ地獄に落ちる」などきついことを言われ、その時はムカついたけれど、けっこう思い当たるところがあり役に立ったという場合もあるでしょう。

子供時代、ほめられて伸びる子だったか、それともスパルタ教育に耐えられる子だったか、自分を振り返ってみてください。ほめられて伸びるタイプなら、脅し系は避けたほうがいいでしょう。
私自身、客として鑑定を受けてみて、「なんだかな…」と首をかしげたくなる占い師に遭遇したこともあります。それは、占い師の能力に問題があったというより、私との相性が悪かったのでしょう。

相性の悪い占い師にネガティブなことを言われると、そのときの雰囲気の悪さとの相乗効果で、引きずってしまいがちですが、忘れるのが一番です。腕の悪い美容師に当たってしまったのと同じです。髪が伸びる頃には、もっといい美容師と巡り合えるでしょう。



九星気学では、自然界、人間界のありとあらゆるものは、九星のいずれかに分類されます。
九星気学で開運というと、吉方位がまず挙げられますが、九星は方位以外でも使えます。自分にとって吉をもたらす九星が象徴するものを、取り入れるといいのです。

たとえば、私の場合は、九紫火星。都会に住み、原稿を書くことを生業とし、占いを学ぶことは、すべて九紫火星の象意です。実際、この道を選んだことで、人生が好転してきました。
そして、日常レベルでは、三碧木星を活用しています。三碧木星が私にとって有用な星であることに気づいたのは、スポーツクラブです。

子供時代の私は運動嫌いで、外で遊ぶより、家で本を読んでいるほうが好きでした。
ところが大人になってスポーツクラブに通うようになり、音に合わせて体を動かすことの楽しさに目覚めました。それも単にリズムを取るためだけの音楽ではなく、音楽自体が躍動的であること。音なしでズンバの激しい動きをやっていたら、数分でギブアップですが、ズンバのレッスンでは夢中になり、あっという間に時間がたちます。

ふと思いついて、携帯用音楽プレーヤーをサロンエプロンに突っ込み、音楽を聴きながら床を磨いたり、皿を洗ってみました。
なんと仕事がはかどること。音楽を聴きたいために、もっと働きたくなってきます。

古いですが私にとってはザ・バンドの曲が一番、掃除に合います。
中でもリック・ダンコが最高です。ネットで探せば、海賊版でライブのCDが次々と見つかるので、音源は尽きません。リックの歌を聴きたいと思う限り、家事は面倒などころか、楽しみなものになっています。



友人が所用で奈良に行き、大神神社にもお参りしてきました。おみやげに、平成23年度の大三輪暦と清めの御砂をいただきました。

大神神社は、懐の広い、なんとも鷹揚な神社です。
私が訪ねたのは、2年前。奈良の旧友が連れて行ってくれました。大神神社の宮司さんが友人の高校時代の同級生ということで、特別にお話も聞かせていただきました。

「うちは、便宜上、神社といってますが、厳密な意味での神道ではありません」
「じゃあ、何ですか?」
「原始宗教です。御神体が山ですし」
このやりとりが、とても印象的でした。とにかく大神神社は何でもOKだそうです。

境内で法螺貝を吹く山伏の隣で、般若心経の写経をしている人がいる。霊能者が天と交信して特別なインスピレーションを受ければ、新興宗教の信者が独自の祝詞を唱える。
宗派が違うからといって排除するどころか、少々あやしげな人もすべて大らかに受け入れます。

宗教とは、かくあるべし。奈良に行くことがあれば、ぜひまた参拝したい神社です。



中華街で占いの仕事を始めるのに先立ち、関帝廟と媽祖廟にお参りしました。
お線香を買い求めて、5箇所の香炉に1本ずつ捧げていきます。順番を書いた数字が張ってあるのでまちがいようがありません。

そして、本殿内にも複数の神様がいらっしゃるので、順番に従って参拝していきます。
拝礼台に膝をついて合掌するのですが、このとき「住所と名前、生年月日をちゃんと言うこと」と係員の人に念を押されました。外国の神様だから、まず名乗らないことには、自分のことをわかってもらえないし、自己紹介もせずにお願い事をするのは、不躾なのでしょう。

媽祖廟では、おみくじをひきました。
まず、おみくじ棒が入った器を振ります。一本飛び出してきたら、その番号がおみくじの結果です。
ここまでは日本の神社と同じですが、その次に一つ、プロセスがあります。三日月形の木片を二つ落として、表と裏が出たら、その番号で正しいということですが、表と表あるいは裏と裏なら、棒を引くところからやり直しです。
表が陽、裏が陰。東洋占術では「陰陽相配(いんようそうはい)」をとても重視します。
陰と陽が交わることによって、万物が生まれるのですから。

1回目で陰陽がうまく出て、おみくじの紙をいただきました。
「時間はかかるけれど、最終的にはうまくいく」という内容。あせらずじっくりと、この地で占いの腕を磨きなさいというメッセージなのでしょう。



戌の月から鑑定を始める横浜中華街・華陽園は、中華大通りに面しています。
私は地下鉄みなとみらい線を使うので、駅から地上に出て中華街の東門である、朝陽門を通って華陽園に向かいます。

東洋占術では方位、時刻、色などあらゆるものを木火土金水の五行に結び付けます。
そして、五行のエネルギーの流れをうまく使うことが開運につながります。

五行の木は、東であり、朝であり、色は青。青く彩られた朝陽門はまさしく木行の門です。
そして、華陽園の「華」は、五行では火。太陽が頂点に達して、地上を照らしている状態を示します。
木行は火行を生みます。木材が燃料になり、赤々と火が燃え上がります。だから、朝陽門を通って、華陽園に向かえば、エネルギーが満たされます。

金曜日の朝、朝陽門を通るたびに、エネルギーが満ちてきて、充実した鑑定ができるはずです。





10月から、毎週金曜日に横浜中華街・華陽園で鑑定を始めます。時間は午前11時から午後10時までです。

正確には10月ではなく、戌の月スタートです。ですから、10月最初の金曜日は1日ですが、私が始めるのは10月8日からです。
今年は寅年、月が戌月となれば、最大吉方位は南。中華街は私の自宅からみて南にあたります。そして「華陽園」というお店の名前。「華」「陽」ともに、南すなわち九紫火星の象意を強く持っています。

さらに、10月8日は新月。新月に種を蒔くとよく育つといわれますが、新しいことを始めるのには最適な日です。

戌の月に先立ち、試運転として9月10日(金曜日)の夜、華陽園で鑑定しました。
基本の手相鑑定に、私は四柱推命の命式を加えます。持って生まれた傾向性を確認し、現在、どう生きているかを手相から読み取るのです。 自分自身を示す日干は10パターンですが、生まれた季節との関係、そして千差万別の手相。さらに未来が知りたいというお客様には、タロットや易、開運法には九星気学を使います。
人生のさまざまなドラマを垣間見るのですから、対面鑑定はどこまでも深くておもしろいものだと実感しました。





いくら大きな理想を抱いていても、行動を起こさなければ、何も変わりません。
「いつかは私も」と思いつつ、不本意な毎日を送っている人もたくさんいるでしょう。

目標におじけづいて、実際に行動して失敗したらどうしようという不安。
そして、明日から始めるけど、とりあえず今日はやめておこうという怠け心。でも、明日になると、また同じことの繰り返しです。
そんな人に相談されたら、「とにかく始めなさい」とアドバイスするしかありません。
「一気にやり遂げようとするのではなく、とにかく着手すること」と。
たとえば、小説を書こうとするなら、一晩で結末まで書き上げるのは無理です。まず書き出しを考えて、原稿用紙あるいは、パソコンで最初のセンテンスを作るのです。

脳科学によると、やる気を生み出す場所は、脳の側坐核(そくざかく)だそうです。
この側坐核は、刺激が与えられると活発になります。やる気が出ないときでも、とりあえずアクションを起こせば、刺激を与えることができます。
小説の最初のセンテンスを作れば、側坐核が活発に働き、自然に次の展開を考え始めることができます。

部屋がとんでもなく散らかっているときも、とりあえず流しにたまっている食器を洗ったり、床に脱ぎ捨てた服をたたんでみましょう。
それで一気にきれいにできなくてもいいのです。時間的にも体力的にも限度があるのですから。大事なのは、着手することです。




小豆島では得がたい体験がありましたが、その中の一つが、朝ごはんです。
ラフターヨガのセッションに参加された女性が「明日の朝は、うちで朝ごはんを」とおっしゃいます。

翌朝、萩原さんが車で連れて行ってくださったのが、岬の見えるおうち。「モーニング喫茶 ベル」と看板が出ています。完全予約制で、オープンするのは朝だけ。そしてメ ニューは、卵かけごはんのみです。

卵は庭で飼育している烏骨鶏の産みたて卵。ご飯は釜で炊き上げています。それに、彩りよいお漬物にお汁、海草をハート型に固めたもの。梅干の種はあらかじめ取ってあるなど、細かい心配りがあります。

同行者の美晴さんが「こんなやり方があったんだ」としきりに感心しています。
喫茶店をオープンしたいと思っても、「メニューは? 仕入れは?」と、ハードルが多すぎてたいていの人はそこであきらめてしまいます。
準備が完璧に整ったら始めようと思っていては、一生始められないのです。
でも、自分のできる範囲で、条件を限定すれば、可能性が一気に広がります。

何かやりたいことがあるなら、不可能な部分に恐れをなして尻込みするのでなく、まず自分ができる範囲でスタートさせる。一度始めさえすれば、そこからどんどん発展していくのです。




小豆島のラフターヨガ後のタロットセッションで、ゴンジさんに出たカードは「悪魔」でした。
一見、ぎょっとするカードです。
伊泉龍一先生のタロット講座では、「悪魔」は「教皇」と対比されます。
「教皇」の世界観はシンプルです。世の中には善と悪があって、そのラインはどこまでも明確。「これは善だ」と心の底から信じられるからこそ、宗教が成立するのです。
「教皇」の視点からすると、「悪魔」はラインを超えて悪の世界に行ってしまった人です。「教皇」は信者に向かって厳格に「そっちに行ってはいけないよ」と説きます。

「教皇」のカードは清らかで、とても宗教的です。
でも、そうした単一の世界観だけで暮らしていて、息苦しくならないでしょうか? 
一生、道を踏み外すことなく、決められたラインの中で生きる人生なんて、おもしろくありません。
人間は禁じられると、より惹かれるものです。その意味で「悪魔」のカードはとても魅力的です。禁断の花園に足を踏み入れているのですから。

伊泉先生によると、ラフターヨガ自体がとても「悪魔」的。なぜなら、ヨガの一般的イメージは禁欲、沈黙、修行など。大声で笑い転げるラフターヨガはヨガ界の異端です。
そして、異質なものを組み合わせるからこそ、クリエイティブなものが生まれる可能性があります。

だから、ラフターヨガを普及させようというゴンジさんの未来は、予測がつかないほど、楽しくおもしろいものになりそうです。




小豆島旅行では、現地の方々のおかげで、通り一遍の観光旅行では味わえないような、貴重な体験ができました。
ラフターヨガのセッションを組んでくださり、島内観光の運転手とガイドも務めてくださった萩原さんにお礼を言うと、「毎日ヒマでしかたがない私の相手をしてくださって、こちらこそ、感謝です」なんて反応が返ってきます。

どうしてこんなに小豆島の人はこんなに親切なのか?
その背景には、「お接待」と呼ばれる四国の八十八ヶ所の巡礼者へのもてなしの心があるように思います。
島の人たちは、八十八ヶ所をお参りしなくても、旅人はすべて巡礼者のようなものだと、おおらかに考えているのでしょう。

ラフターヨガの夜の部では、参加者全員が自分の名前の由来を説明しながら自己紹介をしました。
ギターとマンドリンを演奏してくださったレイコさんは、「双子の姉妹がいて、ジュンコとレイコで巡礼です」。
レイコさんは、小豆島を経つときも、わざわざ港まで見送りにきてくださいました。いかにも、巡礼者を温かく迎えてきた島の人です。

日常生活の中でふとすれ違う多くの人々も、それぞれが人生という旅を続けている巡礼者同士。そう考えれば、もっと優しい気持ちで人に接することができるかもしれません。
(今回の写真も、萩本さん撮影です)




3月のインドツアーのメンバーと小豆島で再会しました。
メンバーに香川在住の方がいて、かなり濃いプランを組んでくれました。
島に到着すると、NPOいきいき小豆島代表の萩本篤義さんのお宅へ。ここはサロンのような場になっていて、地元の方々が20名以上集まってきました。ゴンジさんのラフターヨガが始まります。

皆さん、ラフターヨガは初めてだというのに、抜群のノリですっかり夢中に。大声で笑っているうちに、予定時間をオーバーしたほどです。
夜も地元の方が10名ほど参加して、ラフターヨガの続き。即興の音楽に合わせて踊るダンス・イン・ザ・モーメントも繰り広げられました。
そのうち、私がタロットリーディングを始めることになりました。
本来、占いは個人的なものですから、公開で行うことはめったにありません。でも、ラフターヨガで参加者の意識が解放されていたせいか、ごく自然な流れで展開していきました。

希望者に3枚のカードを引いてもらい、現在、過去、未来と、カードを読み取っていきました。
これが東洋の占術である易だと、占う目的をはっきりさせる必要があるのですが、タロットは、包括的な状況を見るので、何も聞かなくても大丈夫です。
そして、易の陰陽を示す算木とは違って、タロットになじみのない人でも、カードをぱっと見ただけでメッセージが伝わります。

一期一会の特別な状況だからこそ実現できた、希有なリーディング・セッションでした。
小豆島のオリーブの写真は、今回の旅ですっかりお世話になった萩本さんの撮影です。



占い師と一口に言っても、個人鑑定がメインの占い師と、雑誌やネットに原稿を書くのが仕事という人がいます。
翡翠輝子は後者でしたが、地元のお祭りで個人鑑定をやってみて、その奥深い世界に惹かれるようになりました。

雑誌用に占いの原稿を書くときは、不特定多数の読者に向けて、わかりやすい表現を心がけています。でも、個人のお客様の場合は、その人の心に届く特別の言葉を探さなくてはいけません。 それは、探すというよりも、目の前の依頼者の背後にあるものが、私という媒介を通して言葉として出てくるような感じです。

こう書くとオカルト的ですが、友人の超人気占い師も「鑑定結果がよく当たるときほど、自分ではなぜそんなことを言ったのかわからない」ともらしたことがあります。
筮竹を使って易を立てるときは、まず1本を抜き取り、垂直に立てます。「易の神様、ここに降りてきてください」という合図です。
神様なのか、天の声なのか、はたまた依頼者の守護霊なのか、本人に伝えたいメッセージがあるときに、占い師という道具を使って、語らせることがあるのではないでしょうか。

だから、占いがよく当たったからといって、占い師を崇拝する必要はないのです。
ラジオから有意義な情報を得られたとしても、あなたの役に立ったのはあくまでも内容であり、ラジオ自体は単なる道具に過ぎないのですから。

もちろん、感度のいい高性能のラジオと雑音ばかりのラジオがありますから、占い師の当たりはずれがあるのも事実です。



プロ野球のペナントレースが佳境を迎えています。
8月17日の阪神・横浜戦で勝負を決めたのは、ルーキーの藤川俊介の劇的なプロ入り初本塁打。
打撃より外野の守備力が買われ、主に守備固めで出場している選手です。打率もそれまで2割3厘とそれほど高くありません。しかも、この6月、7月は無安打です。

実はこの日は、藤川選手の23回目の誕生日でした。
大人になると、誕生日をあまり祝う気にならず、いつもと同じように過ごす人も多いようです。
でも、四柱推命や西洋占星術では、誕生日が重要な意味を持ちます。この世に生まれてきた瞬間の「気」が刻印され、一生の道筋を示します。
もちろん、誕生日が同じでも、家庭環境や本人の選択で、それぞれが個性的な道を歩むわけですが、それでも、誕生日はある程度の影響を与えるものです。

占星術では、誕生日を「ソーラー・リターン」と呼びます。
年に一度、自分が生まれた日と同じ位置に太陽が戻ってくるからです。
藤川選手のように、そのタイミングで思いがけないパワーが発揮できることもあるし、これからの一年の指針を立てるのにも、絶好の機会です。
新年や立春は万人にとっても、心機一転ですが、誕生日は、あなただけの特別な一日なのですから。



ハーバード白熱教室の再放送がありました。
法哲学を学ぶ人だけでなく、占い師にとっても、深く考えさせられる講義です。

講座名のJUSTICE。
「正義」と訳されますが、これはタロットの8番目のカードです。
もし「仕事でいくら頑張っても報われない」と悩む人にこのカードが出れば、「正しいことをやっていれば、そのうち報われます」という意味です。「彼と別れて、さびしい」人には、「大丈夫、あなたに釣り合う人が出てくるから」。


「正義」のカードには、左右が釣り合った天秤が描かれています。 Aがダメなら、それと等価のBと置き換えればいい。Bもダメなら、CやDもある…と割り切れる世界観です。

あなたが出世できないのは、仕事で手抜きをしているから。結婚できないのは、婚活を頑張っていないから。
結果が欲しいのなら、それ相応の努力をしなさいというアドバイスで済みます。

でも、世の中には、天秤で計れないものもある。それに、天秤の目盛りが人それぞれ違っていて、Aさんには等価でも、Bさんはそう認めないことだってあります。
もし「正義」のカードだけですべてがシンプルに説明できるのなら、占い師は必要ありません。
そして、サンデル教授も講義のテーマを「正義」とすることはなかったはずです。



探し物をしている最中、偶然に別の貴重なものを見つけることをセレンディピティといいます。
イギリスの政治家であり小説家のウォルポールの造語で、『セレンディップの三人の 王子』という童話に基づきます。

邪悪なドラゴンを退治する方法を探すため旅に出た三人の王子。その方法は見つからなかったのですが、三人はそれぞれ貴重なものを得て、幸せをつかんで帰ってきたというお話です。

セレンディピティとは、偶然を必然にする能力と言い換えることもできるでしょう。
私たちの誰もが幸せになりたいと願っていますが、想像したのとは違う形の幸せがも たらされる可能性もあるのです。セレンディピティを働かせないと、それに気づかず「私は不幸だ」と嘆き、そこから抜け出せません。

勝間和代氏の座右の銘は「起きていることはすべて正しい」です。
そんなわけはないだろうと、反論したくなりがちですが、では、何が起きれば正しかったのかはタイムマシンにでも乗らない限り、検証できません。
一見、運が悪いように思えることでも、それがあったおかげで、今の自分があると考 えたほうが、境遇を嘆くよりも、ずっと幸せな生き方なのです。




人相の師・天道春樹先生は「街頭易者ほど楽しいものはない」とおっしゃいます。
どんな客が来るかは、その日の風まかせ。鑑定結果をはずすと、その場で怒られる。そんな真剣勝負によって、占いの力が磨かれていくそうです。

私にはとてもそんな度胸はないと思っていたのですが、思いがけず街頭で占いをする機会に恵まれました。
地元のお祭りで、行きつけの店のママが店頭の一画に占いコーナーを作ってくれました。
お祭りは非日常です。食べ物の屋台が出て、ライブ演奏が鳴り響き、阿波踊りの連が通り抜けていきます。 そんな中、ふと占いをやってみたいというお客様もたくさんいらっしゃいました。

天道先生のおっしゃる通り、占い師として、貴重な経験ができました。
鑑定させていただいたお客様、そして、機会を与えてくださったママ、本当にありがとうございました。




フィンランドから帰国して2週間近くたつのに、心はまだ残してきたようで、折りに触れて旅のシーンがよみがえります。でも、フィンランドに滞在していたときは、日本がなつかしく、早く帰りたいとも思っていました。

昔、イギリスからアイルランドへ渡るフェリーに乗ったとき、同席した高齢の女性がこんなことを語ってくれました。
「イギリスからアイルランドに嫁いで30年以上たって、今ではアイルランドが私の家。故郷のイギリスに帰るのも楽しいけど、一番楽しいのは、帰り道。住み慣れた我が家に帰れると思うだけで、うれしくなってくる。この気持ちを味わうために、私は旅をしている」

占い師も、折りに触れて旅をする必要があります。

決められた枠の中だけで生きていると、占いの入り込む隙はありません。生まれた時間の星の配置や暦の文字が人生を暗示していたり、手のしわにその人の性格や健康状態が出たり、あるいは偶然引いたタロットカードに啓示があるなんて、理屈だけで考えるとおかしな話です。

頭では理解できなくても、そういう原理もありかもしれない。そうした想像力がないと、占いの世界には入れません。 住み慣れた日常を離れることで、異なる世界の価値観を受け入れる柔軟性が身に付けられるのです。



タロットの大アルカナは全部で22枚。カードには1番から21番までの番号がついていますが、唯一番号を持たないのが、愚者のカード。
番号を持たないからこそ、カードの流れから独立し、どの階層にも属さない自由な存在です。

伊泉龍一先生は、「占い師は、愚者であれ」と説きます。
占い師として人を導いてあげよう、癒してあげようといったポリシーを持つと、何を占っても最後には同じメッセージを繰り返すことになります。
そうなると占い師というより、説教好きな近所のおじさん、おばさんです。

愚者の原型は道化です。王侯貴族に使え、機知に富んだセリフを口にするのが役割。
地位を持たないかわりに自由を与えられ、宮廷人に無礼なことを言っても「道化だから」と許されます。

占い師も同じ。社会的地位を持たず、ときには「占いなんて」と蔑まれているからこそ、占いの結果を自由に読み取って、伝えることができるのです。
シェイクスピア・タロットでは、『十二夜』の道化フェステが愚者となっています。
フェステは、鋭い観察力をもち、時と場所を心得て、効果的な一言を発する「賢い道化」の典型です。



フィンランド最古の都、トゥルク。
観光ガイド的には大聖堂やお城が見どころなのでしょうが、この街は酒場のテーマパークでもあります。学校や銀行、薬局、電器店などを改築した酒場があちこちに点在する街です。

フィンランドの夏は日が沈みません。夕方から飲み始めても、いつまでたっても明るいままですから、ビールを1杯ずつ、もう一軒、もう一軒とハシゴすることになります。
4軒目の酒場で話しかけてきたのが、アホさん夫妻。
冬季オリンピックのジャンプにアホネン選手がいましたが、フィンランドではアホという名字が多いのでしょう。
酒場で会ったアホさんからは、「今晩、歌うので、よかったら来ませんか?」とお誘いを受けました。

まずアホ夫妻のお宅を訪問。マーケットプレースから1ブロックの便利な場所にあり、夫婦二人暮らしということで、日本とそれほど変わらない広さのマンションでした。
白を基調とした、北欧らしいさわやかなインテリアです。
お宅でまた1杯ごちそうになり、歌の会場へ。

公園の一画にある酒場でした。なんと、公衆トイレを改造したものだそうです。
公園だからオープンエアの席がたくさんあり、中央にギターの男性一人とコーラスの女性数名。
カラオケのような歌詞の本が配られ、「何番を歌おう!」と声がかかるとみんなで合唱するのです。
歌声喫茶ならぬ歌声酒場。時刻は午後9時を過ぎていましたが、青空が広がっています。
聴き役に徹するしかないかと思いましたが、なぜか耳慣れたメロディが聞こえてきます。小学校で習ったロシア民謡です。
フィンランド語はわからないけれど、本を見ながら適当な発音で一緒に歌うと、絶賛されました。



アメリカの調査機関ギャラップによると、人々が幸せだと感じている割合がもっとも高い国はデンマーク。次がフィンランドだそうです。
フィンランドを旅していると、「自分が幸せだと、人にも優しくできる」と実感できることがたくさんありました。

たとえば、ちょっとしたことですが、バス料金の支払い。
フィンランドでは人件費がとても高いので、徹底的に人員削減しているそうです。大きなバスターミナルでも案内所や切符売り場はありません。切符を買うのは直接、運転手から。電子カードやクレジットカードを使う人もいます。
現金ならお釣りを渡すだけですが、カードはピンコードを入力したり、サインが必要だったりします。
さらに、外国人が乗ってきて頓珍漢な質問も。
これを運転手一人でこなすのですから、発車までにかなりの時間がかかります。

これが日本だったら、乗り慣れた乗客がイライラし始めるでしょうが、フィンランドの人はみんなのんびりと待ちます。
電車の中で肩が触れただと、携帯を使っている、携帯音楽プレーヤーの音漏れとかでトラブルに発展する日本からやってきた身には、とても新鮮でした。
店員や他の客がちょっとでもグズグズすると、自分の時間を損したように感じてしまう日本。
時間を効率的に使っていると思い込んでいて、実はとても不幸な時間を過ごしていたのではないでしょうか。



1週間程度の海外旅行となると、キャスター付きのスーツケースで旅立つのが一般的です。

でも、未知の街に降り立ってみると、スーツケースは足手まといです。それに、石畳の上をがらがら音を立てて引っ張っていくのは、いかにも旅行者然としていて、街とはよそよそしい関係のままです。

今回のフィンランドの旅では、トゥルクやタリンなどに移動して一泊するので、スーツケースはヘルシンキ中央駅のコインロッカーに預けました。
小さなかばんで街を歩くと、スーツケースに気を取られない分、街の空気をたっぷり味わえます。
よそよそしかった街の表情が打って変わり、どこでも自由に探索でき、なんだか街全体から歓迎されているような気持ちになりました。
夏のヨーロッパは湿度が低いので、着るものはこまめに洗えばすぐ乾くし、どうしても足りなくなったら、地元の店で買うという手段もあります。

昔、社員旅行で海外に行くのに、成田の集合場所にパスポートと財布、文庫本だけを持って集合した男性がいました。
替えの服も水着もすべて現地で買うとのこと。
なんと大胆なことをすると驚きましたが、彼は旅の達人だったのかもしれません。



この季節は日が長く、夕方から飲み始めて1軒2軒とはしごしても、夕暮れとはなりません。
明るいうちから寝て、起きたらもう青空です。
これが冬だったら、一日のほとんどは闇に包まれていることでしょう。

よく日本には四季の移り変わりがあると言われますが、北欧の日照時間の推移に比べたら、変化は大きくないような気がします。

東洋の占いの根本思想は、季節による陰陽の変化です。
夏至直前が陽のピークで、陰が徐々に伸びていき、冬至でまた反転します。
初めて一つの陰が生まれるタイミングである冬至に一年を占う年筮を立てます。

こうした思想は、北欧の人のほうが実感として受け入れやすいのではないでしょうか。
ヘルシンキの街路には、多くのカフェがテーブルと椅子を並べ、人々は好んで屋外に座ります。
そして、あまりおしゃべりもせず、静かに貴重な陽の気を全身に浴びているように見えます。



タロットカードが好きで、独学で本を読みながら占いに使ってきました。
縁あって伊泉龍一先生のタロット講座を受けてみると、感嘆の連続でした。
私が特に感銘を受けたのは、タロットの順番に込められた深いストーリーです。

タロットの大アルカナは全部で22枚。最後のカードは「世界」です。すべてのカードの上位に位置する最強のカード。
タロット占いで「世界」が出たら「完璧な状態」「恋の成就」「頂点」といったキーワードが使われます。

では、なぜ「世界」が最強なのか?
その理由を知るには、「世界」の前のカード「審判」を意識する必要があります。
「審判」はキリスト教の最後の審判です。死んでいたものたちが目覚めるとき。これまで自分が打ち捨てていたものがよみがえります。

自分が置かれた境遇に完璧に満足している人はいないでしょう。
「もっと裕福で愛情深い両親のもとに生まれていたら」「もっと美人だったら」「もっと頭が良かったら」「もっと背が高かったら」という、ないものねだりをしている人がほとんどです。
「審判」のカードでは価値観の逆転が起こります。
完璧でない両親のもとに、平凡な容姿と頭脳で、小柄に生まれたからこそ、今の自分があります。すべてを個性として受け入れるのが「世界」のカードです。

自分がこういうふうに生まれてきた意味が理解できれば、世界は変わります。「そういうことだったのか、すべてこれでよかった」と悟る瞬間です。



フィンランド旅行に向けて、ムーミン・シリーズを読んでいます。
子供のために書かれた作品とされていますが、そこに描かれた寓意の数々には、とても深いものがあります。

私が最も感銘を受けたのは、「所有しない生き方」です。
お掃除風水や、今流行りのの「断捨離」にも通じます。
谷でたくさんのガーネットを集めたスニフ。でも、オオトカゲににらまれ、せっかく拾ったガーネットを落としてしまいます。
がっかりしているスニフにスナフキンはこう語ります。
「ものは、自分の所有物にしたくなったとたんに、あらゆるめんどうが、ふりかかってくる。運んだり、なくさないように気をつけたり。だから僕は、見るだけにしている。 立ち去る時には、全部、頭の中にしまう。そのほうが、苦労してて運ぶより、ずっと快適だからね」

そして、海辺の大きなふるい家に一人で住んでいるフィリフィヨンカ。
小さな鏡、赤いビロードの枠に入れた写真、小さな貝殻、瀬戸物の猫、かぎ編みのレース、絹糸や銀糸で美しい言葉を縫い取りしたもの、小さな花瓶、きれいなお茶道具など、すてきなものをどっさり持っています。それらは、彼女の人生を楽しく豊かにするための品々のはずでした。 ところが、竜巻がやってきて、彼女のこまごまとしたお気に入りの品をみんな吹き飛ばしてしまったのです。
彼女は失望するどころか、うっとりします。
「もう私、二度とびくびくしなくていいんだわ。今こそ、自由になったのよ。これからは、どんなことだってできるんだわ」

小さなかばん一つで旅に出たくなるのは、こんな物語を読んだときです。



7月7日に節入りして、午の月から未の月へと変わりました。
そして7月20日からの18 日間は土用となります。
土用とは、季節と季節の変わり目。未の月に巡ってくる土用は、夏から秋への変化の時期です。
地上では、これから夏本番を迎えるところですが、天の気は一足早く次の季節 に切り替わっているのです。

東洋占術を習い始めた頃は、まるでデパートの販売企画担当者のようだと思いました。
季節を先取りするからです。
7月の声を聞くと、夏物一掃バーゲン。
8月も半ばになると、まだ暑い日が続いていても売り場は秋色に染まります。
「今、着る服が欲しいのに、次のシーズンのものしか売ってない」と嘆かず、手持ちの服を活用し、バーゲンも利用しながら上手にお買い物を。

東洋占術の場合は、干支暦を見れば次に何が来るかは一目瞭然。流れを予測し、きちんと備えることで、運気の波に乗っていきたいものです。



人間は社会的動物ですから、人との関わりによって、幸運や不運がもたらされます。

だからこそ、つきあう人を選ぶべきなのですが、この教訓を体現しているのが、阪神タイガースのブラゼル選手。
同じく助っ人のマートン選手とともに、今年のタイガースを支えています。
来日して、最初は西武ライオンズに所属。まじめな性格で、日本に積極的に溶け込もうとし、西武ドームまでは西武鉄道を使って通勤していたそうです。

しかし、ケガもあり西武を退団。
アメリカ帰国後も、日本球界復帰を目指し、試合出場チャンスの多い独立リーグでプレーしていました。
そこに目をつけたのが、ここ数年、助っ人選手の不調が続いていた阪神でした。

西武関係者からは、日本での活躍に否定的な発言もありましたが、阪神入団後はそれらを吹き飛ばすような大活躍。
バースの再来として虎ファンからの熱烈な支持を集めています。
本人も「阪神で選手を終えたい」と生涯タテジマ宣言。その背景には、チームメイトやファンとの良好な関係もあるのではないでしょうか。

阪神ファンの掲示板でこんな書き込みを目にしました。
ブラゼルの活躍で勝利した翌朝、マクドナルドに朝食を買いに来たブラゼルと遭遇した阪神ファン。
片言の英語で話しかけ、手に持っていたデイリースポーツを見せたそうです。
自分がでかでか一面になっているのに感激するブラゼルに「プレゼント・フォー・ユー」とデイリーを差し出すファン。そして大喜びするブラゼル。
こんな環境に暮らしていたら、他の球団でプレーしたいとは思わないはずです。

持って生まれた運だけでなく、環境によって人は大きく左右されます。
最初の就職や結婚がうまくいかなかったからといって、人生を投げてはいけません。



6月30日は、一年のちょうど半分が終わる日。半年間を無事に過ごしたことを感謝し、厄を落とすために、近所の神社で茅の輪をくぐりました。

衛生状態が悪く、医学が発達していなかった時代は、夏の疫病で命を落とす人も多かったはずです。
人々は、生命力旺盛な茅で作られた輪をくぐることで、今年の夏を無事に過ごすことを神に祈ったのでしょう。

お正月の初詣だけでなく、季節の節目ごとに神社にお参りしていれば、正道を外すことがあっても、軌道修正できるのではないでしょうか。

神社では住所氏名を名乗ってからお参りするようにといわれていますが、折々にお参りしている氏神様は、近所に住む頼れる年長者のような存在です。
「あ、また来たの?感心、感心」と歓迎されているような気がして、心安らかにお参りできました。



神社にお参りしたら、おみくじを引くことにしています。
霊感のある人なら、神社に行けば自然に天からのメッセージを受け取ることができるのでしょうが、私は「何か私に伝えてくださることがあるなら、おみくじに託して教えてください」とお願いします。

占いは、命(めい)・卜(ぼく)・相(そう)の3種類があります。
四柱推命や西洋占星術など生年月日から占うのが命術、易やタロットなど偶然性による占いが卜術、人相、手相など相から占うのが相術です。
おみくじは卜術に通じるところがあります。
細い棒の入った箱を振って、出た棒に記された番号のおみくじを受け取る神社もあれば、自動販売機にコインを入れると、おみくじが出てくるところもありますが、いずれもそのおみくじを引いた偶然の背後には必然が隠されているというシンクロニシティに基づくものです。

ところが戸隠神社のおみくじは、命術の要素も加えたものでした。
おみくじを希望する人は、宮司さんに年齢を告げます。すると宮司さんは奥に引っ込み、なにやら祝詞を唱えてから、ガラガラという音を立てておみくじを引いているようです。そのどこかに、年齢の要素が入っているのでしょう。

そして、戸隠神社のおみくじには、お参りするべき神様が書かれています。
私がいただいたおみくじには、「戸隠大神をまつるべし」とありました。つまり、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)です。
戸隠には呼ばれるべくして呼ばれたのだと確信できた瞬間でした。

そして、天手力雄命は天岩戸を引き開けて戸隠まで投げ飛ばしたような力持ちの神様です。
「勝負事十ぶん勝つべし」「何事も誠を尽くしてなせば、とげたしとおもふほどの事もやすやすと成就するの兆しなり」と勇ましい文言が並びます。
しかし、すべての前提は「心を貞正にもちて怠らざれば」です。
天手力雄命は力自慢のためにではなく、世の中に光をもたらすという大義のために岩戸を投げ飛ばしたのですから。



最近の子供は、すんなりと読めないような難読珍名が多く、幼稚園や学校の先生が苦労しているそうです。
親としては、きらりと光る個性的な名前として悦に入っているのでしょうが、運という観点からはどうでしょうか?

人間は社会的動物ですから、ほとんどの運は人間関係を通してもたらされます。
初対面で名刺交換したとき、すんなり読めない名前。
病院や銀行で名前を呼ばれたとき、注目を集める変わった名前。
そんな名前を持っていて、円満に人との関係を持てるものでしょうか?

古典を読んでいると、時代は変わっても、人間の本質はあまり変わっていないのだと思うことがよくあります。
徒然草の第百十六段にはこんなことが書かれています。

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昔の人は、ありのままに、わかりやすく名前を付けたものだ。あれこれ考えて、さも自分は頭がいいと誇示するような名前を付けるのは、いやらしい。見たことのないような珍しい漢字を使うなど、意味がない。珍妙な名前を好むのは、教養のない人がやることだ。
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吉画にこだわるあまり、めったに使われないような漢字を探し出したり、夜露死苦系で無理やり読ませる前に、基本に立ち返ってみてはどうでしょうか。



この6月は寅年午月。後は戌の方位を加えると寅午戌の三合になるので、吉方取りで戸隠神社にお参りに行きました。
この計画を占い師仲間に話すと、たちまち「私も行く!」と賛同者が集まり、にぎやかな旅になりました。
戸隠は長野駅からバスで約1時間。行きたいと思いつつ、何かきっかけがないと足を伸ばせない場所ですから、ちょうどよい機会となりました。

スピリチュアル・スポットとしても名高い戸隠神社。
中社までバスで乗り付けて、20分ほどであわただしく去っていく駆け足のバスツアーもあるようですが、車が乗り入れない参道を延々40分ほど歩いて奥社をお参りしてこそ、 戸隠のご神気に触れることができます。

中社だけで帰るのは、徒然草に出てくる仁和寺の法師のようなもの。
「一生に一度は、石清水八幡宮を拝みたい」という念願かなった法師。ただ一人で参詣し、男山のふもとにある高良社や極楽寺を参拝して満足し、他の人が石清水に行こうと して山を登っていたのに、今いる寺社が石清水だと思い込んで山に登らなかったという話です。石清水八幡宮は男山の山頂にあります。

足の弱い方やお年寄りなら、戸隠神社中社のみの参拝でも神様はわかってくださるでしょうが、ちゃんと歩ける足があるなら、ぜひ奥社を参拝することをおすすめします。



パワースポットブームで、神社にお参りする人が増えています。
神社で手を合わせると、つい神様にいろいろとお願いごとをしたくなります。
「A君と恋人になれますように」「志望校に合格しますように」「お給料が上がりますように」などなど。
開運法の一つに、「なりたい自分を具体的にイメージする」というものがありますから、神社で手を合わせて、「自分をこうしてください」とお願いするのは理にかなってい るように思えますが、これは間違いです。
神様にあれこれ注文をつけてはいけないのです。

このことを最初に教えてくれたのは、占星術研究家の鏡リュウジさんです。
受験の前に、神社にお参りにいったと、お祖母さんに報告した鏡さん。
「あの学校に受かるようにお願いしてきたから」という鏡さんに対して、お祖母さんはこう諭したそうです。
「そうではなくて、私に一番ふさわしい学校に入れてくださいとお願いしなさい」と。

第一志望に不合格でも、第二志望の学校で、最高の先生や友人と巡り合えるかもしれません。
だから、人間の小賢しい知恵で「この学校」と限定してはいけないのです。
だから神社では、まず自己紹介をして、これまで無事に生きてきたことを感謝し、未来については、「私にとって、一番ふさわしいことが起こりますように」と、天の配剤にお任せすればいいのです。



ワールドカップが開幕しました。
スポーツの試合を見るたびに、「実力と努力だけでは勝てない」と痛感させられます。
勝利のためには運が必要なのです。あと数センチ、ボールの軌道がずれていたら…。あと数秒、タイミングがずれていたら…。その結果は天国と地獄ほどに違います。

ワールドカップやオリンピックのように4年に一度だと、年齢やコンディションとの兼ね合いも、運に大きく左右します。そして、監督との相性。
また、自分のポジションに かぶるライバルが同じチームにいると、試合に出るのもむずかしくなります。

並外れた運動神経を持って生まれ、人一倍努力しても、運がなければ勝てない。だから秘かに占い師に頼るスポーツ選手が多いのでしょう。


芥川龍之介の「侏儒(しゅじゅ)の言葉」にこんな一節があります。
「天才とは僅(わず)かに我我と一歩を隔てたもののことである。只この一歩を理解する為には百里の半ばを九十九里とする超数学を知らなければならぬ。」

たった一歩の中の微細な距離。その距離をコントロールするために、占いを活用するのです。



フィンランド映画『浮雲』(アキ・カウリスマキ監督)は、徹底的に運の悪い夫婦の話です。 夫は路面電車の運転手。 マイカーが台頭して路面電車ダイヤを減らさざるを得ない。それに伴い運転手もリストラ。
経営者は「誰が辞めるかはカードで決める」と運転手たちにトランプのカードを1枚ずつ引かせます。
夫が引き当てたのはクラブの3。とうてい勝ち目はありません。
このシーンは映画の主題をよく表しています。
人生では、誰のせいでもなく、もちろん自分のせいでなくても、不運に陥ることがあるのです。

一方、妻はレストランの給仕長。
格式のある店ですが、時代の変化について行けず、チェーン店に買収されて、失業します。
ハッピーエンドに到達するまで、不運のオンパレード。
それでも、救いがあるのは、一貫して淡々と運命を受け入れるヒロインの姿勢です。
たとえば、二人が失業する前。夫は独断でローンを組んで高価なテレビを購入します。
夫婦には家具のローンもまだ残っているのに。
妻は不安そうな表情をちらりと見せるものの、夫に「うれしいかい?」と聞かれれば「ええ」と答え、文句の一つも口にしません。
失業後も、夫を責めることもなく、我が身の不運も嘆きません。

そして、ようやく新しいレストラン開店にこぎつけ、昔の仕事仲間のコックと再び働くことになります。
以前の重厚な店とは違って、カジュアルな店構えなのに、コックは凝った料理を作りたいと張り切ります。
彼女は「いいわ」と、まず彼の主張を受け入れ、 「近くに工事現場があるから、手軽でボリュームのあるランチもお願い」と付け加えます。

人は往々にして、不運に陥ったとき、社会を恨み、周囲に八つ当たりし、自己嫌悪に陥ります。
そして、不運はさらに深刻になっていきます。
何をしてもうまくいかないときは、そういうものだと割り切って、おとなしく受け入れれば、そのうち流れが変わるのです。
それを待てるか待てないかが、分かれ目です。



占い師は、運気を扱うプロですから、占い師の名前というものはとても重要です。
もしあなたが、命名をお願いしようとする占い師の名前の字面が珍妙で響きも悪いと、依頼を再考するのではないでしょうか。
そもそも、その占い師の名前自体が好きになれ ないなら、あなたとは相性が悪いので、相談しても有意義なアドバイスはもらえない可 能性が高いのです。

占い師として翡翠輝子と名乗っていますが、あれこれ考えたわけでなく、一瞬にして頭に浮かんできた名前を採用しました。
東洋占術の本場である台湾や香港では、翡翠は幸運をもたらす石とされていますし、「翡翠」ときたら下に来るのは「輝子」だろうと、 シンプルに考えました。

後で従弟に指摘されて気づいたのですが、この名前には父方の叔母と母方の伯母の双方の名前が入っています。
「翠」と書いて「みどり」さん、「てるこ」と読む「照子」さんです。
この二人はとても仲がよく、照子さんの結婚を翠さんが取り持ったという間柄 です。

ご先祖様は私が占い師になったことをどう思っているのかわかりませんが、父方と母方、双方の家系の流れを汲む名前で社会的に活動していることは、喜んでくれているのではないでしょうか。



占い師をやっていると、たまに姓名判断について聞かれることがあります。
確かに名前は重要です。社会と接点を持つことによって、運の良し悪しが生まれるわけですが、名前は本人を別の人と区別するという大きな役割を果たします。

でも私は、画数だけを見る姓名判断には、それほど重きを置いていません。
名前は本人と一体になったときに初めて意味を持つものであり、名前だけを取り出して画数を計算してもあまり意味がないと思うのです。
それに、漢字文化圏でしか使えないのも弱点です。
本人の特質をよく表し、呼びやすい名前。そして本人が気に入っているなら、それは運のいい名前です。

そんな例として真っ先に思い浮かぶのが、ボブ・ディラン。
彼の本名はロバート・ジママン。音楽に打ち込み始めて、彼は芸名を考えました。
ジママンというユダヤ系の名前ではなく、すぐに覚えてもらえる名前。
そして彼は「ボブ・ディラン」と名乗るようになります。

ディランは、ウェールズ出身の詩人、ディラン・トーマスから取ったという説が有力です。
そしてファーストネームは、両親から与えられたロバートの愛称のボブ。
アルファベットにしてわずか8文字という短い名前ですが、ボブ・ディランと名乗ることにより、詩と音楽の神様が彼に舞い降りたかのような創作活動を始めたのです。



「ハーバード白熱教室」でサンデル教授は、社会的成功は恣意的すなわち運に作用されるものだと説いています。
これは、折りに触れて私が実感していたことです。 最近は占い原稿を書くことが多くなり、ありがたいことに次から次へと注文が舞い込んでいますが、すべては努力というより運によるものです。

日本に生まれて原稿を書く仕事に就けたのは、なんという幸運でしょう。もしライターではなく、絵を描く仕事だったら事情は違います。
ある出版社では、漫画の原作や構成は日本で考え、絵は中国で制作しているそうです。
コストは日本の何分の一。もし日本語を自由に駆使する中国人ライターが出現したら、 私の収入は壊滅的なダメージを受けます。

日本語という輸入障壁に守られているからといって安泰ではありません。出版不況や電子書籍の出現により、状況はどんどん変化していくでしょう。

サンデル教授以外にも、同じことを教えてくれた人がいます。
ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」。
最高の学校に行き、お洒落な服を着ていたミス・ロンリー。昔は浮浪者に10セント硬貨を投げつけ、口癖は「妥協なんてしたくない」。
そのうち落ちるから気をつけろという周囲の忠告も聞き流していました。
転がる石のように身をやつして、ホームレスとなり 、次の食事の心配をする日々。
ディランは執拗に「どんな気がする?(How does it feel?)」と畳みかけます。

漫画家の浦沢直樹氏も、ディランのメッセージを受け取っています。『ディランを語ろう』(小学館)で、次のように語っています。
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ぼくが『バイオグラフ』買ったのって、「YAWARA!」が爆発的にヒットして、リゾートマンションまで買っちゃって、「どうなっちゃうの、この状況?」みたいなときだったのね。で、そのリゾート先で聴くものがないんで、近くのCD屋で『バイオグラフ』を買った。
<中略>
そしたらさ、「ああ、そうだった。ああ、そうだった」と思った。あそこで「こんなの描いてりゃ一生安泰」ってなってもおかしくなかったんだけど、気づいたんですよ、「 まずいわ、いまの自分」って。ウワッ、ウワッて二度目の衝撃感じながら聴いていたら 、<ライク・ア・ローリング・ストーン>が鳴り出して、一瞬にしてわかったの。ヤツ がずっと罵声を浴びせてるのが誰なのか。「それは俺だ」って。そこからもう一回、自分の建て直しですよ。
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一生涯、ずっと運がいい人なんていません。どんなに成功した人の中にも、ミス・ロンリーの可能性はあります。
それに気づくか、気づかないかは大きな違いです。



ハーバード大学で史上初めて一般に公開されたマイケル・サンデル教授の講座。NHK教育で「ハーバード白熱教室」として日曜6時に放映されています。
先週のテーマは「能力主義に正義はない?」。

私たちは、努力した人が報われるのは当然のことだと考えます。
学生の一人は、バーバード大学に入学したのは、それなりの努力をしたからであると主張し、能力主義を支持 します。怠けていた人と同じ扱いを受けるのは納得できないのです。

しかし、同じように努力しても人によって結果は違います。
イチローと同じトレーニングメニューをこなしたからといってメジャーリーグでプレーできるわけではありません し、そもそも、どんな家庭に、どんな才能を持って生まれるかは努力の結果ではありません。
それに、どんな才能が社会にもてはやされて高収入を得るかも、努力とは関係ありません。
産業革命前は「手先が器用」という才能は貴重なものでしたが、現在では手先が器 用だから高収入を得られるジャンルはかなり限定されます。

サンデル教授が挙げた例は、人気コメディアン。
彼のパンチの効いたジョークや毒舌が受けるアメリカ社会だからこそ、高額な報酬が得られるわけですが、違う国に生まれていたら、その才能は宝の持ち腐れとなっていたでしょう。

サンデル教授の専門は政治哲学ですが、これは運命学の講座ともいえます。
占術を学んでいると、人間は決して平等ではないことを改めて思い知らされます。
誰しも何らかの個性や才能を持って生まれているのですが、それが社会に求められているか どうかで、地位や収入は大きく違ってくるのです。
もしあなたが、今の日本で求められる才能を持ち、成功を収めているとしましょう。
高額所得者や大スターにならなくても、安定した職に就いたり、家庭を持ち子供を育てて いるのも、成功です。それを「自分が努力したから当然」と思ってはいけません。
あなたはたまたま運がよかっただけなのです。

どれほど成功しても、そうした謙虚さを持ち続けていれば、苦境に陥ることがあっても、なんとか乗り切れるはずです。



十二支を円周上に並べたとき、正三角形を作るグループを三合(さんごう)と呼びます。
子と辰と申、丑と巳と酉、寅と午と戌、卯と未と亥の4グループです。

開運のために、三合を活用するのが、東洋占術の極意。
正三角形は自然界で最も安定した形とされ、西洋占星術でも、12星座を円周上に並べて正三角形を作るグループは、 エレメントが同じとなり、好相性とされています。

今年は寅の年。
そして、来月6月は午の月です(正確には6月6日〜7月6日)。
寅に午とくれば、あとは戌を持ってくれば三合の完成。
十二支は方位も示しますから、来月は戌の方位(西北西)が吉方となります。

というわけで、来月は西北西を目指しましょう。レジャーで出かけるのもいいですし 、西北西の神社の参拝ができれば理想的です。



長引く景気後退でモノが売れず、何とかしようと販売促進に知恵を絞っている方も多いでしょう。
でも、自ら売り込んではいけない業種もあります。

たとえば、医者と占い師。
どこも悪いところがないのに、健康診断以外で病院に行くという人はまずいないはずです。
「注射はいかがですか?」「薬を飲んでみませんか?」と営業に飛び回る医者は 、かなりあやしいでしょう。

占い師も同じです。頼まれてもいないのに「占いはいかがですか?」と勧誘する占い師は信用できません。
現実には、待っているだけではお客が来ないからと、客引きまがいのことをする占い 師がいます。そして多くの場合、逆効果となります。
「よっぽど困っているのか?」「 お客が来ないのは当たらないからだろう」と思われ、ますます敬遠されるのです。

だったら占い師はどうやって自らのビジネスを好転させていくのか。
それは目の前のお客に真剣に向き合うこと。占ってほしいと相談に来る人を的確に開運に導けば、宣伝しなくても、自然にお客は増えていきます。
目の前のお客も満足させる ことができないで、売り込みに奔走する占い師がいたら、あまり関わらないほうがいいでしょう。



東洋占術が求める幸福には、成敗(富や出世)、禍福(精神的な満足感)があると書きましたが、ジェイン・オースティンの「自負と偏見」にはこの二つを見事に対比させるシーンが出てきます。

舞台は18世紀イギリス。ベネット家には5人の娘がいますが、当時の法律では、娘に財産の相続権はありません。
父親が亡くなれば、財産はすべて遠縁の男性が相続してしまいます。娘の婚活は、母親であるベネット夫人にとっては死活問題です。
ベネット家の財産相続権を持つコリンズ氏は、「それなら人助けのためにも、娘の一人と結婚してやろう」と一家を訪問します。
ところが、このコリンズ氏がとんでもない俗物で中身は空っぽ。コリンズ氏は次女のエリザベスに求婚しますが、エリザベスにとっては、とても承諾できる話ではありません。

エリザベスが断ったと聞いたベネット夫人は、「絶対にお受けしなさい。いやだというなら、こんな娘の顔は二度と見たくない」と激怒。そして夫に説得を頼みます。
このときのベネット氏が娘に語った言葉が、最高です。

「どうも困ったことになった。お前は両親のどちらかと親子の縁を切らなくてはいけない。お母さんはお前があのコリンズと結婚しなければ、二度とお前の顔を見るのはいやだというし、私は私で、お前があんな男と結婚するようなら、二度とお前の顔なんか見たくないと思っているのだから」
父親のベネット氏は娘に、財産のためではなく、愛情による結婚を強く望んでいたのです。

最終的にエリザベスが結ばれたのは、資産家のダーシーです。
しかし、ダーシーはプライドが高く気むずかしい一面があり、周囲はエリザベスとは犬猿の仲だと思い込んでいました。
ベネット氏はエリザベスにこう語りかけます。

「なるほど、彼は金持ちだよ、いい服も着られるだろうし、立派な馬車をもてるかもしれない。だが、そんなもので幸福になれると思うのかね?」
「本当に夫を尊敬するのでなければ、決して幸福になれない。せっかく結婚しながら、夫を尊敬できないような、そんな悲しみをどうかこの私に見せないでおくれ」

サマセット・モームは「自負と偏見」を「たいした事件が起こるわけでもないのに、ページをめくる手が止まらなくなる」と評していますが、時代や文化を超えた普遍的なメッセージを発している小説です。



東洋占術を学び始めた頃、「幸せには成敗(せいはい)と禍福(かふく)の2種類がある」という話を聞きました。
成敗とは、社会的成功。富や出世、名誉です。
対する禍福は、精神的には満足感。中には、「お金さえ儲けられたら、精神的にも満たされる」という成敗イコール禍福という人もいるでしょうけど、微妙に食い違うことも多いのです。

たとえば、大儲けできるけれど、好きではない仕事。大好きだけど、あまり儲からない仕事。
結婚相手を選ぶにしても、成敗(夫の地位や所得)を重視する女性もいれば、 フリーターでも愛さえあればそれでいいという選択もあります。

さて、東洋占術での開運は、ほとんどの場合、目指すのは成敗です。「開運したかどうかを示す尺度は、所得の高低」と言い切る占い師もいます。
だから、占い師に過剰な期待を抱いてはいけません。
「結婚したい」と相談して、教えられた開運法を律儀に実践して、人からうらやましがられるような相手と見事ゴール イン。
でも、そこに愛情はなかったというケースもあり得るのです。



「マートン選手のメモ」で取り上げた阪神タイガースのマートン選手ですが、実際にはメモというよりルーズリーフでした。
彼の好調の要因を探ると、いろいろと幸運のヒントが得られます。

5月7日の対広島戦では、勝負を決めた満塁ホームラン。この日は愛妻の誕生日で、甲子園のお立ち台で奥様へのハッピーバースデーのメッセージを伝えました。
こんなに幸せな奥様は世界中でもめったにいないでしょう。
阪神タイガース入団が決まったとき、奥様は妊娠中。それでも奥様は、夫と一緒に来日し、日本で出産することを選んだそうです。
夫がプレーする場所にはどこにでもついて行くという覚悟で、待望の第二子長女は日本で生まれました。

「マートン選手の好調の秘訣は、メモを取ることにある」と書きましたが、それ以上に大きいのが、家族との調和的な関係でしょう。
風水は、住まいの環境を整えることで開運を目指しますが、いくらきれいに整理して掃除しても家族関係がぎくしゃくしては、その効果は半減です。
少々ごちゃごちゃしていても、家族仲がいいこと。それが最高の幸運の鍵であることをマートン選手は教えてくれています。

今タイガースファンの間では、ファミリーマートのロゴデザインに似せたファミリーマートンというパネルを持って応援するのが流行っています。
多くのファンに家族のように愛されるマートン選手、まさにそれが彼の今の好調を支えてくれているのかもしれませんね。



アラン・コーエンの新刊「魂の声に気づいたら、もう人生に迷わない」が徳間書店から出版されました。
これまで翻訳のみしか出ていませんでしたが、日本人に向けての初めての語りおろしです。

タイトルからもわかるように、アランはすべての答は自分の中にあるということを、繰り返し伝えています。
私たち現代人は、心の深い部分とつながることができず、頭だけで考える傾向があります。そのため、魂の声も聞こえなくなり、迷ってしまうのです。

本当の自分を思い出すために、占いは有効な手段の一つです。
でも、占い師の中には、自説を無理やり押し付け、相談者が盲目的に従うことを求める人もいます。
「占いのメッセージを受け取るかどうかは、あなた次第。占い師は特別な能力を持っているのだから、気に入らないご託宣でも、従うべきだと考えてはいけない。あなたの心が共鳴しなければ、それは真実ではない」と、アランは主張しています。

アランと個人的に話す機会があったとき、私は占い師だと自己紹介しました。
何の占いを使っているのかと聞かれ、「I-Ching」と答えました。
イーチン、すなわち易です。

四柱推命はFour Pillars of Destiny(運命の4つの柱)、九星気学はFeng-shui Theories(風水理論)と英訳されますが、英語圏で最も認識されているのがイーチンです。
精神世界に詳しい人なら、ユングが研究した東洋の深遠な哲学と理解しているかもしれません。

「イーチン! 君はイーチンができるの? それはすばらしい。きっと深い教えがあるんだろうね」とアランに絶賛されました。
アランには「易で占います」なんて言いましたが、易の道は果てしなく遠く、どこまで学んでも終わりがありません。
それでも、筮竹を手に取り、算木で陰陽を出していくたびに、発見があります。
その積み重ねで、少しずつ易の道を前進していると信じたいものです。


占いを頼るスポーツ選手は、けっこういます。
自分の力を頼りに勝負するスポーツ選手が、占いのような軟弱なものに頼るのはおかしいような気もします。
でも、ぎりぎりまで自分の力を出し切れば、あとは運に頼るしかないという気持ちになるのでしょう。
たとえばプロ野球選手。小学校や中学校で、どのクラスにもスポーツ万能な少年はいますが、野球部に入って甲子園出場を果たすのはごく一部です。
そして、甲子園球児の中でもプロ野球選手となれるのは、さらにごく一部。抜きん出た運動神経を持っていても、プロの世界は過酷です。
紙一重の差でホームランになるか、外野フライになるか、そんなぎりぎりのところで勝負が展開します。

そんなプロ野球界で注目を集めているのが、阪神タイガースのマット・マートン選手。
「赤星の代わりを務めるなんてとんでもない」というネガティブな声を跳ね返す活躍を続けている。
マートン選手の好調の秘訣は、メモを取ること。対戦投手ごとに、自分が戦った後に書き込んでいます。

パソコンでデータを分析して戦うのが近代的な野球なのかもしれませんが、人間の脳に最も働きかけるのは、文字を書くという行為。自分の中にしっかりとデータとして蓄積され、「次はこう戦う」という作戦も明らかになります。
マートン選手は、一回目に対戦した投手に封じ込まれても、二回目以降は好成績を残しています。

これは私たちの日常生活にも応用できる開運テクニックです。
「わざわざ書かなくても、覚えられる」というのは、過信です。人間は目先のことに気を取られると、あっけなく記憶を失うものです。
「こうなりたい」という願望実現も、ぼんやり想像しているより、言葉にして書き出すことで、明確なビジョンが生まれます。

マートン選手を見習って、書きやすいメモ帳とペンを常に持ち歩くようにしましょう。


「運命を変えることができるか?」というのは、占い師にとって大きなテーマです。

あらかじめ定められた運命があるのなら、占いに頼っても、しかたありませんから。
変えられないのは、運命ではなく宿命です。性別や生まれた国は、どうあがいても変えられません。

運命の「運」は、「運動」「運ぶ」の運。持って行きようによって、命は自在に動くのです。
そして、持って生まれた宿命をベースに、人生を切り開いて行くことを「立命」と呼びます。

「あの占い師はよく当たる」というのは、「あなたは長男でしょう」「お金持ちの家に生まれましたね」とか宿命の部分を言い当てているケースがよくあります。

たしかに、占術能力の高さを示すものですが、本当に有益なのは、いかに立命すべきかの指南なのです。


名前は単なる記号ではなく、運気を大きく左右する要素の一つです。
占術の世界では姓名判断も一つのジャンルとして確立していますが、画数による姓名判断より、自分の名前が好きかどうかのほうが重要だと思います。
同姓同名の人でも、自分の名前をどう扱っているかで、運命は変わっていきます。
名前は親が子供に与える最初のプレゼントです。親が命名せず占い師や住職に依頼したとしても、わが子の幸せを願う気持ちによるものです。
だから、自分の名前が好きということは、この世に生を受けたことに感謝する気持ちの表れです。

「赤毛のアン」の主人公アンは、グリーン・ゲイブルズに引き取られる前は、幸せとは言いがたい孤児でした。
グリーン・ゲイブルズに暮らすマシューとマリラが望んだのは農作業を手伝ってくれる男の子。でも、手違いでアンがやってきます。せっかく安住の地が見つかったと大喜びしたのに、間違いだった――。失望から泣きじゃくるアンに、マリラは名前を尋ねます。

アンの答は「コーデリアと呼んでください」でした。
次の引き取り先が見つかるまで、数日間しか滞在できないなら、せめてその間だけでも、あこがれのロマンチックな名前で呼んでもらいたいという、悲しいけれど少し滑稽なアンの願いでした。
そして、「アンという名前なんて、少しもロマンチックじゃない」と言っていたアンですが、こんなお願いもしています。
「アンと呼ぶなら、最後にeの字を綴って呼んでください。Annだとおそろしく不愉快だけど、Anneだと上品だから」と。

たとえ平凡でも、自分の名前にこだわりを持っていたアン。
この後、アンはグリーン・ゲイブルズでこの上もなく幸せな少女時代を過ごします。
続編では大学を優秀な成績で卒業し教師となり、校長まで出世。
私生活では最愛の幼なじみと結婚し、子供にも恵まれるという、平成の日本女性からも垂涎の的となるような勝ち組女性となります。

アンの物語は、架空の名前を付けて自分を慰める境遇から、生まれ持った名前に満足し、慈しんでいくプロセスではないでしょうか。


開運占術といえば風水ですが、ごちゃごちゃした部屋に開運グッズを置くよりも、まず整理整頓。八宅風水や玄学飛星など理論を振り回すより、雑巾片手に掃除をしたほうが、ストレートに運気が上がります。

インドを旅行した際、一般家庭をのぞかせてもらう機会がありました。
とある事情から、夕暮れ時に30分ほど、路上で時間をつぶさなくてはいけないことになりました。リキシャーマンから自称観光ガイドまで、次々と声をかけられ、断り続けるものの、その場を離れるわけにはいかず、なんとも困ったことになりました。
窮状を救ってくれたのは、向かいの土産物屋の少年。日曜日だったので、店はお休みだけど、「よかったら奥の家で待ったら」と誘ってくれました。「そのうちお父さんが帰ってきたら、店を開けるから」と。

やれやれ助かったと、リビングルームに通され、チャイをご馳走になりました。
聞けば少年は10歳。インドの子供達は、家業をしっかり手伝います。
両親とおばあさん、弟と暮らしているそうで、家は8畳ほどのリビング兼ダイニングに寝室、そしてキッチン。日本の基準からしても、5人暮らしには手狭です。でも、ちっとも乱雑さは感じられません。

リビングのテーブルは食卓でもあり、子供の勉強机にもなります。少年は勉強中だったらしく、英語の本が広げられていました。
少年とはずっと英語で会話していましたが、日本だったら、ここまで堂々と外国人と英語でコミュニケーションできる10歳の子はめったにいないでしょう。
至れり尽くせりの勉強机を買い与え、塾に通わせたからといって、英語ができるようになるわけではないのです。

「こんなにすっきりした暮らしは無理でも、せめてテーブルの上は片付けるようにしよう」――この家庭訪問で得た教訓です。
そのうちお父さんが帰ってきました。この店で買った紫のシルクは、タロットクロスとして活用しています。


雑貨ショップで、色とりどりのアロマキャンドルのセットに目が止まりました。
思わず買いそうになりましたが、自宅にはまだ灯していないキャンドルが数本あることを思い出しました。

アメリカの女流作家、アン・タイラーの「あのころ、私たちは大人だった(Back When We Were Grownups)」に、こんな話が出てきます。

主人公のレベッカがパーティの準備で、部屋中いっぱいにろうそくを灯しながら、子供時代を回想します。
叔母さんがとてもきれいなろうそくをプレゼントしてくれました。白いレースのフリルがくるくる巻いてある特別なろうそく。何か大事なときに使おうと、引き出しの奥に大切にしまいこんでおきました。
でも、8歳の少女に、そんな大事なイベントなんて、そうそうありません。数年たって引き出しを開けたら、白いろうそくは黄色く変色して、ぐにゃりと曲がり、使い物にならなくなっていました。
それ以来、レベッカは、ろうそくを灯す機会があれば、必ず灯すことにしました。

お気に入りの洋服やアロマオイル。いつか大事なときが来たらと大切にしまっているうちに、体型や好みが変わり、香りが飛んでしまいます。
「いつか大事なとき」は「今」なのです。


「運とは何か」をいつも考えているのが占い師ですが、英語にこんなフレーズがあります。
Luck is what happens when preparation meets opportunity.
直訳すれば、「幸運とは、準備が機会と出会うときに起こるもの」。
つまり、いくら 準備万端に整えていても、機会が訪れなければ、せっかくの努力は水の泡になってしまう。あるいは、千載一遇のチャンスが巡ってきても、準備が整っていなくては、何にもならないという意味です。

世の中の人は、ろくに準備もしていないのに、運が悪いと嘆いて占い師に「なんとか なりませんか」と相談に来ます。
「自分は仕事運が悪くて出世できない」という人は、ポジションが上がってもちゃんと役割をこなせるだけのスキルを磨いているでしょうか?

「結婚運が悪くて結婚できない」という人は、配偶者を幸せにできる経済力や家事 力、コミュニケーション力を身に付けているでしょうか?
機会が巡ってきてから、準備を整えようとしても、時間切れになります。
だからまず 、準備しておくこと。そうすれば、後は待つだけです。


リシケシやベナレスは、インド中から修行者が集まる聖地です。
オレンジの袈裟をまとったサドゥを街中いたるところで見かけます。
俗世の欲を捨て、悟りを開こうとする生き方もありますが、日々の暮らしを営みながら、霊性を高めることも可能ではないでしょうか。

そんなことを思ったのは、リシケシの小さなお土産店の体験からです。
金属製のベルや神々の像を並べた店で、日本人女性がもめていました。ルピーとドルを間違って出したため。
1ドルは約100円で、1ルピーは約2円ですから、貨幣価値は約50倍違いますから、だまってドル札を受け取れば、店主は大儲けのはず。
しかし、店主はドル札を返し、何やらレートの計算をしてお釣りを渡していました。
一行が立ち去った後も、その場をぶらぶらしていた私は、店主から声をかけられました。

「あの日本人にお釣りを少なく渡してしまった。これを返してくれ」と、お金を差し出す店主。
びっくりした私は一行を追いかけ、事情を説明してお金を渡しました。
いくらガンジス河のほとりの聖なる場所とはいえ、こんなに正直者がいるとは! 感心した一行はさらにその店で買い物をし、私もガネーシャ像を買い求めました。もちろん、値切ることなく、店主の言い値のままに。

「誠実に商売すれば、結果的に儲かる」というハウツー・マニュアル以上の教訓が、ここにはあります。
瞑想や祈りの時間を持たなくても、日常生活の中で、買い物をしたり、料理や掃除する中で、神の臨在を意識すること。
「誰も見てないから、ま、いいか」と自堕落になるたびに、この店を思い出したいものです。


インドから帰国しました。
濃縮されたエネルギーに圧倒されてばかりでした。東京で淡々と暮らす人間では、とても太刀打ちができません。
旅が後半になるにつれて、インドのエネルギーがチャージされ、どんどん元気になっていきました。

ベナレスの街をリキシャで疾走。車やオート三輪、通行人に牛、犬が渾然と道を進もうとして大混乱し、空気は土ぼこりまみれ。
でも、私にとっては、スギ花粉の舞う東京よりも快適でした。
たとえて言えば、東京の缶コーヒーとベナレスのチャイ。微糖の缶コーヒーのぼんやりした甘さに対して、チャイのいかに濃密なことか。
チャイ屋の店頭でミルクをぐるぐるかき混ぜながら温め、煮出した紅茶と合わせ、たっぷりと砂糖を加える。
熱々のチャイはアルミのやかんに注ぎ込まれ、家業の手伝いをする少年が運び、土器のカップに注いでくれます。
土器は一回限りで壊し、土に戻します。

灼熱の気候のもと、チャイを飲むたびに、エネルギーを吹き込まれました。


願望達成の手段の一つに、ビジュアライゼーションというものがあります。
「こうなりたい」と思う自分をイメージすること。イメージはリアルであればあるほど、実現の可能性が高くなります。

今日からインドの聖地・リシケシに旅立ちます。
かつての私にとって、リシケシはあまりにも遠い場所でした。インド思想に傾倒したビートルズを始め、アメリカのカウンターカルチャーの旗手がリシケシという聖なる場 所に出かけたことを知り、「いつの日か、私もそこに行くことがあるのだろうか」と想像したことはあります。
しかし、ニューヨークやロンドンなら、比較的簡単にイメージできましたが、リシケシはビジュアライズするための材料が少なかったのです。

大人になって、ニューヨークやロンドンには行きました。でも、リシケシを訪れる機会はなかなか訪れず、ようやく今年になって実現しました。
これはビジュアライゼーシ ョンの精度の差から生じた時間のずれでしょうか?
今日からのインドの旅、滞在先のホテルにPCがあればアップしたいと思います。


ボブ・ディランの東京ライブに行ってきました。
今回はお台場のライブハウス。1階はすべて立ち見です。身長162cmの私は、ディラン様のお姿はまったく見えせん。こういうものだと観念して、目を閉じて歌声に耳を傾けました。

これは、何かに似ている・・・伊勢神宮です。
正宮には白い布がかけられ、直接見ることはできません。神様のお姿はあまりにも尊いのです。
それでも、時折、風が吹いて白い布がなびきます。それと同じことが起こりました。

私の視界をさえぎっていた長身の男性二人がふと離れ、そのすき間からディラン様のお姿が!
白い帽子はあまりにも神々しく、西行法師ではありませんが「かたじけなさに涙こぼるる」でした。
写真はディラン様の50枚のアルバムジャケットのチロルチョコレート。どうやって食べたらいいのでしょうか・・・

そして明日、私はインドに旅立ちます。


アメリカ人ベストセラー作家のアラン・コーエンが再来日。青山で開かれたセミナーに出席しました。
スピリチュアルとか自己啓発と呼ばれるジャンルの人ですが、神秘主義的な話にはあまり触れず、いたって常識的な人です。

スピリチュアルと占いは、似ているようで、近親憎悪的に仲が悪い面もあります。
アランの教えは、こうです。
「私は決して、占いや霊感を否定しませんが、占い師や霊能者に、自分の力を明け渡してしまうことには反対です。その教えがあなたの心に響き、役に立つものであれば、大いに活用すべきですが、そうでないなら、聞き流していいのです」

占い業界では、「鑑定リピーターが来る占い師は、優秀な占い師」と言われますが、一概にそうではありません。
中には、相談者を支配し、盲目的に自分を信じさせようとして定期的に通わせる占い師もいるからです。
道に迷ったとき、占いから大きなヒントが得られることもありますが、占いがなければ何も判断できないというのは、力を明け渡している状態です。

占いは活用するものであって、盲目的に従うものではありません。


3月25日発売予定の女性セブンで「占い師が実践している開運法」を執筆。誰でも知っている開運法を再度取り上げて、実際に行うためのヒントを書いてみました。
開運法を知っているだけで、実行しなければ、効果はありません。いくら吉方位の研究を深めたとしても、家の中に引きこもって暦と方位盤を眺めているだけでは、何も変わらないでしょう。

これは占いだけでなく、各種セミナーやワークショップで学んだことも同様です。
高いお金を出して参加して、成功するための秘訣を学んだとしても、実生活の中に落とし込まなければ、意味がありません。

「開運ウォーキング」という方法を目にしたことがあります。
毎朝、早起きしてその日の吉方にウォーキングしてから出勤するというもの。
毎日続けられるほど意志が強い人 なら、たとえ凶方に歩いたとしても、社会的に成功する確率は高いでしょう。
「これがいい」と思ったら、早速、試してみましょう。
すぐに効果が得られなかったとしても、そのフットワークの軽さは、必ずあなたに幸運をもたらすはずです。


昨日3月5日は、寅月の最終日であり、寅年寅月寅日と三つ寅が重なる日でした。
年盤・月盤・日盤の三つの吉方が重なる日はめったにありませんから、吉方取りに出かけました。

吉方取りは、その場所に移動して空気を吸うだけでも効果がありますし、土地の水を飲んだり、砂を持って帰るといった方法もあります。
私が実行しているのは、温泉開運法です。その土地から湧いたお湯に入ることで、全身に吉方の「気」を取り入れることができます。

今回、選んだのは自宅から見て吉方に当たる縄文天然温泉・志楽の湯。野趣あふれる露天風呂で風に吹かれていると、不思議な力が宿るような気がしました。
休息所では、マクロビオティックのランチをいただきました。
地元の野菜を使っているので、食物を通しても、吉方の「気」を体内に入れることができました。


3月末にインドに行くことになり、ビザを取りました。旅行社に頼んでもいいけれど 、旅気分を盛り上げるために、茗荷谷のインドビザ発行センターに出向いて、自分で手続きをしました。
インドは2回目です。最初の訪問は10年以上も前で、デリー、アグラ、ジャイプールの観光コースを巡るツアーでした。

聖地リシケシのアシュラムでヨガを教えていた友人がいます。彼女がその体験を本にして出版したところ、映画化の話が持ち上がりました。
そのロケハンに同行させてもら うことになり,リシケシとベナレスを回ります。
「インドは、呼ばれないと行けない」とよく言われますが、まさに今回は呼ばれました。

占い師ですから、旅行先は吉方位から選びます。今年の吉方位は南と西北ですが、それとは関係なく、複数の候補地を出して易を立ててローマに決めていました。
ローマ旅行で得られた卦は、風雷益(ふうらいえき)の二爻。爻辞に「十朋(じっぽう)の亀甲で占ってもはずれるはずがない」というほどの吉とあります。
友人からインドロケハンの情報を得て、即座に行くことを決めたのですが、念のために易を立ててみました。
すると、ローマとまったく同じ風雷益の二爻が出ました。六十四卦にそれぞれ爻が六つありますから、同じ卦の同じ爻が出る確率は384分の1です。

天が私にインドに行けと命じているような気がしました。


2010年2月は寅年寅月。十二支の本格的な意味でのスタートは、子ではなく寅です。
十二支は動物だけでなく、植物の生育サイクルを示します。子は地中にまかれた種で、丑は種から紐のような細い新芽が出た状態ですが、まだ地中です。寅でようやく、地上へ芽を出すのです。

2月の立春を過ぎると、寅の月の到来です。
寅の月は毎年巡ってきますが、寅の年の寅の月となると、12年に一度しか巡ってきません。そして、今年は年月日で寅寅寅が揃う日が3日あります。
この日は、新しいことを始める絶好のタイミングです。

2月9日の寅寅寅の日は仕事に追われて終わってしまいました。
次の寅寅寅、2月21日は日曜日。午の時刻(午前11時〜午後1時)に、自宅から見て午すなわち南の方位の園芸ショップにハーブと花の苗を買いに行きました。十二支の中には特別な結び付きのあるグループがあり、寅、午、戌で三合火局(さんごうかきょく)となります。
寅に支配された年月日に午の時刻と方位を使えば、戌が象徴する仕事上の達成や名誉が得られます。 買ってきた苗は自宅のベランダの植木鉢に植え替えました。春に向けてすくすく育ってくれると、私の仕事運も大きく開花するはずです。

寅寅寅の日はもう一度、3月5日に巡ってきます。この日にも、幸運の種蒔きとなる行動を起こす予定です。